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2004-10-31 19:22:08

紳助 ビッグセール

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紳助が暴行の記者会見で、泣いていた。100%自分が悪いと・・・


そんなこと1%も思ってないのに、泣いて・・・みごとなセール。成功するかどうかはわからんが


こないだ脚本家の三谷なんとかが『思っていることと違っていることを言わせると芝居が生きる』と言っていた。謝罪として生きるかどうかとかは別として、思っていることと別のことを言っていることが芝居として面白かった。

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2004-10-30 21:24:00

Star Wars EpisodeⅣ デジタルリマスタリング版放送記念

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Star Wars Episode IのDVDを買った :2001年11月25日



子供らが喜ぶかと思ったら、『StarFoxのパクリだ』と言う始末、全く最近の奴らは・・・

それはともかく。
Star Wars Episode I, Phantom Menaceを見た人なら知っていると思うが、これは凄い映画だ。なにが凄いって、特撮とか造形とか・・・は勿論凄いのだろうけど、もっと凄いことがある。
この映画にはHigh Spotがない。
この映画のDVDを見た後、RAWと闘龍門を見た。
UndertakerとKaneの破壊兄弟が、Test&BookerTに負けるんだが、その負け方というのがこうだ。Undertakerがロープ渡りをしているところにそれを見ていなかったKaneがロープワークをしてしまい、Undertakerは場外転落、その隙にKaneがdouble teamでやられる。メインではVince vs ShaneにHardcoreマッチに次々とメインエベンタークラスの選手が乱入して、最後はアングルが裏切って椅子でWWFの選手を全員のしてしまう。
闘龍門では必ずフィニッシュの前は場外からのちょっかいがあって乱闘になる。これも裏切り者・正体不明の赤毛のマスクマンが牛乳ボックス攻撃。それから乱戦になって最後はツイスターでピンフォールだけど、最後にまた意外なBigFujiが乱入して『自転車兄弟復活だぁ』でおわり。
そう、試合を終わるに当たって何らかの特殊なセットされた動きが必ずある。選手も意外な動きをする。これがハイスポット。

それでだ。 なんでもシュート活字によると、映画には実は台本があって、入念な打ち合わせをして撮影は行われる。特撮もあるし、Juiceもし放題。プロレスのようなライブの制約もない。ハイスポット入れ放題だ。
ところが・・・・Star Wars Episode Iにはそれがない。殆どない。
最初のジェダイの登場シーンくらいだ。

アナキンはPodRaceに勝つ。最初出遅れるが、ゴール前で逆転する。しかし、特別なシーンはなにも用意されていない。ゴール前でアナキンのエンジンが不調になるが、アナキンは心を落ち着けてフォースを使い再調整する・・・これだけだ。PodRaceはストーリーに起伏がなく、ただアナキンが勝ったと言うだけのシークエンスになっている。アナキンが勝つに当たって、特殊なスポットは用意されていない。
ラスト近く、クワイガンとオビワンは再びダースモールと戦うが、これがまた延々とライトサーベルで戦うばかり。他になにもない。そしてクワイガンはダースモールにやられるんだが、なにも特殊なムーブなく唐突に腹を突かれるだけ。ダースモールが悪役らしい汚い技を使うとか、伏線を引いてあった体の不調がでるとか、謎のシスの師匠が念派を送るとかそういう特別な事はいっさいナシ。そのあとオビワンがダースモールを真っ二つにするが、これも特にどうってことなくやってしまう。
これが如何に凄いことか分かるだろうか?
凄いことなのだ。
思えばStar Wars IVもあまりそういうひねりはなかったが、あれはほぼ先駆的な作品だから、全てがハイスポットとも言える。


製作総指揮はあのジョージ・ルーカスなのだ。 RAWの様に毎週有るのではないのだ。 いくらでも各々のシーンをスポットで埋められる。ルーカスが思いつかなくても沢山のスタッフが沢山のアイデアを出すだろう。

なのに、この各山場の決着の付け方の平坦さはどうだ?
一つだけはっきり言える。ルーカスはわざとやっている。
わざと平坦で単調に作り、しかも大ヒットさせているのだ。

スポットがないことはどういう影響を与えるんだろう?儂が思うに、StarWarsは古典だし、Episode Iは古典となることをあらかじめ定められた作品だ。映画館にかけて、テレビで放送して、DVDで売ることを前提として組み立てている。だから沢山のハイスポットは余計なのだ。複雑なスポットを何回も組み入れられたストーリーは古典ではない。
毎週テレビで消化される試合として組み立てられているWWFの試合には沢山のすぽっとが必要だ。沢山の起伏でそれ自体が客を引きつける必要がある。


さてここで問題だ。
プロレスではその試合がどういう位置づけの試合なのか考えてスポットを組んでいるだろうか?単に客に喜んでもらって腹一杯になってかえってもらおうとするだけでいいのだろうか?
『夜も眠れません』

