最近、政治がほとほと嫌になった。と言うよりも、もっと広く社会的な活動が嫌になった。
こんなことを愚痴っぽく書くと、「何か辛い事でもあったのだろうか」とか「気力が衰えるなんて情けない」と思われるかもしれないが、個人的な生活(政治的な活動)においては、何らストレスを受けるようなことはない。
ただ、現在の世の中の動き、その気分とでもいうのか、社会的な風潮を眺めていると嫌気が起きてくるのだ。
「さくらを見る会」だの「3000円のパンケーキ」だの「身の丈発言」だの、政治的な議論の本質から逸れたところでの政治闘争が盛んだ。これは攻撃する野党側がバカなのではなく、おそらく一般大衆のルサンチマンに訴えた方がより効果的だと判断しているからだろう。
そして当然のことながら、一般大衆相手の商売であるマスコミもこの流れに乗ってくる。
いったいいつからだろう、多くの人々がルサンチマンに共感して、そのルサンチマンをエネルギーに社会が動くようになったのは。
古来、日本人は「恥」を規範の中心にそなえ、他者を妬むという感情は慎むべきものとしてきた。
現在ではこのような貴重な伝統的な価値観は消え失せ、多くの人々が恥もなく他者を妬み、何とか恵まれておいしい思いをしている他者を引きずり降ろそうと躍起になっている。そしてそれは往々にして社会的な正義の仮面を被っていることも達が悪い。
仮にどんなに表面上は正しいことを言っていても、その性根こそは腐っていると思う。そこには真に発展的な展望はない。
それにしても、ルサンチマンを訴えることが良いなんていう社会は、逆の見方をすれば平和で安定している、そこそこ幸せな社会なのかもしれない。
本当の意味で紛争、貧窮、安全が脅かされているような状況では、誰も他者と比較してのルサンチマンなど感じている余裕はないだろう。それぞれの現状を乗り切るだけで精いっぱいだろう。
たとえば、社会がそうでなくても、個人的に大怪我をしたり大病を患うようになれば、意識の大部分が自分にだけ向かうのでルサンチマンどころの話ではなくなるはずだ。
このような時は、いたずらに世の中の風潮に流されるのではなく、たとえ孤立しようとも自分のするべき仕事に取組み、正しいと思うことを静かに訴えていくのが良いのだろう。