ナウ・グランマ・・エッセイ
  • 09Mar
    • はずせない・・マイ・イベント・・いかなご炊き

       あんなに寒くて・・ことしは大雪のニュースも沢山きいたけど。季節は正直で、梅が咲いて、少し温かくなったなと思ったら。いかなごの網落としのニュース。 ・・・春になったのだ。・・・私のいかなごつくりは、阪神淡路大震災のとしからはじまった。近くのコープに山積みされたいかなご1㎏パック。これは何。初めて見る。・・と、「奥さん、いかなご炊きなはれ」「簡単で、美味しいよ」・・と、知らないシニアさんに声をかけられた。この年は、震災の影響ではるか遠い、ここ大阪三島郡まで販路が広がったとのことだった。「はい、つくってみます。」・・と、最初はいかなご1㎏を、市販のくぎ煮のたれ瓶詰で、瓶に貼ってあったレシピどおりにつくった。・・うーん。・・美味しい・・。以来、毎年いかなごの網落としのニュースをきくと、ザワザワする。気がつくと、台所でお醤油のにおいプンプンさせて、炊いている。 さすがに、もう市販のたれは卒業して、マイくぎ煮たれレシピが出来ている。・・はい。ことし2018年も炊きまし。去年ぐらいから、いかなごの入荷が少なく、なかなか手に入らないのが悔しいけど。 なんとか、 少量ですが・・できました。 夫さんの大好物だったから。「元気な時はケンカばかりで、スミマセン。これでお許し下さい」と、出来立てをお供えしました。さて、宅急便しましょう。「春になりましたよ」・・と、一筆そえて。

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  • 21Feb
    • (もういちど)・・会いたい

       間違いなく 昭和62年1月5日から・  今・・平成30年2月8日まで・・私は一度も風邪をひいたことがなかった。体調をくずして、寝込んだ事もなかった。 62年1月5日は、夫さんと、私の二人会社を設立したメモリアルディ。忘れることのない日だ。その日・・2月8日は何か変だった。熱はないのだけど、鼻水がとまらず、倦怠感ばかりだった。たしかに、この頃毎日忙しい日ばかりだった。外出続きだった。「疲れてるなぁ・・」 きょうは思い切って、用事は・・すみませんが・・キャンセルして、家でやすもう。  ぐらいの気持ちだった。次の日。やっぱり鼻水がとまらず、倦怠感。エイ、病院に行こう。行ったら・・いきなり「インフルエンザA型です」と、告げられた。渡されたプリントには、あなたはインフルエンザA型になりました。タミフルを5日飲んで、のち2日は外出しないでください。他人に感染の恐れがあります。・・と、明記してあった。ガーン。 7日も家でじっとか。・・わかりました。だいぶ疲れていたのだろう。寝ても寝ても・・いくらでも寝れた。これは、神様の与えてくれた休日と思って・・ただただ家で ボー としていた。いろんな事を考える時間もあった。もし、今貴方の望みが叶うとしたらなんですか・・と聞かれたら・・「はい、もう一度、夫さんに出会ってお喋りしたいです」・・・絶対に、ありえないけど「会いたい・・」  と、思った。

