邪馬台はやはり熊本の思わしい処ではある。そして小さな文化文明であった。
そして、伊邪那美命は卑弥呼ではなき
イサナの御身は当節、邪馬と言って雨乞いをする巫女のたぐいで御生まれた。
実は巫女は代替わりをする。八歳くらいでデビュー、雨乞いの大儀を担って十二歳から十三歳では引退し、その後は山へ逃いで終生を過ごす者が多かった。
太古においてはやはり雨乞いが非常に重要な意味を持つ。
作物は日照っては実らないうえ、皆の食(じき に関わるからである。
雨乞いは巫女の大事な儀式ではあるが、子が乞いの儀式を行うは大いに発祥せりと考えられもうたものであり、大人はその役目は担わなかった。
卑弥呼においてはその前面にて威をふるい、やはり御大儀をもってせしめ、其雨乞いを十分足らしめせし御役目を司り給うたものではある。卑弥呼は卑弥呼で代替わりがあったもので、新しく巫女が出でては卑弥呼の名を名乗らるものではあった。
邪馬台の邪馬は、よって子の雨乞いという意味ではある。
我は古代邪馬台の記憶が一昨日出たゆえ、今において御隠しておくことでもあるまいという結論にいたり、此処にて現わにするものである。当時の我の人身としての名は、ひこ。一番凩の御身伊邪那岐命は、ひこの御父上であった。
以上をもって邪馬台のひとつの諸明かしとさせていただく。