「憲法問題で反応」 2005年11月18日(金) | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

「憲法問題で反応」 2005年11月18日(金)

※土日祝日は「議長日記」及び「議員日記」を連載します。上毛新聞社から出版したもので、議員時代の私の動きを海外の視察も含めて振り返ったものです。

 

17日、天皇制に関する朝日の「声」の記事に触れたら、早速、質問や意見を寄せる方々がおられた。

  その一つについて、ここで私の考えを書きたいと思う。「天皇は人間なのに旗やバッジのように象徴として扱われるのは気の毒すぎる」という記事についてである。ある塾講師のものであるが、「象徴」について軽く考えすぎている印象を受けた。

  天皇は、単なる象徴ではない。「日本国の象徴」であり、「日本国民統合の象徴」なのであって、これは、日本国民の総意に基づくものとされている。象徴制は、「天皇は国政に関わることが出来ない」という原則と合わせて理解されなければならないが、「象徴」は、日本の長い歴史を貫いて認められてきたことで、日本が世界に誇る文化であると思う。祖先から受け継いだこの文化は、これからも国民が守っていかねばならないことである。

  つまり、天皇は、単なる「旗」や「バッジ」とは異なる存在であって、国民の心のよりどころとなる大変大切な地位についておられるのである。

  もう一つ、憲法に関心を持てというなら、今話題の「地方分権」と憲法との関係をずばりやさしく説明して欲しいというアクセスがあった。

  地方分権は、地方に権限を与えて、地方のことは地方が自主的にまちづくりなどに取り組むことを目的とする。これは、憲法が掲げる「地方自治」に不可欠のことである。地方自治は、中央に支配されるのではなく、地方のことは地方の住民が決めるということで、これは、憲法の大原則である民主主義を地方の政治に実現しようとするものである。

  つまり、こういう事になると思う。憲法の最大の目的は人間を大切にすることであり、それを実現する政治は民主主義でなくてはならず、民主主義を実現するためには、地方の自治が必要であり、地方の自治を実現するために、「地方分権」が必要なのだ。

  この日記を媒介としてこういうやり取りが出来ることは、誠に意義のあることで喜んでいる。

  17日、群馬県文学賞式であいさつをした。 短歌・俳句・小説等、6部門、6人の方が受賞した。文学は人間の大切な精神活動。物質文明が高度化し心に潤いが乏しくなった今日、皆さんの活躍と受賞は素晴らしいと挨拶。

 八ツ場ダム上流町村の嬬恋、草津、六合の代表が災害対策や観光振興などで要望にみえた。これらの地域は歴史や伝統の文化が豊富なところ。そのようなことについても話が弾んだ。六合(くに)の名は、古事記の、天と地・まわりの4つを合わせて国をつくるという話に由来するとか。

(読者に感謝)