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2004-10-30 19:17:21

第4章:『謎の病気:プリオン病とはなにか? プリオンは呪い』之巻

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さて、前回はどうやって病気になるのか? をプリオンに的を絞ってさらっと解説した。
今回もあまりギャグなく、どうやってプリオン病になるのかを説明する。前回までのおさらいをさらっとすると、プリオン(PrP)はもともと正常蛋白として脳に存在する(PrPc)異常プリオン(PrPsc)が入ってくると次々とPrPscに作り替えられてしまい、それが脳細胞に溜まって脳細胞が死んでしまう。

というわけで、一番有名なCJD(クロイツフェルトヤコブ病)を例にとってプリオン病というものを解説する。
CJDには遺伝性の『家族性クロイツフェルトヤコブ病(fCJD)』と非遺伝性の『散発性クロイツフェルトヤコブ病(sCJD)』と、いくつかのさらにマイナーなVariantがある。
典型的なCJDでは痴呆・痙攀・麻痺などが確実に進行し、半年ほどで死に至る。確立した治療法は今のところなく、致死率100%。 類縁の疾患としてFamilial Fatal InsomniaやGerstman-Straussler syndromeがあるが、いずれも不可逆性に病勢が進行して死にいたる。病因は異常プリオンの沈着だ。プリオンの主な沈着部位とプリオンの遺伝子異常の有無・位置が違うだけだ。

中年になるとCJDを発生する人が集積する家系がいくつかある。(こんな家族はこわいよな)常染色体優性だ。これらの家系ではPrPcのcodon129, 180, 178, 200, 210などでmutationが見つかっている。これらのmutationをもつPrPcは通常のPrPcよりも100万倍PrPscへの構造変換を起こしやすい。一度2個でもPrPscへのconformation変化を起こせば、出来たPrPscはどんどんPrPcをPrPscに作り替えるので、雪だるま式にPrPscが増えて脳細胞に沈着し、CJDが成立する。

家族性(fCJD)と違って散発性(sCJD)に関しては原因はよく分からない。が、外因(原因の特定できない感染症)の場合と内因(体内的な原因)の場合の両者があると思われる。内因としては、プリオンの遺伝子に突然変異が起きたために、家族性と同じ機序で発生することもある。しかし、そのような遺伝子に原因がある例ではなくて、たまたま何らかの偶然による構造の変化や合成ミスでPrPcがPrPscに成ってしまったという機序も想定されている。1度間違えると元の遺伝子が正常であろうがどうであろうが、どんどんPrPscが複製されていく。もうどうしようもない。ちょっとつまずいて、たった2ヶの蛋白の構造がたまたま変わってしまっただけで取り返しのつかないことになってしまう。(2個というのは、PrPscが2量体で働くからだ)
外因では外科手術、動物との接触などがリスクファクターという報告もある。その内の幾つかは医原性のCJDであろうし、今まで注目されていなかった狂牛病もどきの感染症もあるはずだ。 後者の方ははっきりとは言えないが鹿や野ウサギとの接触を感染源として想定する報告や、北アフリカのユダヤ人の特殊な食生活がCJDの原因とするものもある。スクレーピーのPrPscが集積する羊の眼球を食べるのだそうだ。医療との関係が明らかなものは医原性CJDで、今まで日本では100弱の例が報告されている。
・・・いずれにしてもこういう外因のCJDは元となるプリオン病が何らかの内因で形成された後他の個体に伝播しておこるものにすぎないので、病気のOriginではない。感染性のCJDは必ず1匹(または一人)のCJDを感染源として起因する。スクレーピーもBSEも、クールーもそうだ。BSEやスクレーピーのようなどんなに広がった病気であれ、どんなに社会的な影響のあった病気であれ、たまたま一匹(または一人)のたった一個の脳細胞の中でたった2ヶのPrPscが偶然形を変えただけのことからおこったものなのだ。

パプアニューギニアのFore族の人は太古から死者の脳を食べてきた。おそらく今世紀に入ってから一人がCJDになって、死後食べられ、病気がうつって死後食べられ、を繰り返し、CJDに類似するがやや病態が異なるクールーが成立した。
こういう偶然の連鎖は『呪い』と言う言葉がぴったりかも知れない。

外因性のプリオン病の場合、外から入ってきたPrPscがうまく自分の仲間のPrPscに作り替えやすいタイプのPrPcがある。それが病気のかかりやすさに影響する。BSEはPrPの129番目のコドンがMet/Metである個体にしか感染しない。おそらくBSEのPrPscはMet/MetのPrPcしかPrPscに変換できないのだろう。(BSEは新しい病態なので変換効率がとても弱いだけの可能性もある)。人の60%はMet/Metではないので、3/5の人は狂牛病牛を食べても大丈夫。

