世間はゴールデンウィークだが、自分は仕事なので平日だったりするわけで、

どうでもいいバラエティの批判でもして解消しているだけなので、ご了承を。

 

先週のプレバト才能ランキングの俳句査定は不満の残る添削だったが、今週も、なんていうか、不満っていうか・・・、

プレバトって以前は番組全部を見てたんだけど、だんだん面白くなくなって、見たいコーナーが減って、今は俳句査定だけを見てるって状態なんだけど、もう、俳句査定も見るのを止めようか、なんてちょっと思ったりして。

 

今週の才能アリは珍しく?千原ジュニアだった。

 

先に、夏井先生の添削した俳句を示すと

 

 

ということで、

 

これはこれで、悪くない、っていうか、良い句だと思う。五月の気持ちの良い山風を感じるような、そんな句だと思う、、、、、けど、

 

しかし、添削前の句は以下のようなものだった。

 

 

ジュニア曰わく、人生も重ね合わせて詠んだんだということ。

 

 

先生も、それについては理解している。

 

だとして、最初に示した、夏井先生の添削後の俳句からは、正直言って、自分には、人生を重ね合わせたというジュニアの思いは感じられない。

なんていうか、添削後の句は、”ただの”良い句って感じで。

 

夏井先生はよく、ムダだ、とか、もったいない、とか言うけど、

そこに味があるって場合もあるんじゃないかなって思ったりするんだよね。

 

ときどき、添削で手直ししたがゆえに読み手の込めた気持ちが削がれてしまっているように思えてもったいない、って感じることがあるんだよね。たとえムダがあっても、元の句の方が味わいがあるんだけど、って思うことが。

 

 

自分としては、親目線でみると、ジュニアの俳句の方が心に刺さるところがあったりする。

 

「子供の日」に「鯉のぼり」を飾るのは、中国の故事の「鯉が竜門の滝(激しい逆流)を登りきって天に昇って龍になった」にちなんでのことらしいし、さらに、鯉は、清流以外でも池や沼でも生きられるほど生命力が強い、ということかららしい。

 

なので、子供に逆境や困難に負けずに元気に力強く育って欲しい、っていう親心から鯉のぼりを飾ると考えれば、千原ジュニアの句の方が、親としては強く共感できるんだよね。

 

ただ、自分的には、「逆風」はなんとなく響きが好きじゃないので、「向かい風」とかの方が音の響きが好みだったりしたりするけど。

 

 

ところで、今回もフジモンの句は、何がいいんだかさっぱり分からない。っていうか、どっちかというと、嫌いだ。どっちかじゃないな。はっきりと嫌いだ。

 

 

なんだか意味の分からない句だ。フジモン曰わく、図工で鯉のぼりを作った小学生がランドセルに挿して帰る姿を詠んだとのこと。相変わらず、精神年齢低めだし。

 

 

夏井先生は絶賛しているけど、ほんと、心の底から、なにが良いのかさっぱり分からない。

添削なしだって。3段に昇格だって。ハ~~?って感じだけど。

なにこのフジモンのドヤ顔!

 

そもそも、「挿され」って変じゃない?普段、そんな言い方する?

 

例えば、「花を挿された花瓶」より、「花を挿した花瓶」の方が普通だよね。

 

言うとしたら、

「包丁を刺された死体」とか?

あるいは命令形で、何か投げて「刺され!」とか?

 

この「挿され」って、「挿す」の受け身の「挿される」だ。

 

ランドセル”が”(こいのぼりを)挿された”、ってことだよね?

なんでランドセル目線なの?

 

それとも、「鯉のぼりを”挿された”ランドセル」を背負った子供?

だとしたら、誰に挿されたんだ?自分が挿したなら「挿したランドセル」で、受け身にする必要はないよね。

 

どっちにしても、なんで「受け身」なんだ?って感じだ。

このクソ不明瞭感が、ほんと、”日本語”として気持ち悪い!

あ~~嫌だ、嫌だ。

 

夏井先生は、”意味が分からない人は「五つの」の時点で考えるのを止めた人だ”、だなんて批判してるけど、そうじゃなくて、なんで「受け身」なんだってことだよ。「受け身」にしているから意味が不明瞭になってると思うんだけど。その上[た」を省略していて余計わかりにくいし。

 

もう、マジ、無いわ。

 

それに、ムダやもったいないっていう観点からすれば、「五つの」も不要ちゃあ不要だよね。「五つ」だからなに?「五つ」を抜いたら何か困る?なんか、無理矢理入れた「苦肉の策」って感じだし。これを削って、その字数で別の情報を入れる方がはるかに良いと思うけど。

 

ほんと、マジ、無いわ。

AD

コメント(4)