チロリン村とくるみの木 | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

テレビで最初に子供番組として定着したのが人形劇でした。『チロリン村とくるみの木』は1956年4月14日から64年4月3日まで放送された人気人形劇。62年3月30日までは週1回の放送でしたが、4月2日からは月~金の帯番組に変更。

野菜たちと果物たちが暮らすチロリン村を舞台に、些細なことから発生したトラブルや、村をゆるがす大事件を、ピーナッツのピー子(黒柳徹子)、タマネギのトン平(横山道代)、クルミのクル子(里見京子)の三人が力をあわせて解決していく物語。両親のいないピー子はカボチャの叔父さん(太宰久雄)と暮らしています。ナンキン(南京豆と南瓜)つながりですかね。とん平には母がおらず父親と二人暮らし。クル子はガンコ祖父さん(ガンコというのはあだ名でなく、ちゃんとした名前)とママ。片親設定というのは、戦争の傷が当時まだ残っていて、片親の子を勇気づけるためでしょう。黒柳徹子・横山道代・里見京子の3人は、NHKの子供向け人気ラジオドラマ『ヤン坊、ニン坊、トン坊』で主演しており、3人の呼吸はピッタリ。『ヤン坊、ニン坊、トン坊』は、中国の山奥に住む三人の兄弟猿が両親を捜しにインドを目指して旅する物語でした。私の好きな番組で、3人が歌う主題歌をよく歌っていました。挿入歌もいろいろあって、このへんのドラマ構成は『チロリン村とくるみの木』にも踏襲。主題歌だけでなく、挿入歌がふんだんに出てきます。

チロリン村の住人で憶えているのを羅列すると、トウモロコシの村長、ジャガイモ和尚、パイナップルとレモンの散髪屋夫婦、アスパラガスやバナナもいましたな、

チロリン村には野菜や果物だけでなく、動物も住んでいます。最初から登場していたのは、モグラのモグモグとネズミのタコチュウ。野菜を食い荒らすモグラとネズミなので、チロリン村でも最初は悪者。モグモグとタコチュウのボスがコウモリのブラックバットでした。彼らと戦うのは、保安官の人参レッド。♪~レッド、レッド、人参レッド、正義の味方~と歌いながら馬に乗って現れます。ブラックバットと撃ちあって死んだ時は悲しかったなァ。ブラックバットも死に、モグモグとタコチュウは改心。その後、スカンクのガスパ(八波むと志)やイタチのプー助(一龍齋貞鳳)などが加わります。八波むと志が急死して、代役がみつかるまでのしばらくの間、ガスパは病気で声が出ないことにして、マスクをかけていたことがありましたね。

私がよく観ていたのは59年頃まで。野菜などの擬人化が面白く、時代を風刺化するところもあったのですが、後になるほど幼稚化した感じでした。私も幼児から物心つく年齢になってきましたからね。

人形操作は劇団やまいも。ギニョールと呼ばれる指人形ですが、人形が重くてかがんだまま操作するのは大変だったとのこと。小野寺昭は、役者になる前は劇団やまいもに在籍しており、『チロリン村とくるみの木』の人形操作をしていました。芝居のセリフを入れたテープをもらい、カット割りを頭に入れ、スタジオでテープの声にあわせて、足元のモニターを見ながら人形を操作する作業により、ドラマ・映画の撮影時のカット割りの要領を独学で覚えたそうです。

 

56年当時、『チロリン村とくるみの木』より好きだったのが、結城座が人形操作するマリオネット(操り人形劇)の『テレビ天助武者修行』です。

天助は生まれてまもなく、お守りと一緒に天狗神社の前に捨てられ、天狗に育てられます。天狗に武術を学び、不思議な力を持つ羽ウチワと千里の鏡をもらい、本当の父を捜す旅に出発。旅の途中で山賊や海賊などの悪者と戦う冒険物語でした。

背中にリュックのようにテレビを背負っているのが特徴です。細かい内容は憶えていませんが、巻物がひとりでにスルスルとほどけて広がってゆくタイトルだけはよく覚えています。フィルムに撮っておくと画質が違いすぎるので、毎回スタッフが糸を操って巻物の紐を解いていたとのこと。ギニョールと違ってマリオネットは舞台造りも大変で、放送のたびに舞台の上に人が乗っても大丈夫な頑丈な屋台を組んでいたそうです。人形劇といっても、バカにできません。

ギニョールやマリオネットの他にも影絵人形劇がありました。『ピーターと狼』とか『家なき子』といった名作童話を放送。影絵人形劇団って、今でもあるんですかねェ。