“強いきずな”と“弱いきずな”
先日、あるプロジェクトの関係で、某SIベンダーの営業部長と話をする機会を持った。
そのとき、営業マンが顧客リレーションを形成する能力に関連して、例として、クルマの営業の話題になった。
小生が、クルマ営業が近年展示場型販売にシフトしている傾向を指摘すると、営業部長氏は意外だったようで、従来型の顧客密着型営業を重視しているという見解を表明されていた。
この「展示場型」と「顧客密着型」の違いは、これからのいろいろな業種業態での営業のあり方を考える上で、極めて重要なテーマだと思う。
そもそも、自動車ディーラーの営業マンとは、過去に販売実績のある近隣の顧客に販売後も緊密にリレーションを保つスタイルが主流だった。
例えば、直接クルマに関係のないようなことでも、夜昼なく顧客の問い合わせに応じ相談に乗り、場合によっては用事を代行してやったりしながら、自分の顧客を維持していく。
そうした努力の結果、何年か後にその顧客がクルマを買い換えるとき、再び自分から買ってくれるようにするわけだ。
だが、多くの自動車ディーラーは、近年こうしたビジネスモデルからの脱却を図っている。
代わって登場したビジネスモデルが、展示場の充実を通じた、展示場主体での販売戦略である。
最近街中に、何の美術館かと見紛うような、先進的な建築デザインが施された自動車販売店が登場していることに、気づいている人も多いだろう。
よく考えてみると、たしかに従来の「顧客密着型」は、営業の基本に則った優秀なビジネスモデルなのだが、それだけでは自動車販売が成長を続けるのが難しいことが分かる。
それは、既存客を維持することはできるが、新規の顧客を思うように開拓できないのだ。
また、営業マンは必ずしも優秀者ばかりではないので、既存顧客のリレーションをうまく維持できない者も中には沢山いる。
だから、それだけでは、自動車販売は長期逓減傾向に陥ってしまうわけだ。
その打開策が、展示場の抜本的な充実である。
従来のように営業マンの個人プレーに依存するのではなくチームで販売する。
しかも、そこには自動車メーカーのブランド戦略が巧妙に張り巡らされていて、顧客は単にクルマを見るだけでなく、クルマを購入した後の自分のライフイメージにも思いを馳せることができるようになっている。
それは、個人依存営業からチーム営業への転換でもある。
とはいえ、こうした理屈には以前から気付いていたのだが、最近読んだ本によって、こうした“転換”のポイントが、より鮮明に理解できるようになった。
それは、『WEB2.0的成功学』という本である。
著者は、大阪市大の先生なのだが、最新のネットワーク理論を紹介しながら、実に分かりやすくビジネストレンドの解説を行っている。
その中に紹介されているネットワーク理論のポイントとして、「弱いきずな・強いきずな」という論点が出てくる。
過去にアメリカで、100名程度の人を対象に、予め全く知らない特定の1名の人物に手紙が届くように、自分の知人に手紙で依頼する実験が行われた。
その結果、40名程度の手紙が、実際にターゲットの人物に届いたのだが、その経緯は、予想されたよりも遥かに少ない人を介する形で行われたというのだ。
予想では、相当多くの「仲介人」を経なければ届かないだろうと予測されていたのだが、実際には数名程度の「仲介者」で届いたケースも多くあった。
その結果、判明したことがある。
それは、世界には驚くほど沢山の知人を持っている人物が少数だが存在している、ということである。
さらに、重要なことは、そうした沢山の知人を持つ人達の、知人との関係のあり方である。
通常、大事な仲介(※例えば、職を紹介するとか)は、かなり緊密な間柄、つまり“強いきずな”がなければ行われない、と思われている。
だが、実際はそうではないのだ。
意外にも、実験でキーマンとなった知人を多く持つ人は、“強いきずな”ではなく“弱いきずな”を多く持っているのである。また、それゆえに、ネットワークのキーとなることができているのだ。
そして、このことから分かるのは、ネットワークの広がりのキーとなるのは、“強いきずな”(※クルマの営業の例では「顧客密着型」)ではなく“弱いきずな”(※クルマの例では「展示場型営業」)の方だということである。
“弱いきずな”の重要性は、近年他の多くの例でも実証されている。
“弱いきずな”をキーにして捉えると、世界とは一気に狭く小さなものになってくることが分かる。
※ちなみに、これを専門用語で“スモール・ワールド”という。
奇しくも、TDLの人気アトラクションの名前と同じである。
世界は、意外にも、多くの“強いきずな”の環が、少数の“弱いきずな”の「仲介者」によって緊密に引き寄せられた形で存在しているともいえるのだ。
※このイメージは、何となく、星の集団としての無数の島宇宙が、微妙に関連しながら散らばっている、宇宙空間のイメージにもつながるものがある。
“弱いきずな”に目を向けることは、私達が、これまでとは違う形で世界に関与すること、とも言えそうである。
