周りにはいろんな物語がある。
漫然と日々を過ごすことにふと孤独と不安を感じて、何らかの物語を求めて人は人とつながるのだと思う。
 
長嶋有『問いのない答え』は、ツイッターでつながった人々が数珠つなぎのように登場する物語だ。
まるでツイッターのタイムラインをなぞるようにいろんな人が登場し、それぞれの日々を送っている様子が描かれている。
 
つながりのもとは、作家のネムオが発案した言葉遊び「それはなんでしょう」で、問いの最終文(「なんと言いますか?」など)だけ出題され、フォロワーはどんな問いなのかを推察して、「死なす」「大丈夫、なんとかなります」などと返信をするのだ。
 
ネムオを中心に数十人の仲間と交わされるやり取りはとりとめのないもので、フォロワーの名前も「ネルコ」「少佐」「紙」「ウシニラ」など正体不明の人々ばかりが集う。そんないいかげんな場だからこそ楽しめるものがあり、彼らなりの物語がある。
 
その一方で、この物語では「世界がそのようにしかみえないからといって、世界がそのようであるとは限らない」(236頁)ことも提示している。
タイムラインの裏の現実世界で、ネムオは、ネルコは、少佐は、他のフォロワーはどこにいてどんな日々を送っているのか詳細に描かれている。
誰もがそれぞれの日常を送っているだけだが、ツイッターだけでなくリアルにつながっている者もいれば、会ったことはないけれど実は同じマンションに住んでいる者もいることを俯瞰した語りから眺めることができる。

俯瞰した語りはツイッターのフォロワーをひとつひとつ確認してゆくかのように登場人物の視点がころころと変わり、一見とりとめのない日常描写ばかりが続く。
ツイッターでつながっているという動機だけがこの物語を形作っており、言葉遊びのように彼らは現実世界の見えないところでも「つながる」のである…。
 
さらにこの物語ではまた別の「現実世界」を持ち込んでいる。
2008年に発生した秋葉原通り魔事件、2011年3月11日に発生した東日本大震災の二つの事件・災害は、物語内の彼らをつなぐ動機のひとつになっている。
「それはなんでしょう」は東日本大震災の直後に「気晴らし」としてネムオが始めたものであり、フォロワーのサキは「それはなんでしょう」のように上手くつながれなかった通り魔事件の犯人を想像する。
彼らは実際に起きた出来事に対しさまざまな意味づけを行い、自分たちの日常に何らかの形で還元するのだ。
 
読みながらとりとめのなさと複雑な構造に頭が混乱しそうになった。そして読み終わった時に、この物語自体が言葉遊びで「それはなんでしょう」と言っているみたいに思えてきた。
 
わたしはそれに対して「誰もが何らかの物語を期待している」と返したいと思った。
わたしたちは彼らと同じことを日々やっている。自分の身の回りで起きたたわいもない出来事や世界各地のニュースに触れる折、気になった出来事のみを選んで、何らかの意味づけをして、自分の日常に還元している。意識する・しないにかかわらず「何か」を感じ取ろうとする。
でもきっとほとんどの「何か」は日常に溶け込んで、ツイッターのタイムラインのようにどんどん流れていってしまう。
ただ流れていってしまうと味気ないから、誰かとつながることで「物語」をつくろうとするのだ。
そしてそうやってつながりを持たないと、孤独や不安や寂しさが襲って耐えられなくなってしまう。

この物語は「つながる」という構造を強調することで、きっとそういうことを示そうとしていると思う。でも別に何かを問われているわけではない。わたしなりの「問いのない答え」を出しただけだ。
きっと、とゆるく言える雰囲気がこの物語にあって、それがこの物語の魅力だなぁと思った。
 
久しぶりに「読みの可能性」に触れた物語だった。
頭の中が一気に忙しくなる体験はたまにすると新鮮で面白い。
 
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