自分で言うのもなんだけど、わたしは親にめちゃくちゃ愛されて育ったんだなぁと思った。
ちいさい頃のアルバムを見返して、母の愛を猛烈に感じたからだ。

見返していたのは昔ながらの分厚くて重たいアルバム。
0歳から1歳までの間に3冊あった。

「写ルンです」とかで撮っただろう写真は等間隔に貼られ、あるページにはコメントを書いたり可愛く切り取られたり工夫が凝らされていた。

今から30年くらい昔のことだ。
スマホでバシバシ撮ってクラウドに保存! なんてできない時代、どれだけ手間がかかったんだろう。

母は「そのときは専業主婦で暇だったからね~」と笑っていたけれど。

スマホで撮ってクラウドに保存! に慣れたわたしには到底つくれないだろう作品がそこにあった。

ものすごく嬉しそうな母の顔。屈託なく笑う赤ちゃんのわたし。
「はやく大きくなぁれ」と書かれた母の字を見ていたら、鼻がツーンとして涙がこみ上げてきた。

母ってすごい。親ってすごい。愛ってすごい。
改めて強く思った。
瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』にも親の愛がふんだんに盛り込まれていた。
この物語にはひとりの少女に対して「親」と呼ばれる存在が5人登場する。

血のつながった父と母。
父の再婚相手の梨花さん。
梨花さんの再婚相手の泉ヶ原さんと森宮さん。

それぞれ”大人の事情”により主人公の優子は17年の人生で名字が4回変わる。物語がはじまった時点では「森宮優子」として高校生活を送っていた。

優子はこのややこしい家庭環境のためにクラスのどの子よりも物わかりの良い大人びた子に育つ。
そのため友達といざこざがあってもそれほどダメージを受けない。
相手の挑発に乗らない・時間が経つのを待つ、などの冷静な対処ができ、気持ちの切り替えが意識的にできるタイプなのだ。

そういう「物わかりの良さ」は大人にとっては好都合だが、常にものごとから一線を引いた立場をとる優子の姿はどこか人生を諦めているようにも見える。
優子のクラスの担任教師は「まだ若いのに……」ともどかしい思いを抱くのだった。

けれど、優子は決して抑圧されているわけじゃない。
血のつながった父と母、再婚相手の梨花さん、泉ヶ原さん、森宮さんはそれぞれに愛をそそぎ、優子はそれぞれの愛を受け取る。

優子は図らずも「家族リレー」のような環境に置かれ、世の中どうしようもないこともあるのだということをちいさい頃から知ってしまっただけなのだ。

しかしどうしようもないことがある反面、愛にはさまざまな形があり、その愛を感じられれば幸せに暮らしていけるということも知り、優子は森宮さんと心穏やかな日々を送っているのだった。

この物語は優子と森宮さんの穏やかな日常が綴られながら優子の「家族リレー」の詳細が徐々に明かされていく構成で、最初は靄がかっていた景色がどんどん晴れていくような清々しさを感じた。

ややこしい家庭環境の裏には大きな悲しみもひそんでいる。
物語をなぞっていくうちに優子が同世代の子たちが経験したことのない悲しみや苦しみを抱えて生きてきたことを知り、「物わかりの良さ」が身についてしまうのも仕方ないことだと思った。

しかし「家族リレー」は優子を悲しみに浸らせない。ころころ変わる家庭環境がようやく落ち着いたと思ったら、次は受験という大きな壁がすぐそこまで迫っていた。
優子は森宮さんの励ましや支えを受け、自分の人生を振り返りながら将来に向き合おうとする……。

この物語を読み終わり、わたしはものすごく当たり前のことに気がついた。

誰かのために生きようと思えることはものすごく幸せだということ。
どれだけ離れていても、「振り返ればたしかにそこにいる」存在がどんなにありがたい存在かということ。  

読みながら自分の親のことを考え、また物語の結末を読んでうるっときてしまった。
やっぱり家族ものはだめだぁ。「北の国から」ほど涙腺崩壊はしなかったけれど。

わたしは子ども側の経験しかないので、いつか親になったときにもう一度読み返したいと思った。
誰かのために自分をしゃんとさせて生きていくってすごく素敵だ。

あたたかい気持ちに包まれた一冊だった。


そんでもって自分のアルバムを見返していたのは、今年の夏に自分の結婚式があるからなわけで……(黒板純)。

母のアルバムと『そして、バトンは渡された』で親の愛をしっかり感じたわたしは、「準備めんどうだな……」「なんで手紙読まなきゃいけないの?」と思った自分の怠け心を反省した。

愛は偉大だ。
(締めがつんく♂さんっぽくなってしまった)