さて、羊スクレーピーが牛に来て、BSEになる。入ってくるPrPscは羊のPrPscだが、牛の中では牛のPrPcを原料にするから、出来るのは牛PrPcを材料としたPrPscだ。←ここのところを慎重に読むように。  普通に考えれば予想がつくと思うが、牛にとって異種の羊のPrPscよりも牛のPrPscの方がより効率的に牛PrPcを転換するだろう。だから羊のスクレーピーによって発生したと思われる牛のBSEのPrPscは牛への感染に向いている。牛に広がったBSEや羊に広がったスクレーピーは同種(牛)のPrPscを感染源としているから、経口感染が成立しやすい。人のKuruもだ。危険な牛を腐るほど喰っていたイギリス人が全滅しなかったのはこの種の壁のせいだろう種の壁の厚さは運次第だ。ともかく最初のPrPc→PrPscの変換が行われるかどうかが重要だ。最初を乗り切れば、後は同族同士でPrPc→PrPscの変換が行われるからだ。牛→人は割と壁が厚かった。だから、vCJDは今140人くらいしかいない。しかし、別の動物→人。例えば、ブタ→人の壁がどうであるかは今のところ誰も知らない。

さて、これでプリオン、プリオン病についての概略は終わり。
次回はやっと、こわい話に戻れる。次はこわいよ。 

注1:狂牛病はBovine Spongiform Encephalopathy(ウシ海綿状脳症)、略してBSEと言うこともある。人に感染して発症すると、new variant Creutzfeld-Jacob Disease (nvCJDまたはvCJD)になる。これは話の都合上絶対覚えておいてね。いちいち説明するのは面倒だし、『クロイツフェルトヤコブ』とか『変異型クロイツフェルトヤコブ病』とか『牛海綿状脳症』とか、長すぎて書きにくい。

注2:プリオン病とは、異常プリオンの沈着(本来ない場所に物質が多量に蓄積する病態)によって起こる神経細胞への障害を基本とする病気のこと。スクレーピー、BSE, vCJD, Kuru, CJD, Gerstmann-Strauss Syndrome, fatal familial insommniaなどなどがある。症状、病態に共通性が高い。
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2004-10-26 23:15:36

ピクミンの『も~、こわい』  第三章:『謎の病原体:プリオンとはなにか? プリオンは愛』之巻

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注:第1章だけど、第3回


飯島愛の幻のデビュー作を見たことがあるだろうか?
これがねえ、そのビデオに出ているのは今の飯島愛と明らかに同一人物なんだけど、顔は平坦だし、ムネは平だし・・・全く持って魅力がない。絶対AVが売れない。そこでこれはお蔵入りになった。そしてその凡庸な女優の顔の鼻と胸にシリコンを足して、今の飯島愛ができあがった。AV以外でもたいした人気だったし、何本かは本番もやっているということで、ガチバカからワークオンリーまで幅広い支持を受けていた。
しかし、飯島愛が凄いのは、AVという出自にもかかわらず、ガングロ・ミニスカ・Tバックというトレンドを見事に生み出してして、女子高生をfollowerだらけにしてしまったことだ。ちまたに世間の常識や男の好みから遊離したガングロミニスカ女子高生が増殖して沈殿してしまった。
あまりにも教祖に見えず、あまりにも野であるために、一般には認識はされながらも認知されていないが、彼女が若い女性に与えた影響は浜崎あゆみとかの比ではない。飯島愛@AV女優という陰であるべき存在があのように強い影響を及ぼしたという点でも希有なことであろう。今の高校生はもう自分が誰の影響下にあるのかも知らないだろうが・・・
飯島愛の恐るべき影響力は多くのフォロワーを生み出し、ガングロ・ミニスカが世に溢れた。飯島以後はもはや以前の日本の若い女の子の生態への回帰が不可能なほど変性してしまった。整形前の凡庸な飯島愛、これを飯島愛cとしよう、が起こすことは不可能な事態だった。しかし、整形と言う名の突然変異は飯島愛cを飯島愛scにはに変えた。飯島愛cには不可能でも飯島愛scには強い感染力があった。そして多くの女子高生を飯島愛scに変えてしまった。プリオンは飯島愛なのだ。


第一章は『プリオンはなにか?』から始める。
スクレーピーという羊の病気がある。これはBSEやCJDと同じで脳に海綿状の変化が起きて死亡する。初期症状として皮膚のかゆみがあるらしく、柵などで掻くので、スクレーピー(『痒いよお』という意味)と呼ばれる。今回はプリオンとはなにかから行くので、プリオン病を詳しくは説明しないが、この病気が羊を餌とする動物(ミンク)や他の羊にうつることが分かった。
はじめは病原体はウィルスだと思われていた。ウィルスというのは最小の生物でDNAやRNAとして遺伝子情報として持っている。だから、放射線とか酸とかで処理するとDNAやRNAが壊れるため、遺伝情報が失われて感染力を失う。ところが、スクレーピーはそれでも感染する。それが謎だった。
あるとき、Prusiner教授がスクレーピー羊脳のタンパク質成分だけで病気がうつることを証明した。野心家の彼はそのタンパク質をProteinaceous Infectious Particleと名付けた。長いと呼びにくいので、PIPとかPrIPとか名付けてもよかったのだが、インパクトがないので、Prusinerがいつも使っていたハンドルネームPririnをもじってPrionと呼ぶことにした(勿論嘘だが、それほどPrionの語源に関しては意味が不明である。語呂を優先したのだろう)。
当初はプリオンはそれ自身が遺伝子情報を持ち、自らを複製できるのではないかと想像されたが、これは否定された。


