私は中高一貫の
私立女子校出身ですが
そこはプロテスタントのキリスト教系学校でした。
ていうかキリスト教系学校しか受験しませんでした。


何故そうしたかって
「完全週休二日」!!!だったからです。
キリスト教では
「日曜は教会に行く安息日、土曜は休日」とされているので
おおかたの学校が土曜半ドンだった当時、非常に魅力的でした。
それ以上の意味は全くありませんでしたが、
今、宗教教育の学校で良かったと思っています。


何故なら
カルトについて教えてくれるから。


宗教は非常にデリケートな問題でして
公立校ではほぼタブーに等しい扱いを受けています。
学校で宗教に触れることはなく
道徳の授業でも神を持ち出すことはなく
国語の授業の読解をやるときに良心について講釈垂れることはありますが
その良心が何処から来ているのかに言及することはなく
宗教や信仰など日本という国には存在しないかのように、
物事が進行していきます。


背景には、皆さんご存知のように
特定の信仰を意識的に持つ日本人が少数派だという事実があり
更に、戦争への反省から神道という言葉さえ回避されている現実があると思います。


だから日本人は全体に、宗教という言葉に対する感受性が薄いと感じます。
自らの内にある宗教観に無自覚で、
宗教という言葉にはアレルギーにも似た反応を示す無防備な態度、
だからこそ、危険なカルトに対抗する知識を持たなきゃいけないのに
公立校ではその授業が出来ない。
特定の宗教思想に対する偏りになってしまうからなんですね。
新興宗教にはカルトが多い、と先生が教えたときに
じゃあ先生は伝統宗教に肩入れをするのか、という話になっちゃうでしょ。


その点私立の宗教系学校はいいんです。
宗派教育だから、自らの宗教の立場でものを語れます。
もちろん各宗派の授業があって、全く興味のない宗教思想を押し付けられたりもしますが、
それも知識の一環である、と受け止めることができるとけっこう楽しかったりします。
(もちろん染めにくる牧師には全力で抵抗します・笑)


そして各宗派の先生たちは
自分の宗派から見た「カルト」の情報を生徒に教えます。
何故そう言われるのか
何をやってきたか
伝統宗教とどう違うのか
どんな風に声を掛けてくるか、まで教えてくれます。
私もそういった授業を受けました。
私はまったく平均的な日本人で
家に葬式仏教はありましたけれども、
一族に特定の信仰を持つ人間はおらず、
キリスト教徒でも何でもありません。


その授業はまっとうなものだったと記憶しております。
大人になって様々な知識を得た今でもそう思いますから。
犯罪行為で問題になったものをまず取り上げ、その後伝統的キリスト教に似て非なるものについて、違いを教えてくれました。


カルトと言われる宗教に入っていたって
害がないならいいじゃない、という言説もあります。
何をカルトとするか、という問題も絡むので
その主張には完全に反対はしません。
ただ、何らかの害が生じてしまう確率は高いので
我々は悪質なものからは身を護る必要がある訳です。


国際化やグローバル化が叫ばれていますが、
文化が異なる外国人と共生するということは、
宗教の異なる人と尊重し合うことでもあります。
日本人は行動の規範が
「ふつうこうだ」「皆こうしてるからこれが常識だ」という価値観に偏りがちだと思います。
そうした時、外国人にはその「ふつう」が通じない。
彼らには彼らの倫理があり、それは宗教に支えられた文化に基づいているんです。
自らの宗教性の自覚は
多文化共生への第一歩でもあると思うのです、よ。






Steve Vai  "Sex&Religion"

この曲が出たときは一部でセンセーションがあったような覚えがあるなあ