
今回は、個人セッションを受けられているM.Fさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。
> ヒロさん
>
> 昨日は有難うございました。
> 昨日6/1のセッションの感想を送ります。
>
どうもありがとうございます。
> 昨日の共鳴では、アイコンタクトまでは
> あまり深い瞑想には入れませんでしたが、
> ハートの共鳴からはいつものように
> 深い瞑想に入れたように思えました。
>
いいですね。
とても深く入られていらっしゃったと思います。
> さて、先週1週間で、結構自分自身で
> 新しい気づきがあったような気がします。
>
> まず、瞑想中に感じていた体全体のここちよさ、
> それが対象のない感謝の気持ちになり、
> それが先週には理由なき幸福感になったような気がしました。
>
素晴らしいですね。
在ること(存在、真我)から無条件の幸福を
感じられていらっしゃったのだと思います。
本当の幸せに、理由や条件は必要ありませんね。
存在から溢れる心地よさへの感謝は、
自らの存在に対する敬意の印となり、
その気持ちが心やハートをオープンにし、
より恩寵を感じられるようになっていきます。
> いままで本やセミナーで何回も読んだり聞いたりしていた
> 「今の自分が最も幸せである」という事に対し、
> どうしても理解できませんでした。
>
本やセミナーはとても良い参考になりますが、
マインドでの理解が中心になることが殆どですね。
最も幸せな状態を腑に落として頂くうえでは、
マインドの理解を超えていく必要があります。
マインドを超えて今在るものが真の幸せであり、
その幸福感は存在そのものが直知することです。
> しかし先週、理由なき幸福感を感じた時に、
> この事を言っているのだと少し解ったような気がしました。
>
自らがそうなった時に、言われていたことが、
はじめて腑に落とせることがありますね。
本当の意味でご理解できるタイミングというのは、
自らの体験(体感)に勝るものはないとも言えます。
> 自分は今までマインド(思考)の中で
> 幸福を探していました。
> その場合はどうしても条件付の幸福になります。
>
> ・・・があれば幸福にならる、
> ---が改善すれば幸福にならる、
> 悟れば幸福になる とか、
> すべて条件付の幸福だったんですよね。
>
仰るお気持ちとても分かります。
マインドから求めようとする幸福は、
殆どが条件付と言えるかもしれませんね。
条件付の場合は、逆に捉えると、
そうならなければ~ではない、
ということにもなってしまいます。
そして、そうなるまで求め続けることによって、
なかなかそうならないことから葛藤が生じ、
その葛藤から更なる不安や悩みを増幅させ、
いつまでたっても幸福ではない状態が続きます。
そうなることを求め過ぎたエゴが執着となり、
その執着が今在る幸福を盲目にしてしまい、
マインド自ら幸福を遠ざけしまう場合があります。
マインドの中で条件付の何かを求め過ぎてしまうと、
そのようなループに陥ってしまう可能性がありますね。
ちなみにこれは、以前の僕が陥っていた状態でもあります。
もちろん、条件付の何かを求めること自体が
悪いということをお伝えするつもりではありません。
相対的なこの世界の流れでは
そう成ることを目指すプロセスの中で、
そう成っていない逆の経験をすることも、
そう成れた時の歓びを大きくしていきます。
> やはり、無条件の幸福とはマインド(思考)の
> 外側に存在していたのだと思いました。
>
> ただ理由も無く幸福だと思える事で、
> 最近まで自分の中にあった「早く悟りたい」
> という気持ちが薄らいだように思えます。
>
とても良い兆候ですね。
悟りとは、まさにその状態とも言えます。
何かの理由や条件が必要のない幸福感を、
自らの存在そのものが味わっている状態です。
> 次回もよろしくお願いします
>
>
> M.F
>
また次回もよろしくお願いします。
どうもありがとうございました。
ヒロ