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  • 23Nov
    • ついの棲家・・どこに。

        母の亡きあと、十年間も一人で頑張ってきた父が母のもとへ逝った。 享年九十才。そして、今、私は住む人のいなくなった鹿児島の実家の遠距離後片付けを、ずっと、ずっと、し続けている。 次から次に物がある。きょうの後片付けは、山ほどある手紙類の整理。なかでも、似ている内容の通知葉書が目についた。 父の友人の夫さんを亡くした奥様達で・・四枚もある。  「一人暮らしもままならず・・」 「寄る年波には勝てず」 等の前置きがあって。 「この度、ながく住んだ故郷を離れて、(都会に住む)子供の近くのホームに入居しました。」 と、ある。 お洒落なカタカナ名前のホームばかりだ。  父も母もこの家で亡くなり、この家がついの棲家だった。 母は体調を崩して、三年程グズグズいって・・最期の半年は寝たきりだったけど、眠るように逝った。癌で辛くて、「痛い」とは言っても、「入院する」とは言わなかった。父もそれを受け入れた。 父は延命治療を断り退院して、自宅に帰り、数日後に静かに逝った。 その自宅に帰った短い時間に、私に別れの句を残し、まね事だったけど、二人でお別れのお酒もした。知人に背負われて家中の見納めもした。 亡くなる前日は、誰かきているようで、天井を指さしてなにか「ぶつぶつ」言ってた。母がお迎えにきたのだろう。私には聞き取れないのが残念だった。  今、都会で、私は夫を見送り、奥様達と同じように、シングルライフだ。やがて、やってくるであろう80才台になった時。・・もし、元気でいたら・・娘のところ・・イエイエこの家・・それとも・・。 私はどこをついの棲家にしているのだろうか。賑やかだったあの時を思い出しながらそう思った。

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  • 21Nov
    • ストーブ・・やっぱり イイネ!

       カレンダーをみると。 そろそろ12月。そこまでお正月が見えてきた。・・そして、やっぱり寒くなってきた。 先日の秋晴れの日。炬燵布団、冬布団は、ベランダ一杯に広げ、フカフカになった。 今年はエアコン暖房と並行して、石油ストーブも使おう。・・非常時用に仕舞ってあったのをだしてきた。   二方を道路に面した二階の角部屋。ここが私のお気に入り。いろんなことを楽しんでいる。 二方の窓からはいろんな風景が楽しめる。この前まで、青かった田圃は、今は茶色一色だ。行きかう人も・・もう防寒服になっている。車もみていて飽きない。去年の雪の日は、シンシンと降る雪を・・ただただ、ずっと、眺めていた。 窓側のテーブルにパソコン置いて、いつも、ゴソゴソしている。 きょうは「えーと。年賀状は何枚ほど、いるのかな」と,古い賀状をくっている。 ストーブの上には、先日収穫したさつま芋が、ちょうど良い焦げ目と、プンプン良いにおいで焼きあがろうとしている。やかんのお湯もシュンシュン沸いてきた。 コーヒーにしよう。 このストーブ。炎の色が優しくて、部屋全体を暖かく包んでくれる・・癒される。 あまずっぱい青春の時、下宿で、いつも同級生が、ストーブの上で調理していたのを思いだした。 ある時は、大鍋にただチキンがいれてあって、味つけなしでも美味しかった。 フライパンにソーセージの日もあった。 ストーブは、調理器具にもなるんだ。・・明日は、「おでん」をのせて、その横でゴソゴソしよう。

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  • 13Oct
    • 真夜中のギター♪

      こんにちは。 10月も、ほぼほぼ半ばです。・・明日は土曜日。運動会のところもあるようです。 お天気に恵まれますよう願っています。 青春のひとときを思い出して・・エッセイを書きました。 朝日新聞リ・ライフ面で、シニアの選ぶ曲の三位に「真夜中のギター」が入っていた。「えっ」、一瞬、タイムスリップした。  その時、私は女子寮にいた。広い和室に押入れだけのシンプルな、4人部屋。玄関横は寮母さんの部屋。規則は厳しく、娯楽室に一台あるテレビは8時まで、電話は取次ぎ、外出は届け必要、外泊は×、男子禁制という当時は当たりまえだった。  そんなところだったが、いつもギターやマンドリンを弾いて楽しく歌っているグループがいて。私もちょっと入って歌ったら、「○○ちゃん、調子はずれている」と言われ・・・・・・「フン!」。以来私は音痴を自覚して、歌はずっと苦痛だった。  ところが、卒業して、社会人新人の時。当時のお決まりの忘年会で・・それは、大広間にズラーと座しての大宴会・・で私は歌を披露するよう上司に言われた。「ガーン」奈落の底。 仕方ない。次の日から猛練習。選んだ曲は「真夜中のギター」取り敢えず、テープレコーダを友より借りて、毎日、毎日、一人猛特訓した。当日。・・ドキドキしながら、お気に入りの緑色のミニスカートスーツで歌った。当時のこと、アカペラだけど、歌えてよかった。👏拍手。 先日、義兄と姉夫婦とカラオケでこの曲を歌ったら、三橋美智也メドレーの歌自慢の義兄と同じく88点もでた。まだ他曲は音痴ぎみだけど、この歌だけは「はい、自信あります」と言える。♪ギターを弾こうよ♪さん、これからも宜しくね。        平成27年11月 記