今では広く知られていることだが、プリオンは生体内にもともと存在する蛋白だったのだ。胴の代謝に関係する膜蛋白で、睡眠周期やその他の不明な機能を持つとされる。そのため元々は感染性蛋白の意味だったプリオンの名前はこの生体内蛋白の名前となった。大抵PrPc(Prion Protein c)と約して書かれる。cというのはcellular(細胞性)の略で、『正常生体内で発現する』と言う意味だ。それに対して、スクレーピー羊で見つかったPrionはScrapie typeのプリオンで、PrPscと呼ばれる。その為スクレーピーに限らずプリオン病で発生する異常なプリオンをPrPscと呼ぶ。
通常PrPcはX蛋白と呼ばれる蛋白と結合した形と単独結合しない形で平衡状態にある。そこへPrPsc(通常2つが結合した形で感染する)が細胞内に入ってくると、PrPcはPrPscの影響を受けてその形を変える。難しい言い方をするとα-helix構造主体から、β-sheetの形になり、重合する。まあ、そんな難しいことはどうでもいいが、PrPcはPrPscがあるとその影響を受けて、構造が変わりPrPscに変わる。新しくできたPrPscはさらに別のPrPcに影響を与えてPrPscをつくる。PrPcは代謝が速く分解されやすい蛋白だが、PrPscの構造になるとタンパク質分解酵素に耐性がつき分解されにくくなるし、不溶性にもなる。
これがどんどん神経細胞に溜まって神経細胞を壊すのがプリオン病の本態だ。


さて、PrPscとPrPcのタンパク質のアミノ酸配列が同じだという話を聞いて当惑したことがある人もいるだろう。でも、本当だ。一部本当ではないが本当だ。
普通信じられているのはこうだ。どういう理由であれ、PrPscが形成されると、PrPcはどんどんPrPscになっていく。例えば、最初に入ってくるPrPscは感染性のプリオン病の場合は感染をうける側のPrPcとは違うアミノ酸配列かも知れないが、雪だるま式に次々と作られる新しいPrPscはPrPcを材料としているのだから、生体内の正常なPrPcと同じアミノ酸配列だが、出来たPrPscは最初のPrPsc同様感染性はある・・・と言うわけだ。
おそらくスクレーピーもクールーも最初の1羊・1個人に起きた突然変異が原因でPrPcの代わりにPrPscが出来てしまったのだろう。ここまでは『遺伝子の変異によって異常な蛋白が作られた』という遺伝子病だ(注3)。これが他の個体にうつると遺伝子変化なしにどんどんPrPcをPrPscに作り替えてしまう感染症になるのだ。そう飯島愛cが飯島愛scになったとたんに女子高生を飯島愛scに作り替えて、瞬く間にそれが非可逆的に広まってしまったように


と言うわけで、プリオンは愛なのだ。もっともこういうアナロジーはいろんな形でなされているようだが・・・
簡単に書いたから全てのストーリーが明らかなようだが、そうではない。『プリオンには付属する別の因子があってそれが影響している』『プリオンに隠れたウィルスがある』『このセオリーでは感染性プリオンが実際には作れない』などなど・・・沢山の問題がある。面白い話だが、それはまあ、おいておこう。

さて今回はギャグ抜きでまじめな話になった。元々まじめな話なんだからしょうがないが、あれ程度プリオンがどんなものか知っておかないと話が続かないからなあ。


では、ピクミンは夜は月に帰る。何故私がピクミンと名乗っているかはそのうち明らかになるであろう。が、ならないかも知れない。


注1:狂牛病はBovine Spongiform Encephalopathy(ウシ海綿状脳症)、略してBSEと言うこともある。人に感染して発症すると、new variant Creutzfeld-Jacob Disease (nvCJDまたはvCJD)になる。これは話の都合上絶対覚えておいてね。いちいち説明するのは面倒だし、『クロイツフェルトヤコブ』とか『変異型クロイツフェルトヤコブ病』とか『牛海綿状脳症』とか、長すぎて書きにくい。


注2:プリオン病とは、異常プリオンの沈着(本来ない場所に物質が多量に蓄積する病態)によって起こる神経細胞への障害を基本とする病気のこと。スクレーピー、BSE, vCJD, Kuru, CJD, Gerstmann-Strauss Syndrome, fatal familial insommniaなどなどがある。症状、病態に共通性が高い。


注3:例えば癌は遺伝子の異常によって細胞の増生に調整が利かなくなる病気だ。主な原因は遺伝子に起こる複数の変化による癌遺伝子・癌抑制遺伝子の発現異常である。だから癌は遺伝子病と呼ばれる。他にも沢山の遺伝病も特定の遺伝子の異常によって起こる事が分かっているので遺伝子病だ。
対して、炭疽菌症とかインキンなど、感染を起こす病原体が主な原因となって起こる病気=感染症である・・・当たり前か?

