息子たちが20歳をこえたので、月に1度くらい、マンツーマンで缶ビール1本と焼き鳥と餃子、からあげ、ポテトサラダなどで晩酌します。
こういう時、なんかスーパーのチョイ売れ残りの総菜の方がうまいと思うのはなぜ?
時間にしたら、小1時間ほど。
彼らの話を私が傾聴する形です。
学校のこと。
バイトのこと。
友達のこと。
将来のこと。
困っていること。
気になっていること。
やってみたいこと。
今夢中でしていること。
私は、ノージャッジで、彼らの話を引き出すことを心掛けます。
意外に嬉しそうに話すんですよねー。
私としても、彼らの今を体感できるので、面白いです。
思春期の頃、私は両親や弟たちと毎日たくさん話をしていたけれど、実のある対話はできていなかったです。
代わりに、本と対話し、日記に話を聴いてもらって、自己を育てました。
今、私が彼らにしていることは、昔私が親にして欲しかったことです。
つまり、自分の想いをライブでありのまま受容してもらうこと。
コミュニケーションの土台の部分です。
私は、社会人になってから、大いに恥をかきながら自分で身に付けました …。
合理的に考えると、彼らと飲むのは、生産性のない時間です。
けれど、こういう間が、記憶に残り、人生の彩りになるから不思議です。
離れて暮らすようになったら、もっと切実に、懐かしくなるのでしょうね。
今がどんなに貴重かを、ライブでかみしめています(涙)。