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  • 28Sep
    • 私はお見舞い・ウェルカム

       こんにちは。 来週からもう10月です。・・つい、この前、新年の挨拶をしたのに・・光陰矢の如し・・実感してます。 そんの、2017年の新年早々の出来事を書いています。  年明け早々。70才の壁前後の知人3人があいついで、一人は病気入院・一人は手術・一人は緊急搬送で入院した。   幸い早期発見・治療で今はそれぞれ自宅に戻り、もとの日常を取り戻している。 私は3人とも、それぞれに違った病院にお見舞いに行った。   2年前。「もしもし私、今入院してるの」と、暫くご無沙汰の彼女から電話があった。「えっ」夜の病室からの長電話で最後に「体調に波があるからお見舞いに来ないで」とお願いされた。 続いて、同じ年、頻繁に会っていた友人。健康診断で病気がみつかり、手術することになった。 「早期だから、心配しないで。お見舞いは不用ですよ」と。  私は、この時二人ともお見舞いは遠慮した。  今、長い付き合いのママ友。もう二人共孫あり。ご主人を亡くし、小さな小売店を一人で守っている。 最近、眼にトラブルがあって「三度の食事は忘れても目薬は忘れないように。手術になりますよ」と申しわたされ、レジには「12時めぐすり」と、メモが貼ってある。 そんな日々の生活だけど「店が閉まっていたら入院しているから。お見舞い宜しく」と。 周囲の人に明るく言っている。隠さず。堂々で「イイナ」と思ってしまう。  さて、私。立派な病気入院予備軍。これから入院があった時。ノーメイク、弱ってヘロヘロ状態かもしれないが。 日々の生活が静かすぎるシングルで、お喋りもしたいので。 「お見舞い、ウエルカムですよ」にしようかな。

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  • 27Sep
    • スローフレンド

      こんにちは。朝のうちは、晴れていて秋日和を思いましたが、予報どおりに午後からどんよりしてきました。夕方からは雨の予報です。そんな、9月27日・・水曜日です。 先日の、のんびりした日の出来事を書いてみました。 ある日の昼下がり。ゴソゴソしていると、ピンポンが鳴って、友人がやって来た。 「突然、ゴメンな」と。イエイエ、どうぞ、どうぞ。同年齢の彼女は、ママ友で、そろそろ40年近いお付き合いになる。 ここ数年は年(ねん)に片手ほどしか、会わないのだが、永く続いている。 もう、お互いに、子供たちも片付いて、孫もいる。そして、今、私も彼女も、夫を亡くして、一人暮らしをしている。 美味しいコーヒーを淹れて、近況など話がはずむ。が、やっぱり最後は、ひとり暮らしの「いろいろ」や、「これから」になる。 彼女が「これからはな、ジリツして生きていかな」と言って、突然、そこにあった紙にペンで「この自立ではなくこの自律」と漢字2文字を大きく書いた。なるほど。 後日、びっくりぽんだけど、訪問のお礼の葉書が届いた。「えっ!」葉書って、こんなに新鮮で、なぜか嬉しいものだったの。改めて再認識した。突然のおじゃまで・・と、前書きがあって、子供達は、それぞれ成長し、私たちも「何か忙しそうに、楽しそうにやってるで」と子供達から思われたら上等・・と書いてあった。又、なるほど。 私も、「楽しいひとときでした・・次にお会いする日まで、お元気で」と、葉書を書いて、ポストインした。