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2004-10-24 20:15:51

有名な格言

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馬鹿を馬鹿にすることは出来るよ。
でもいくら儂だって、馬鹿を馬鹿にして馬鹿にされたと思わせることにいつでも成功できるわけではない


VT掲示板の馬鹿ばっかりに対して書いた言葉だったかも知れない

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2004-10-22 22:45:04

観戦記ネット ボツ原稿

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観戦記ネットでボツを喰らった人はいないと思う。しかし何を隠そう、儂はボツを3回も喰らったことがある。


ひとつは勿論、ビデリン著『女空手家vsレイプ魔』。だからAVWの観戦記も書かない。面白いと思うんだが・・・、もう一つはボツだけど手違いで載ったPrideの不観戦記。最後はGCM自主興行。理由は書かないけど。近いうちに載せるDr. Inside MOAT記念館の中の文章が通じなくなるのでここに上げとこう

クラコン発表会 ■団体:CLUB CONTENDERS 2002■日時:2002年8月24日■会場:新宿LIQUID ROOM■書き手:ノリリン-------------------------------------------------------------------------------- 新宿LIQUIDROOMは小汚いビルの4階にある。入ってみると一段低いフロアーの端に闘龍門のチキンジョージより狭いリングが置いてある。その両脇に横2mくらいのスクリーンがある。これは試合が始まるまでと終わってからはよく見えた。選手の名前は宇野と所くんしか知らないので、resultはメモ8速報からお借りしました。1000円でバッジを2個買うと2ドリンクもらえる。1杯目はハーパーをロックで。2杯目はカルアミルク。カルアにミルクをいれて、ストローで回してできあがり。開始までは五月蠅くてしょうがなかった音楽だが、試合が始まると音量が下がる。何でもcompetentなDJが来ているそうだが、ファイト・シーンに合わせて音楽が変わるわけでもなく、誰がやっても一緒だと思うがな。第1試合 コンテンダーズ 5分2R-71Kg契約×川越和人(フリー) vs 飯田崇人○(A-3) (2R4分10秒 腕十字)どちらも近所のコンビニに行くような膝短パンで入場。殴りもブレークもないルールでガードに入ったらどうやって展開するんだろう?っともっともな疑問を持っていたら、もっともな疑問通りの展開に。しかし終了直前に片方が腕ひしぎで勝つ。はっきり言って手前ロープ際でのグランドの攻防はまるっきり見えない。スクリーンは照らされたリングに無用に近いため明るすぎて全く見えない。それはそうと、2Rの間ほとんどはだるい展開だったと思うんだが、そんなことは全く顔にも出さず、常にポジショニング(客の邪魔にならない)、試合の流れに沿った動き(選手の動きが止まれば、周りで激しく動く)、腹の中で思っていることをおくびにも出さない表情の演技などなど、ベストなレフェリングをする和田レフェリーに感服した。見事なハゲと口ひげだ。是非全日に登場して武藤・ハインズ組の試合のレフェリングをやって、レフェリーと選手の入れ替わりという大技を披露して欲しい。第2試合 コンテンダーズ 5分2R-72Kg契約△西内太志郎(U-FileCAMP) vs 滝田J太郎△(和術慧舟會東京本部) (2R時間切れ ドロー)片方は赤フンで入場。あのなあ・・・赤フンが君のテーマならいいよ。例えばまつり太鼓のように威勢のいい打撃戦するのなら、確かに赤フンが似合う。お尻の形がアピールポイントなら確かに赤フンが似合う。でも意味がないと面白くないんだよ。子供がなんの脈絡もなく『ウンチ!』とか『ちんぽ!』とか叫んでふざけてるのと一緒なんだよ。いいシナリオライターが必要だな。この試合で特筆すべきはリングドクターの動き。”絞めに入りそうだ!”・・・となるとセカンドロープから頭を出し、”三角の構え!”になると身を乗り出し・・・お前はじっとしておれんのかね?締めなんか選手がのびてから、コーヒーのんで一服したあとに診れば充分だっちゅうねん。選手の動きがないから無駄な動きが余計に目障り。第3試合 コンテンダーズ 5分2R-66Kg契約△所英男(チームPOD) vs 中原太陽△(和術慧舟會東京本部) (2R時間切れ ドロー)この試合もドクターが目障りだったが、それはもういい。不思議なのは強い方の中原が何故か引き込む。下になって攻めるのが目的なのならいいよ。でもなあ、結局上を取ってから極めに行くんだったら、最初からテークダウンを狙って攻めろよ。時間の無駄だよ。ほら時間切れになっちゃった。第4試合 コンテンダーズ 5分2R-67Kg契約○今成正和(TeamROKEN) vs 西野聡×(和術慧舟會東京本部) (1R2分38秒 腕十字)前の試合に感じた不満が解消された。よかったよかった。第5試合 コンテンダーズ 5分2R-62Kg契約△今泉堅太郎(SKアブソリュート) vs 廣野剛康△(和術慧舟會東京本部) (2R時間切れ ドロー)素晴らしい、リトル・フランキー追悼試合でした。話には聞いてたが、流石に3rdロープまで背がないのにはビックリした。(※編集部注:さすがにそれは嘘ですTOPロープより大きいです。廣野選手は発表では155cmあります 今泉選手が170cmあるのでコントラストで余計そう見えるだけです)やっぱりサイズが違うという分かりやすい特徴があると、分かりやすいテーマが出来て見る方が見やすいな。第6試合 キックルールエキシビジョン 5分1R 宇野薫(和術慧舟會東京本部) vs マグナム酒井 (士道館ジム MAキック ミドル級1位) (5分スパーリング)金取ってみせるモンじゃないな。観客動員のために必要で、どうしてもやりたいのなら会場の外でやって客引きにすればいいんだ。真剣にやらないのなら格闘技に金は払えない。エンターティメントの格闘技であれ、ガチであれだ。エキシなのにハイスポットが一つもないってのはどういうことだ?カルアに牛乳混ぜたら何でもカルアミルクだって言うのか!?  ま、そうなんだが・・・ともかく、適当にやって客引きになりゃいいやくらいのことしか宇野は考えてないんだろう。ま、儂がぶつくさ言っても仕方がない。これはこれでいいんだろう。ピアノ教室の発表会で、先生が模範演奏をするような気分でやっているんだろうから、生徒の父兄でもない儂が文句を言う筋合いはないし、父兄は文句を言わないだろう。実際そんな客層だったし最後に、クラブだからさぞかし可愛い姉ちゃんが多いかと思えば、前日のWEWの方がずっとレベルが高かった。この現象は謎なのだが・・・・
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2004-10-22 00:07:56

