幾日か間があいてしまったが、トレード的な思考方法についての記述はいよいよ核心に迫っていきたい。前回の発展的な続編である。

 トレードでは大勢の意見、一般的な評価やコメントなどまったく役に立たない。


 価格の動き、そのトレンドに乗っていくことは大切だが、トレンドとは無関係な意見(大勢派の意見)などは屁の役にもならないどころか、むしろ悪害でしかないのだ。


 それではそもそも大勢の意見とは何であろうか。常識的な判断とは何であろうか。

 誰もが思っている通り、あなたも「買い」だと思う。また逆に大勢の人々が感じているように、あなたも「売り」だと思う。このことは何を意味しているのか。

 多くの人々の考えや思惑通りに、トレードで売買をすることとは、実のところどのような行為であろうか。


 みんなと同様に、大勢とたがわずに、この意識自体に誤りがあるのだ。

 あなたは絶対に「買い」だと確信していたとしても、同じ時間にあなたと同様に絶対に「売り」だと確信しているトレーダーが存在する。この事実を忘れてはいけない。

 あなたのトレードする方向と真逆なトレードをする(確信をもって)者は、世の中には必ず存在するのだ。

 だからこそ、トレードが成立して、価格が決まるというものだ。

 このバランス(買いの指向性と売りの指向性のバランス)が崩れている時には、もはや取引は成立しないし、価格は決まらないものだ。

 たまにストップ安やストップ高というような事態はあるが、それでもどこかで売買のバランスは均衡して価格は決まるものだ。

 ゆえに、トレードにおいて大勢の意見などというものは、まったく意味をなさないものと言えよう。


 しかし、これはトレードの実感とは微妙にズレている。

 確かに、多くの人々が一方向に考えを傾けるという状況は存在する。

 これはどのようなことか?


 簡単な話である。多くの一般大衆の細かいトレードの指向性と、少数の大口投資家(彼らは資金力も情報力も潤沢である)の指向性が売買において均衡しているような場合だ。

 だから、トレードでは少数が勝つことが多いのだ。

 考えてもみよう。情報も乏しく欲の張った有象無象の一般大衆と、経験も情報も豊富な少数のお金持ちでは、どちらが勝利すると思うか?

 一目瞭然である。


 ゆえにトレードにおける内部要因というものは、重要な指標になりうるのだ。