人生意気に感ず「死の淵から生還した死刑囚は元ボクサーだった」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「死の淵から生還した死刑囚は元ボクサーだった」

◇死刑囚の再審決定は驚くべきことである。死刑が確定した袴田さんについての東京高裁の決定である。死刑確定後、長い年月が過ぎていた。この間もし死刑が執行されていたらと想像するとぞっとし身の毛がよだつ。過去にそういう事態が皆無とは言えないだろう。このことは死刑廃止論の大きな論点の1つなのだ。東京高裁は証拠捏造の可能性が「極めて高い」と述べている。当時のある警察官は味噌樽に衣類はなかったと述べている。極めて異例な捏造の指摘はそうした事実を踏まえているに違いない。事実とすれば重大な国家の犯罪である。人権尊重を最大の基盤とする日本国憲法の下で司法の正義はそれを守る砦である。死の淵から奇跡的に生還した87歳の袴田さんの体調はその喜びをかみ締める認識力も薄れているように見受けられる。長い間支えてきた姉の晴れやかな笑顔が印象的である。

 袴田さんの姿はかっしりしている。元ボクサーだったという。私は袴田死刑囚の手紙をいくつか読んだ。長い獄中生活で書いた手紙は膨大な数に登る。次のようなものがある。「私の心身は反則によってKOされたまま踏みにじられている。そのKOの底に身を横たえてしまうしかないのか。そして日一日と正義を殺されていくのか。これが私の生である。私の無念とするところである。私の恥ずかしい部分である」。袴田さんはボクシングで才能を発揮し国体の選手にも選ばれた。プロボクサーとして活躍し、フェザー級全日本6位にランクされた。事件のあった味噌工場の従業員だった袴田さんが居た社員寮から現場は30メートル、元ボクサー、妻と別居、これらから素行不良とみなされた。取り調べは長い日には16時間を超え、1日平均12時間、水も与えられずトイレにも行かせないという異常なものだったことが裁判でも認定されている。これは拷問である。憲法は拷問を絶対に禁ずるとしている。

 姉の秀子さんは90歳を迎えた。袴田さんの試合を見に言ったことがあった。「おとなしい巌がそんなことをするわけはない」と信じた。世間の目を恐れ買物は夜中に行き、「息を潜めて生きた」と振り返る。秀子さんは「死刑囚でなくなって、巌に真の事由を与えて欲しい」と祈る。今後の焦点は東京高検が最高裁に特別抗告をするかどうかである。人間の尊重と日本の正義が問われている。この姉弟に残された時間は少ないだろう。司法の結末を私は息を呑んで見守る。(読者に感謝)