引退宣言 2002年8月ごろ

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『プロレス哲学は全てノリリンに対する注釈である』あるいは『プロレス哲学の終焉』と題する話を(2002年)2月に書いた。話の中身は分かりやすいものなので、割と理解が得られたと思うんだが、題名に対して、誤解がある。欺瞞は勿論、誤解はごまんとあるだろうが、その内の一つはDr.マサの閑話休題・3であげられた。だから返事を書こうかなと思ったのが3月だが、儂はと~~~~っても忙しくてまるっきり書けなかった。

ノリリンの”プロレス至上主義宣言”の注釈が、今回の『現代思想』の論調であると指摘することは確かに可能であると感じます。
 by Dr. マサ


いや、それは違うのだ。

まず明確に言えるのは、まず『今回の現代思想増刊』≠プロレス哲学ということ。『現代思想』の『プロレス哲学』には現代性がないというのが儂の文章の論旨の一つだから、青文字の部分の論旨が成り立ってしまっては儂にとって極めて不味い。儂までベリーされちまうじゃないか・・・

儂が、『プロレス哲学は全てノリリンに対する注釈である』と書いた場合、その主張の意味するところは次の3つのうちのどれかである。
(1)『プロレス哲学は全てノリリンに対する注釈である』という言明そのものを主張をしている
(2)『プロレス哲学は全てノリリンに対する注釈である』という言明を軸に『プロレス哲学』というものを考えていくことが出来ると言う主張をしている
(3)『プロレス哲学は全てノリリンに対する注釈である』ととりあえず言ってみたが、その意味するところはまだ考えてない。

これ以外にはパターンはないな? よし。

(1)であればこうだ。
いくらプラトンだって、孔子やウパニシャッド哲学には影響を与えてはいない。そんなことはまるっきりプラトンの瑕疵ではない。プラトンは現代に残る西洋哲学の源流にある。的を射た意見かどうかは知らないが、そのプラトンに対して『西洋哲学は全てプラトンに対する注釈である』という言葉を捧げた人がいる。
プロレスネットの黎明期から数々の文章によってプロレスネット界をリードしてきたノリリンは、インターネット世代以後の現代性のあるプロレス哲学の殆ど全てを切り開いた。ノリリンによって見いだされ、パクラれ、2次使用され、もはや誰がオリジナルか知られないで使われている概念も沢山ある。しかし、いくらそんなノリリンだって、バルトや村松には影響を与えてはいない。そんなことはまるっきりノリリンの瑕疵ではない。
そのノリリンに対して『プロレス哲学は全てノリリンに対する注釈である』という言葉を書いたとして、的を射た言葉かどうかはともかく、恐ろしかったりめんどくさかったりする理由でケチをつける人はまずいないだろう。

またはこうだ。
社会的にまずまずな職業とまずまずな職業的地位にあり、恥ずかしくないくらいの安定した収入があり、ドーキンス的な意味で倍以上の再生産をし、一般的には美人と見なされる嫁さんと健康な子供をもつ良き夫良き父である私が、ネットでノリリンと名乗り、儂と称する。妖怪と呼ばれ、魔神とか基地外とか、天才とか、あほとか閣下と呼ばれる。セルをしたり、嘘を吐いたり、打ち合わせをして一芝居打ったり、理詰めに追いつめたり、膨大な資料をあさって裏付けを取ったり、マスクを取り替えて入れ替わったり、事実をあっさり無視したりして、毎日のようにネットで戦い続ける。
プロレスを哲学すること自体が、このような存在である『ノリリン』を理解しようとする自照行為(not自傷行為)そのものである。則ち、プロレス哲学は全て『ノリリン』に対する注釈である。

