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都心タワマンから九州へ・・・Uターンしました

東京から九州にUターンする家族の記録です。マイホーム購入、育児や受験について書いています。

 

最近の推し活
3月ごろからSHOW-WAの推し活をしています。つっつん推し、ですが箱推しでもあります(人生で初めてこの単語使った!)。SHOW-WAの皆さんが最近、笑顔がとてもナチュラルになってますます素敵なのが嬉しいです。MATURIも頑張って!!

3月末に、4年間お世話になった都心の賃貸タワマンを退居しました。

そろそろ記憶もあやしくなってきそうなので、覚えているうちに書きます。

 

さきほど、九州地方で地震がありました。

「相棒」の本当の初回の再放送を見ていた私は、スマホの警報音にびっくり!!

 

九州に来てからというもの、東京より地震がほぼないに等しいくらいなので油断していた・・・。

 

テレビが少しユラユラした程度でおさまりました。

 

東京にいたころは、地震は日常茶飯事。

私は、阪神大震災と東日本大震災を経験しました。

阪神大震災の頃は実家にいて、早朝に半端ない下からの縦揺れで目が覚めてびっくり。

ほとんど被害は受けなかったけど、「大地震=縦揺れ」という教訓が私に残りました。

東日本大震災の時は、夫が海外出張中で、必死に子供を保育園に迎えに行き、服を着て避難に備えて寝ました。

スーパーやコンビニが通常通りになるまで日数がかかったのを記憶しています。

 

その後も東京では震度3や震度4は結構多かったです。(いつか来るかもしれない大地震が怖すぎるのも移住の理由のひとつ)

タワマンは結構揺れます。が、私たちが住んでいた都心のタワマンは作りがしっかりしていたようで、中層階にもかかわらず、一度も食器が割れたり家具が倒れることはありませんでした。(家具の転倒防止も特にやっておりません←自治体では転倒防止器具が推奨されていたので、あくまでもラッキーだっただけです)

お正月の能登半島地震の時が一番すごかったように思います。

初詣を終えて帰宅し、ちょっとゆっくりしはじめたころに横に揺れました。

10分くらい、家がギシギシ言っていたように思います。でも何も被害はなし。

たぶん、エレベーターとかは止まっていたかもしれませんが、電気は止まりませんでした。

(こんな時に館内放送とかはないです。そして近所づきあいもないので声も掛け合わない。本当に大規模地震だったらあるのかもしれませんが)

常に垂直避難をしなければならないことを視野に入れて、保存食や防災用品は準備するようにしていました。自治体でも垂直避難を推奨していました。

また、マンションから「無事です」マグネットを配布されていました。そして自治会から住民アンケートで誰が住んでいるか、避難に助けは必要か、反対に助けてくれるか、看護師免許があるか?などの質問があり、答えたこともありました(ちゃんと看護師免許ありますと申告しました)一度も活用する機会はなかったのですが、備えがあっていいなと思っていました。

 

もうすぐ防災の日。一度、防災用品を見直してみたいと思います。

 

それぞれの地震で被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。