イギリスのゾンビと日本のミイラ | ★ワルプルギスの夜★

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つれづれなるままに・・

ようやく、黒澤明監督の『生きる』を観ることが出来た


いつもは、オリジナル作品に敬意を払って
出来るだけリメイク作品を観る前に鑑賞するよう心掛けているけれど
『生きる』は、新旧作どちらも高評価らしく

いつまでも📀レンタルの在庫が「貸出中」の表示のままだった
昨年末にようやく「貸出可」になったのは『生きる LIVING』の方



今回はやむを得ないものとビル・ナイ主演作を先に鑑賞して、
予想以上に感動したものだから
ますます、

黒澤明監督の『生きる』に対する期待値のハードルを上げていたが、
結論から言えば、

リメイク作の方が洗練されていて、より涙腺を刺激させられた

ビル・ナイがオーラを完全に封印して、
市井の、お役所で働く一課長を実にリアルに演じていて、
医師から余命僅かと宣告されてうなだれ、

家族に告げる事を躊躇する姿や、
眩しいばかりの若さを感じさせる女子職員と会話する場面で
素直に驚いたり、目を細めたり、

思わず心情を吐露する際の表情が堪らなかった
ピアノの伴奏で故郷の古い唄を口ずさむシーンもしみじみ良かった





そして何と言っても、
土砂降りの雨の中、陳情先の地区に出向く時の

颯爽とした姿は忘れ難い
英国版で心に残った場面が、オリジナルではどの様に表現されていたのかと
本当に楽しみになった

そんな思惑とは裏腹に、黒澤作品は
泥臭く、主人公=渡辺氏は過剰な程に目を見開いたり
若い女子職員がちょっと引くくらいワナワナしたりするので
たとえ同情されても敬遠されちゃうよ‥と心配になったくらい🐇






それでも、やはり英国版は後出しジャンケンだと思う
いずれの作品も1950年代を舞台にしているけれど
現代にも通じる“お役所仕事”への痛烈な批判と
それまで、生ける屍として課長職の席を温め続けて来た主人公が
あるきっかけで、真に“生きた仕事を遂行すること”に

目覚める物語になっている

リメイク作は、オリジナルをリスペクトしながらも、

主人公=ウィリアムズは、あくまでも品格を失わない程度に狼狽し
あてどなく訪れた店で偶然出会った見ず知らずの客を相手に
抱え切れない思いをこぼし、憂さ晴らしに連れ立って

享楽の巷に繰り出したとしても
決して、ハメを外し過ぎる事は無かった






職場の若い女性からつけられたあだ名が“Mr.ゾンビ”だと知って
驚きながらも、内心的を射た表現だと納得して

憤慨する気も起こらないウィリアムズ
この場面をオリジナルではどんな風に表現しているか興味津々だった
はたして、渡辺氏は「課長さんは“ミイラ”」と呼ばれていた
邪気の無い若手は、案外真実を見抜いているものだ

と感心するそれぞれの課長





今で言う、役所の「すぐやる課」のトップにいながら、
人々の願いを込めた嘆願書が各部署にたらい回しにされた挙げ句、
自課に戻って来たら「保留」の山へ厳かに載せていた
それは、若手が密かに見抜いていた“生きる屍”と呼ばれる

主人公のルーティンワークだった

オリジナル版では、その事実に気づいた時、

渡辺氏は♪ハッピーバースデー♪の声に送られる
偶然、店の中にいた他の客へのサプライズ演出の歌声だったけれど
彼にとっての誕生日を示唆する場面の後、
渡辺氏は、本当に生まれ変わったように行動する





黒澤版は、新生✨渡辺氏の様子をまるで舞台の芝居のように、

ほぼ役所の人々が語り合う台詞で表現していたが
英国版では、ビル・ナイが着々と

“有言実行”を押し進めて行く姿が小気味良かった

たとえ、まだ『生きる』を観ていない人でも
初老の男性が夜の公園で一人ブランコを漕いでいる姿は
この作品の有名なシーンとして記憶に残っているだろう
その姿を目撃した巡回の警官の言葉に、

どちらの作品を観ている時も

思わず、胸が熱くなった





いつかは観るべき1本と思っていた黒澤作品の『生きる』は
良作のリメイク作品を観た事によって背を押された


全体的に重々しく、仰々しい表現も多分に有るけれど
このオリジナル版の『生きる』と言う作品無くして
決して、ビル・ナイの『生きる LIVING』は生まれなかっただろう