ここ2週間
仕事がめちゃくちゃ忙しくて
コラムを
更新することができませんでした
そして
とても疲れていました
「疲れた」
この言葉以外に思いつく
言葉もないくらいに
疲れていました
その間
日常生活、仕事で小さなミス、失敗が続き
最後に大きな失敗が
やってきました
こうした
一連の疲れからくる集中力の欠如
意識が朦朧とした状態で
ふと
頭に浮かんだことがあります
「バレエって言葉がないよね」
「今の世の中で
言葉の壁を越えられる存在って
逆に強みだよね」
それは
なんとなく
現代、私たちが今生きている世界が
窮屈で、ある不安を抱える空気
いろんな意味で「分断」と言う言葉で
表現されているのが
気になっていました
この「分断」は
むかし流行った「自己責任」と言う言葉あたりから
きているんじゃないかと
思ったんです
「自己責任」から
「格差社会」へ
さらに
「多様化」
そして
「分断社会」
何もかも分断されてしまった社会
それはいろんなところで「対立」が生じている
この「対立」を埋めることは
できないものなのか
人間同士のコニュニケーションで
障害になる「言葉」
この言葉のない「バレエ」って
「分断」された状態を
繋ぐ架け橋、糸口、きっかけに
なれるんじゃないかって思ったんです
違う価値観を持った人たち
人種の異なる人たち
世代の異なる人たち
性別の異なる人たち
異なる宗教を信じている人たち
いろんな「異なる」立場の人たちが
一同に介して
「バレエ」の舞台を見て
「感動」して共通の空間で
いまみたバレエの舞台について
語り合う
そんな光景を想像したとき
「分断」されている状況を
少しでも互いに歩み寄り
「感動」という共通の思いを
手がかりに話し合うきっかけを
「バレエ」は作ることができんじゃないかと
思いました
言葉を用いない芸術
「バレエ」の「分断社会」の中での
存在意義と役割は非常に大きいなじゃないだろうか
いまこそ
多くの人が「芸術」を共通の価値として
認め合い、歩み寄り
「対話」を始めるべきじゃないかと
その可能性は「バレエ」にも大いにあるのでは
ないだろうか
疲れた頭で
ふと
白昼夢のような
突拍子もない
小さな思いが
浮かんできたのは
いったい
なんだったんだろうか?
相模原のバレエ教室なら