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  • 20Sep
    • 娘さんの結婚・・赤い糸に結ばれて

      こんにちは。秋の始まり・・こんな時は、忙しかったけど、楽しかった日々を思って・・ 平成十六年お正月。同居で、社会人の娘が「誕生日のプレゼントなにがいい」ときいてきた。十日が私の誕生日。私は、はっきりと、「ムコドノです」と言った。 それが、現実となった。ご縁とは不思議なもので、長いこと、私一人でヤキモキしていたのが、嘘のように。アットいう間に、学生時代の同級生と、翌年の一月にお式を終え、彼の赴任地のメキシコへ、娘は、旅立った。娘、三十歳前、丁度ひと月の吉日だった。「おめでとう。よい人に会えました」 ・・今、思いだしても幸せな気持ちにひたる。この時の娘からのプレゼントはお手紙付きだった。・・「先日、梅田でばったり大学の時の同級生のA君と会いました。話がトントンと進んで、A君の段取りで、T君と三人でお茶しました。T君はA君の親友で、今は仕事の都合でメキシコ在住ですが、正月休暇で日本に帰国してました。ずっと私の事がすきでした。と告白され。プロポーズされました。・・T君のよいところが、沢山綴られていて最後に、結婚したいと思います。・・とあった。夫も私も「えっ。いつのまに。知らんかった。・・勿論、大賛成です」 その年の五月の連休に、メキシコからお土産を持って、婿殿は我が家に挨拶に来た。婿殿・・「結婚させて下さい。」夫・・「はい、どうぞ」この言葉を聴くまで、エライ時間がかかった。婿殿は緊張しまくりだし、夫は、どうぞどうぞと、ビールばかり勧めていた。私も娘も、話をつなぐのに必至だった。婿殿を駅まで送っていくのに、二人が、幸せそうに手をしっかり繋いで、歩いていた後姿が、今でも思いだされる。 海外生活の長い婿殿の希望で、お式は日本らしくと平安神宮でとなった。ちょうど、あのプレゼントは・・ときかれた日から一年後の一月九日。みんな笑顔で、娘の白無垢が、婿殿の紋付が、夫のタキシードが、私の留袖が。 出席していただいた方、皆がピシッと決まった正装で、はなやかで。いつ、この時の、お写真をみても嬉しい。ピカピカと光っている。・・だけど、京都の冬は寒い。どのシーズンも、平安神宮の記念撮影は、神宮の緑にかこまてたお庭と決まっているらしい。参拝にみえた方々からも祝福をうける。けれども、季節は大寒まっただなか。みんなお庭に、コートなしの正装で、何回も立ち位置を直されたり。裾のお直し等で、ブルブル震えての撮影だった。一番高齢の父は「きょうは、耐寒訓練ですか」と言う程だった。・・けど、みんな輝いて、ニコニコで。この光景は昨日のように、はっきりと覚えている。娘の結婚式。私にとって、生涯忘れられない日です。

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  • 06Sep
    • カラスの襲撃 ひとり生き延びたツバメ雛

      五月末頃。ガレージにツバメのカップルがウロウロしているなと思っていたら。いつのまにか、愛の巣を作り、五人の雛が産まれた。朝から晩まで、親鳥は餌を運ぶ、食べさせるの繰り返しで、順調に育ち「チッチ、チッチ」と、鳴き声も逞しく、大口をあけて餌を貰っていた。この光景、誰の気持ちも優しくさせる。ところが、2日前、夕方に巣を見ると、朝にはいた雛が全員いない。カラスに襲われたのだ。夜があけるのを待って、ガレージを再チェックすると、親鳥が自転車のそばを飛んでいる。車輪に、一羽生き延びていた。かなり、弱っている。半壊の巣に戻してやる。一日中、様子を見ていたけど。じっとうずくまっている。親が餌を運ぶ様子もない。このままでは死んでしまう。どうしよう。「困った」そこへ、偶然、兄から用事の電話。ついでに雛の保護を聴くと、「雛の口をあけて、ミミズを食べさせてみて、生きれば何とかなる」との事。すぐ、畑でミミズを捕ってきて、たべさせる。なんとか4匹食べてくれた。翌、早朝に、巣をみると。良かった。生きていた。朝のミミズを食べさせようと、手にだいたら・・「あっ!」さーと、元気に飛んでいった。元気になったのね。心配だけど、もうあとは、運を天にまかすしかない。強運のツバメさん。どうか、どこぞで、親に出会って、このまま元気で生き延びてください。そして、来年、又我が家に帰ってきてください。再会できるのを待っています。

