シベリア強制抑留 望郷の叫び 十一 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 十一

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載します。

列車の前に立つとプラットホームが非常に低いと感じられる。大きく足を上げて乗り込むと車内は木製のイスが並んだまことに粗末なものである。後ほどトイレを使ったが、下が見える垂れ流しで、かつての日本の鉄道を思い出させた。

 ビロビジャンまでは、予定では二時間くらい。列車は走り出した。両側に白樺の林が続き、その向こうに青い草原が地平線まで広がっている。

 先ほどからじっと外の景色を見つめている塩原さんが言った。

「抑留されて行くときは、牛馬の糞のいったいついた汚い貨車でねー、窓などないから外は見えないんですよ。上の方に明かり取りのガラス窓があって、誰かに抱えられて、外を少し見ましたよ。こんなによく景色を見ながらシベリア鉄道に乗っているなんて、本当に夢のようですよ」

 シベリアには、白樺が多いらしい。抑留者の手記には、「死んで白樺の肥しになる」という表現がよく出てくるのを思い出す。

 青柳由造さんは窓外に飛び去る白樺の樹林を感慨深げにながめている。抑留者は極限の飢えに迫られて口に入れられるものは、馬糞の中の豆まで見逃さなかったというが、知恵と工夫で新しい食べ物の発見にも必死だった。その一つが白樺の樹液だった。傷をつけて、そこに器をあてがっておくとわずかに半透明な液体が得られた。

「それが本当にうまいんですよ」

 青柳さんは、かつて、目を細めて語ったことがあった。

 私は、車内を歩いてみた。さまざまな人びとがいる。太った中年の女性、ひげをはやした労働者風の男、談笑しいているグループ、子どもを抱いてもの思いに沈んだような若い女性など。人びとの姿は、ハバロフスク市の華やかな光景とは違って、ロシアの大地に生きる人びとの実態を語っているように見える。ときどき視線が合って、〈こんにちは、初めまして、私は日本人ですよ〉と思いを送ると、にこっと笑顔が返ってくる。

つづく