ここまで読めば勿論分かるだろうし、長いつきあいの読者の中には最初から知ってるだろう。(1)に続いて(2)(3)たとえ(√5)でも、儂は結局なんかかんか屁理屈をでっち上げてしまうだろう。

だから(4)をかく。
『プロレス哲学は全てノリリンに対する注釈である』あるいは『プロレス哲学の終焉』と書いた以上、『プロレス哲学は全てノリリンに対する注釈である』と『プロレス哲学の終焉』がある程度等価なのだ。
則ち、ノリリンに対する注釈であるところのプロレス哲学は終焉を迎えつつある(ている)。そう考えるとこのごろの儂の気分の説明が付く。何となく新しい考えが枯渇したような気がする。何を書いても昔書いたことの繰り返しのような気がする。自分のHPを読むと過去の文章に圧倒されたりする。面白い・新しいことを思いつかない。現実の世界ではそんな閉塞感はないのに、ネットの中にだけそれがある。自分で自分に注釈を繰り返しているような閉塞感だ。
そう、もはや『ノリリン』という枠の元に行われたプロレス哲学は終焉を迎えたようなのだ。だとすると題名はこう変換される。
『ノリリンは全てノリリンに対する注釈である』あるいは『ノリリンの終焉』
これは儂に限らずしばしば起こることのようだな。誰にでも起こる。作り出した存在の枠に支配されてしまうのだ。
と言うわけで、ノリリンは引退します。

あれ?やっぱりベリーされちゃったぞ・・・

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2004-10-20 21:44:58

マッチメイク書評 2003年9月ごろ でも初出だと思う

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ミステリーの書評は謎を明かすこと抜きでやるのが一般的だが、この蚯蚓の狆狆よりも貧弱な作者の仕込んだ謎も、江戸川乱歩賞にまつわる謎も書き殴ることにする。




と言うわけで、この本を謎を楽しむ本として読むつもりがある人は以後を読まない方がいい。ケツを明かした上でブッカー頭で本を楽しむことにしよう。もっともそれはどちらにしても無理な話なんだが・・・

一般的なあらすじはどこかの紹介文で読んでもらえばいい。20年前の新日本プロレスをfeatureした新大阪プロレスに入団した、プロレスの練習生が、付き人をやっていた団体エース・ダリウス佐々木(アントニオ猪木のカリカチャ)の殺人事件に巻き込まれる。今、プロレスの仕組みは低能以下が知っていて、有能な人はプロレスを見ないが、主人公の練習生は何故か全然知らない。これは別にあり得ないことではなく、天山や垣原がデビュー直前まで知らなかったのは有名だ。この本で巧いのは、主人公が知らないことを利用して、「主人公の事件への関心を自然にしている」こと、「事件の提示を平板にしなくて済んでいる」こと。うまいところは他には何もない。ミステリの基本に「主人公(not名探偵)は読者より少し知的レベルを下に」というのがあるが、主人公の設定によって簡単にそれが成立している。デビュー戦を含めて最初のシリーズを”マーク”で切り抜けた主人公は物語の1/3あたりでやっとプロレスの仕組みに気がつく。大抵の物語では主人公の信じている世界が変わる時には劇的なシーンが用意されるもんだ。しかし、幕間の山田ともう一人の練習生の会話でいきなり主人公が気づいたことを告白するんだ。そんなの小説じゃないだろ!?。そうこうしているうちに主人公は新大阪プロレスの「門番」の跡継ぎとなる修行をはじめる。何でも門番は道場破りを始末する役割らしい。「門番」になる修行をしているのに事件の犯人も調べていたら今度は「門番」が殺されてしまう。そうこうしているうちに当然のごとく犯人が武田だと主人公は気がついてしまう。でも大半の読者の方は不自然な冒頭の武田の登場シーンで気がついてしまうんだが・・・2時間ドラマの手法だな気づいた主人公は陰湿なイタズラを”マッチメーク”と称して武田を追いつめようとするんだが、これは山田君のキャラに合わない行動で、ストーリーラインとキャラクターの解離にはらはらしてしまう。ここで読者は、ミステリの登場人物は自分の力で動くのではない。マッチメーク通り動く八百長だと、ミステリの仕組みに気がついてしまう。最後は道場で主人公と武田が闘うんだが、プロレスミステリーにするなら、何故クライマックスを生中継のリング上に持ってこない?・・・ああ、作者にビンスの1/100でも才能があったなら・・・作者は20年前に見たプロレスをうろ覚えしていて、それにMr.高橋本を足してミステリをでっち上げた。さて、江戸川乱歩賞初のプロレスミステリーって事で星は1つ半あげよう。ご祝儀だ。しかし、実態は大人が小説として読んで楽しむような要素は何もない。ミステリとしての部分は意外性でも論理性でもダメダメ。異界性は完全にプロレスそのものの魅力に頼っているのみ。登場人物は、長州をパクった信州だの、坂口をパクった鷲田だの・・・・何の造形も加わってない紙としてのキャラクター。アホな格闘技漫画でプロレスラーをパクったキャラが出てくるのと全く同じ。儂はこうゆうキャラクターを出す本や漫画が大嫌いだ。この無意味な本でもっとも無意味なのが、主人公が門番になる修行をはじめるのに最後で新大阪プロレスがアメリカの大手エンターティメントプロレスEWF団体と提携することで路線をストロングスタイルから変えることになるってことだ。儲かってる設定の団体が何故スタイルを変えなきゃならん?エンタメ路線のどこに門番が必要だ?エンタメするからって何故ストロングスタイルを捨てる?この本はMr高橋本のフォロワーの1つだが、あの本は「いま、これから儲けていくためにプロレスをプロレスとして楽しめるよにしろ」と言っているわけだ。20年前の儲かっている新日本/新大阪プロレスがカミングアウトするのは基地外沙汰だ。タナカ本にしたって、プロレス雑誌を全てシュート活字にしろとか、ファン全部を”スマート(なる醜悪なもの)”にしろといっているわけではない。この本のストーリは、プロレスの仕組みを中途半端に分かったもの向きだし、オチは『シュート活字はおとなのプロレスの楽しみ方』なんて事を吹き込まれたばかりのガキしか楽しめない。『江戸川乱歩賞』って言うだけで読んでみようというマークが出版界に必要なように、プロレスの会場にはリング上を現実として見る人が何割か必要だ。これを読んだ人はプロレスの内幕曝露を題材としたミステリーだと思うかも知れない。『適当な異界』+『殺人事件』+『ざん新すぎない手頃なまとまり方』が江戸川乱歩賞受賞の方程式だ。『マッチメイク』の受賞はこの江戸川乱歩賞の『ブックメイク』をケーフェイした。・・・・でも、ま、みんなしってるか・・・
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2004-10-19 18:19:53