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  • 04Sep
    • 心配だけど、ただ連絡を待つことに・・

      「驚かないで。私は今、入院してます。12階のここから貴女の住む町の夜景が綺麗です」と同級の友からメールが来たのは、7月。「えっ」と思ったら。即、追伸で「会話する体力無し。お見舞い来ないで」と。お見舞いは遠慮したが、日をおいて、彼女の携帯に電話しても応答はなかった。 なにがあったの。わからん。取り敢えず、近況報告を兼ねて、暑中お見舞い葉書をだした。彼女から連絡が来るのを待つことにした。 ずっと心配の、ほぼ2ケ月たった夜、やっと「有難う。何とか元気になりました」と、電話がきた。きけば、最初は病名がわからず、あらゆる検査をうけやっと病名がわかり、治療が始まり、症状が改善して、退院できたこと。それまでは、いろいろ辛い症状ばかり。食べれず、体重は一気に39キロまで落ちたこと。次から次に話題は尽きず・・電話は続く・・ふっと、明るい声で、「今一番嬉しいのは、普通の生活、家にいて、ご飯の用意、掃除、洗濯と、あたりまえの事が出来る事」と。そして、「病院で美味しかった料理を、思いだしながら、作っているんよ」と。台所好きの、彼女らしい言葉だった。 良かったなあ。笑顔で話せて。次は、もっと元気になって、「お茶しませんか」のメールを待っています。

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  • 21Aug
    • KちゃんとYちゃん

      先日、真夏のうだるような暑さの日。用事で梅田へでかけ、混雑するデパートを歩きました。ネットで簡単にお買い物はできるのですが、贈答品には、やっぱり「ブランド包装紙」の信用をえらんでしまいます。その時の出来事をエッセイにしました。平日の昼下がり。用事で出かけ、帰りにスーパーに寄った。ガラガラでクーラーがきいていて疲れた足に心地よかった。陳列商品を見ていると、ポンと肩を叩かれた。振り返ると「えーと、名前は思い出せないけど、お久しぶり」と、声をかけられた。私も同様に彼女の名前が思い出せない。「私はKですが。貴女は誰だった」「私はYですよ」そうだ。Yさんだった。 40歳代の時。町立体育館のバトミントン教室生徒募集でお知り合いになった人だ。いつの間にかそこは二人共離れたが。狭い町内なので、こうやって、何年かに一度バッタリ出会うのだ。 「今なにしてるの?」から始まって暫くの立ち話。近況や、共通の友人、孫の話などでで盛り上がる。二人ともそろそろ古希目前の年金生活者で、時間金持ちになっていた。なにより、年相応に元気で、お口も、足も、達者でよかった。 最後に、これから私の事「Kちゃん」と覚えておいて。 私は貴女の事を「Yちゃん」と覚えておくので。と、言った、ら「子供みたいで可愛いなあ・・」と即答返事だったけど。ハハハ、ハハハと笑って「またね」と言って別れた。家も電話番号もしらないけど、面白かった。

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  • 13Mar
    • ナウ・グランマ・・エッセイ

       心がポキッと折れた日は・・・しばらく落ち込んで・・・ふっと気を取りなおして、楽しいことを考えよう。嬉しいことがあった日は・・・素直に喜ぼう。平穏無事の日は、この平凡な日常が、一番幸せと、改めて自分にいいきかせよう。  キラ! 今をいきている・・ナウ・グランマのエッセイのページです。

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