大学生の息子たちへ伝えたいこと 目の前の人に集中する編 | 愛を行動で表わす生活をしています(*^_^*)

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自分の大好きなことをして、会いたい人と一緒の時間を過ごす毎日は幸せです。日々の暮らしを通して感じたことを表したいと思います。

この時期だけ、私はスタバに毎週1回行きます。

 

悪魔的おいしさ故に5分で飲み干してしまうさくらフラペチーノに惹かれながらも、一足早く春気分にしてくれるさくらラテを味わうためです。

 

昨日、最寄り駅近くのスタバで、大好きな作家のエッセイを読みながら、さくらラテを頂きました(おいしーい♡)。

 

 

 

30分くらいたった頃、隣のテーブルに20歳くらいの男の子ふたりが座りました。

 

小さなテーブルに小型ノートパソコンを置き、地球の歩き方を広げ、話し合いを始めました。

 

漏れ聞こえる話を総合すると、来月トルコに行く旅の手配を相談しているようでした。

 

 

 

え?

 

来月出発する旅の話を今してるの?

 

しかも2人とも、初海外で初バックパックなの?

 

行き先トルコで、日本発は中国系の航空会社で、別の航空会社への乗り継ぎもあるの?

 

もうパスポートは持ってるよね?

 

と、息子たちと同じ年頃の彼らのことが諸々心配になってきました(ホントに余計なお世話ですが)。

 

 

 

すると、私と同じ窓側に座っている子のスマホに着信がありました。

 

彼はするりとそれに出て、席に座ったまま、話し始めました。

 

向かいに座る彼は、黙って地球の歩き方を読み始めました。

 

 

 

この着信は、急ぎの用事なのだろうか?

 

席も立たず、一緒にいる友人の前で、8割ほどの入りのスタバ店内で話すんだ…。

 

彼の通話は、15分ほど続きました。

 

その後は、まるで何もなかったように、2人はトルコ旅行の話を再開しました。

 

一見2人は楽しそうに見えるけれど、私は、違和感を感じました。

 

 

 

私は、年に数回、友人と飲みに行ったり、食事をすることがあります。

 

その時、私はスマホはカバンの中にしまっています。

 

相手は、年代によりますが、カバンに入れたままの人、テーブルに置く人さまざまです。

 

着信や通知があった時、確認した人はいましたが、通話や返信をした人はいませんでした。

 

誰しも、家族や仕事を持っているので、緊急の場合、対応するのはOK。

 

でも、目の前に座ったまま電話で延々と話し続けられるというのは、私は嫌です。

 

対面で食事などをしている時に、通話やlineなど他に意識を向けられるのは、自分がないがしろにされたように感じ、悲しい気分になります。

 

 

 

デジタルネイティブな世代からすると、お互い様で気にしないのでしょうか。

 

でも、現に今一緒にいる自分ではなく、スマホの向こうにいる遠くの誰かを優先されるのは、無自覚に傷ついているんじゃないかなと感じます。

 

少なくとも、50代の私は、2度と一緒には食事に行かないくらいには、気分を害します。

 

社会人になって、色々な年代、立場の人と付き合う時は、相手の表情や違和感などに心を配って、自分の行動を修正できる技量を持てるといいねと思いました。

 

 

 

ごくまれに、コンビニで、「え、私、確か客だよね?」と確認したくなるくらいぶっきらぼうな若い男性店員にあたる時があります。

 

そんな時は、呪文のように、「この子は、外国人かもしれない、もしくはここはニューヨークなのかもしれない。お金が合っていればOK」と自分に言い聞かせています。

 

といいつつ、私も常識破りなことはたくさんしてきているので、70代、80代の方々には、「お前が言うな!」と𠮟られそうですけれどね。