ジョージア・エンブレム・ブラック

テーマ:ブログ


左からハンセン、テリー、馬場、ドリー、ホーク
二人死んで、一人は股関節、一人は膝関節を置換して、もう一人は禿げている


まったくアナウンスがないのがいろいろ思わせて寂しいね

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2004-10-17 00:35:42

哲学講義より

テーマ:ブログ
以下は哲学講義のさわりです。またそのうち続きを書くかも

☆ 哲学概説

哲学とはなんぞや?

これはその問いにド素人が勝手に答えるページである。


哲学書やその解説書をひもとくのは面白い。読書の喜びは人の考えにふれることや新しいことを知ることにあるが、前者のもっとも強烈な体験が哲学書にある。もっとも唯一無二のものではないが・・・


最近思うのはなぜ哲学というのはこんなに奇妙で、そして役に立ちそうにないのか?ということだ。こいつらはいったい本気でやっているんだろうか?


だいたい哲学というものは一概に言ってとても普通の真面人には理解できないようにできている。そんな感じのものが多い。理解できないようなものはもちろん役にも立たないだろう。


内容が難しいだけならいいが文章にもなっていないこともある。値段が付いて売っている本に「分析哲学はかっては大多数ウィーンのものであり、今日ではアングロサクソンのものだが、すべての問題を論証に関連づけている」だのという文章が現れる。儂はこの一文で儂はその本を部屋の隅まで投げ捨てた。よく読めば意味は分かるがこれは日本語ではない。幸いにも再発見できたのでここに引用できる。少しは元が取れるというものだ。


儂が思うに、100万1000万の語を費やして出来上がった哲学は決してas itselfとして理解されることはない。その一部がコピーやキャッチフレーズとして消化されてはじめて、人に了解可能となる。人を動かし得る思想となる。ビフテキがいくら美味しくても、結局人体に吸収されるのは脂肪、蛋白などに分解された後であるのと同様だ。とすれば哲学というのは結局しかめつらしく精読するものでも厳密に考えねばならないものでもなかろういやそういう面はあってもいいが、それは我々に必要な哲学ではなかろう。象牙の塔でやればいい。


医学部で研究所で、今日も効きもしない薬が真面目に研究され、統計上のみに現れる効力の差で評価され、あまっさえ時には発売もされる。しかしそれで出来上がる薬のほとんどは我々の必要な薬ではない、多くの場合。 同じように象牙の哲学者に必要な哲学は我々の必要な哲学ではなかろう。その哲学の歴史的な背景を全部理解したり、一人の書物を全集を読んで当たってみるような必要もなかろう。難しくて分からなければさらに努力して読解を試みる、そんな必要もなかろう。 第一人生は短く哲学書は面白いのに、そんなことをしていたら儂らは生きることも読むこともする暇がない。


本職の歌手のように音符を読んだり、歌詞を暗記したりする必要はない。CMソングのサビの部分だけが耳につくような感じで度素人が斜め読みで半端に理解し、半端に語る。そんな哲学が必要だ。ホンチャンがやっているHPは難しすぎる。


というわけで、ノリリンの哲学講義の始まりである。講義では哲学者を、学派を、半端に理解し、コピーやキャッチフレーズやサビの段階まで咀嚼消化吸収同化排泄する。


続きは物置から捜さないと読めない

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