シベリア強制抑留 望郷の叫び 十四 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 十四

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載します。

 

 鉄道建設という旧ソ連の重大な国家事業に、日本人抑留者が投入され、沿線予定地には多くの粗末な収容所が建てられ、零下50度という酷寒の中で、食糧も十分に与えられず、容赦なく、人々は労働に駆り立てられた。人々はバタバタと倒れ、惨状は言語に絶するものだったという。よく、枕木一本に日本人一人の死者が出たと言われるほどである。狂おしい望郷の念にかられながら凍土に倒れた人たちの墓が、ビロビジャンのどこかにあるはず。ぜひとも、その一つでも捜し出して供養をしたいと思った。

 ビロビジャン市では、大きなレストランでユダヤの民族料理を食べた。同じテーブルに二人の日本人男性がおり、主な目的は釣りで、アムールの支流では幻の魚イトウが釣れるのだという。ロシアでは、日本人の旅行客が非常に少ないので、見かけると話したくなる。レストランの別の大きなフロアには大勢の少年たちがにぎやかに食事を待っている光景があった。列車であった少年たちもこの中にいるのであろう。

 その後、博物館を見学したが、ここで私の注意を引いたものは、日本人抑留者が作ったという黒い大きな家具であった。階段の踊り場に無造作に置かれた人の背丈を超すほどの黒塗りの物入れは、説明を聞かぬうちには周囲の様子に不釣り合いに見えた。この家具の扉には、手のこんだ精巧な彫刻が施されており、日本人の器用さを物語るものである。まちの有力者が寄贈したもので、博物館も大切にしているという。

 私は、日本人の器用さを示す例を、多くの手記で読んでいた。外科用のハサミが壊れたとき、ロシアの軍医から修理を頼まれた日本人は、どのように工夫したのか、完璧に直した。軍医は驚いて、「お前の腕は金の腕だ」と言って褒めたという。その他、チェスやマージャンのパイを見事につくったり、廃物を利用して、一滴の水ももれない金魚鉢をつくったり、収容所の人々の中には、物づくりの名人がたくさんいたらしい。

つづく