麻酔科と心療内科で眠剤を出してもらうようになって、
そこそこ睡眠時間が増えた。
集中して3〜4時間は眠れてると思う
でも、週の半分以上は、2時〜5時、すごく中途半端に起きてしまう。
もう数年このペースだったからかな?
体の痛みと眠剤のバランスがあってない。
眠剤で眠いのに、起きて、ゲームしたりSNSしたり、途中うとうとしてスマホが手から滑り落ちるほど眠いのに、それでも、ちゃんと睡眠に戻っていけない
今日はというと、連続して30分以上の睡眠がとれていません。
いわゆる、一睡もできなかったって日
今日の原因は2つ。
1っこは、仕事のストレスが仕事の疲れの上を行き、疲れよりも痛みが強いせい
寝れるような体調ではない。
2つめは、明日の朝の9時から心療内科で、終わり次第麻酔科に行く日だから
心療内科に行きたくないとか、麻酔科に行きたくないとかそういうレベルの話ではない。
院外だから、カルテが連動してないし、何を伝えていいかとか、どんな話をしなきゃいけないのかを考えてたら、寝れなくなった
痛みとは関係のない話まで広げるから、
どちらの医者でも、
普段人と会話しないような話題が増える。
考えてしまう事もたくさんある。
下手をすると、会話そのもので人を傷つけに行ってるような気がする。
医者の目が動揺するのが見たい訳じゃないんだけどなぁ。
でも、心療内科にかからせるって、医者にもそれなりにデメリットがあると思う。
言語化させるって、そうゆう事でしょう?
最悪な事に、
患者が医者を論破できれば、治療を諦めるのが心療内科だという認識を持っている(笑)
医者の目の動揺をみて、医者が寂しそうな困った表情するのをみて、この人たちのストレスとなってハゲの原因となる患者になっちゃってるって思う。
ハゲさせたい訳じゃないし、そういう顔されるの嫌いだ。
ま、でも、今日医者にぶつけたい報告と疑問は書き出しておこう。
・フェントス2ミリにしてもらってから、仕事を休んでない(遅刻はあるけど早退はない)
・土曜の夜、あまりの疲れにフェントス張り替え忘れて寝てしまい、夜明けぐらいから意味わからん痛さで日曜の朝になってインフルになったかと思ったらフェントス張り替えてないだけやった。
・フェントスなしで生活させられるなら、死んだ方がましだし、がちでそうするけど、理解よろ。
・先週水曜日のブロックが効きすぎたおかげで、リバウンドがひどく、木曜日の朝は、久々に声を荒げて枕に顔埋めて泣いた。痛みがない状態がいい。
・麻酔科行った日の朝、指まがったまま伸びた感覚になっていること忘れてて、包丁洗おうとして麻痺してる指ザックリ切ったけど、あれって、なんで指の動きに関する感覚は無いのに、切った痛みは感じたの?
・こないだ、子どもの死にたいと大人の死にたいは違うって言ってたけど、経験上全く納得できない。
失う辛さを知っている子どもほど、死の具体的なイメージを持った上で「死にたい」とこぼしてくる。
そういう子たちへの対応と同じような対応を先生方がしてくるのは、こちらを子どもと扱っているからか、実際は子どもの「死にたい」も大人と同じ意味だからか、どうなのか?
・「痛みがある状態を諦める」のは褒められて、「生きていくのを諦める」のは否定されるのはなぜ?そこに違いは?
・「諦める」という言葉を「受け容れる」に変えた場合でも「痛みを受け容れる」「死を受け容れる」「生きていけない現実を受け容れる」も評価が割れるのか?
・そもそも人の自殺を許すことが、倫理的に間違っているなら、根本的に生きてきた意味を失うんだけど、その場合はどうすればいいの?
・元々働いてないクズのような遊び人でも、CRPSのような疾患にかかるのか?かかったやつはいるのか?
ストレスない状態では発症確率が下がるなら、ストレスのない社会的状態になれば治るのか?
治ったとして、それは社会的には死んだような状態で、結局生きる必要などないのではないのか?
・麻酔科の先生はブロックの効果をわかった上で打っているのか、特に何も考えてないのか?
・こないだぐらいの効き方を、月に1回はだせる?
うん、ここまで言えたらすっきりするだろうな〜。
でもまず今日は、痛みの定規を拒否しよう。
こないだ麻酔がめちゃくちゃ効いた日、
痛みが消えたらその間に死んでしまいたいってずっと思ってたけど、
こんなに痛みがないなら生きていたいって思ったよ。
リバウンドはくそつらかったけど。
だから、そういうハッピーな日もあるから、こういうネガティブな感情を吐き出してしまえって事なんだろうな。
そのターゲットになる心療内科の先生にはすごく申し訳ないや。
さ、ではそろそろ出かける準備だな。
すごい眠いけど(笑)
行ってきます