書法と語法 「トーキョー・シンコペーション」 | 今夜、ホールの片隅で

今夜、ホールの片隅で

東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

2014年4月にこのブログを書き始めてから、もうすぐ丸10年になる。それまでは読むばかりだった音楽に関する言葉を、自分で書くようになって初めて気付いたことも多い。

 

例えば「ピアニズム」という言葉がある。ピアニストのCDやリサイタルの宣伝文句ではよく目にする言葉だが、意味が分かるようでよく分からない不思議な言葉だな…とずっと思っていた。ヴァイオリニズムやチェリズムという言葉は無いのに、何故ピアノにだけこの言い回しがあるのだろうか? そんな疑問を感じつつも、ブログでも何度か使ってみた。初めは恐る恐るという感じでしっくりこなかったが、使っているうちに、何となく使いどころが分かってきたような気がしている。

 

「ソノリティ」という言葉もそうだ。これも読む分には分かったような気がするけれど、書く側に回るとなかなか使い辛い言葉である。ほかに相応しい単語が見付からなくて、当てずっぽうで何度か使ってはみたけれど、果たしてそれが正しい用法だったのかどうか、未だにモヤっとした不安が残る。

 

今でも使い方を迷うのが、「書法」と「語法」。「音楽語法」という言い方はあるが、「音楽書法」とは言わない。両者の違いは何だろうか。原語の意味に倣えば、「書法」が(楽譜の)書き方や文体といったやや広い意味を指すのに対し、「語法」はより具体的な(音符の)言葉遣いや言い回しということになろうか。しかしどこまでが文体でどこからが言い回しなのか、俄かには判別し難い。結果として使うたびにごっちゃになってしまうのだが、これらを正確に使い分けられる日は来るのだろうか…?

 

と、そんなことを、この年末年始に「トーキョー・シンコペーション 音楽表現の現在」(沼野雄司・著)という本を読みながら考えた。現代音楽に関する広範な知見を基に、美術や映画など他ジャンルへと話題が自在に越境してゆく書法(語法?)が刺激的な1冊。「音楽」と「楽譜」の関係に極めて意識的なのも、「書法と語法」について考えさせるポイントだろう。個人的には、坂本龍一、佐村河内守、オルガ・ノイヴィルトらの作品にまつわる考察を特に興味深く読んだ。

 

この単行本の基となるテキストは「レコード芸術」誌で連載されていた。同誌は昨年の7月号をもって休刊となり、連載も休止したという。このようなタイプの論考を発表するに相応しい場は、今後はもう見当たらないのではないか。レコ芸休刊という喪失の大きさを、改めて実感する。