ハバロフスク事件 第2回「中央政府を立てる請願運動。日本人を軽蔑する外国人」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

ハバロフスク事件 第2回「中央政府を立てる請願運動。日本人を軽蔑する外国人」

◇石田三郎は有効な作戦を進める為顧問団を組織した。人材には事欠かなかった。顧問には元満州国の外交官や元関東軍の重要人物もいた。石田はこれらの人に危険が及ばないように細心の注意を払って密かにそして頻繁に接触したとその著「無抵抗の抵抗」で述べている。

 瀬島隆三もその回想録で語っている。「平素から親しかった石田君は夜半を見計らって頻繁に私の寝台を訪ねてきた。二人はよそから見えないように四つん這いになって意見を交わした」

 石田たちは賢明な戦略を展開した。それはソ連の中央権力を批判することを避けることだった。つまり中央政府の人道主義を理解しない地方官憲が誤ったことをやっているのでそれを改善してほしいと請願する作業であった。日本人は精魂を込めて中央政府にあてて請願書を書いた。それは密かに用意した大量の紙がすべて使い果たされる程だった。それは軍律による強制でなく真の内なる力による協力の姿であった。一糸乱れぬ巧みな闘争はそれまで意気地なしと軽蔑した外国人も見直すことになった。収容所には中国人、朝鮮人、蒙古人、それにドイツ人などもいた。ドイツ人は収容所側の不当な扱いには毅然とした態度をとったという。その彼らの目には日本人の姿が許せなかった。メーデーの日に日本人が赤旗を先頭に立てて祝賀行進をしている姿に憤慨したあるドイツ人はその赤旗を奪い取って大地に投げ「日本の国旗は赤旗か」と叫んだ。また日本人の戦う姿に感動して共闘を申し込む中国人たちもいた。彼らは言った。「私たちはこれまで日本人は何と意気地がないのかと思っていました。日本に帰りたいばかりになんでもソ連の言いなりになっている。そればかりでなくソ連にこびへつらったりしている。情けないことだと思いました。これがかつて私たちの上に立って支配していた民族か、これが日本人の本性かと実は軽蔑していました。ところがこの度の闘いぶりを見てこれが真

実の日本人だと思いました。私たちもできるだけの応援をしたい」

 石田三郎たちはこの言葉に感激した。ソ同盟万歳を叫び、赤旗を振って労働歌を歌い、スターリンに感謝状を書くといった同胞の姿を日本人収容者全体の問題として恥じた。この闘争も結論を迎える時がきた。昭和31年の正月は特別のものであった。国際関係が変化する中で闘争に対する中央政府の動きがあった。(読者に感謝)