随筆「甦る楫取素彦」第84回 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

随筆「甦る楫取素彦」第84回

◇明治3年(1870)、楫取素彦42歳。 2月、楫取は山口藩の権大参事に就任。藩知事(藩主)の下に大参事(副知事)があり、それに次ぐ権大参事は山口藩政のナンバー3に相当した。前記のように、前年、版籍奉還が行われ、藩主は藩知事になった。 楫取は後述のように群馬県令として製糸を新産業として発展させるが、この年、その基礎となる動きが上州で見られた。 前橋藩は器械製糸所設立のため、5月、スイス人技師ミューラーの雇い入れを決定した。ミューラーは6月前橋に到着。そして、7月、ミューラーの指導により前橋細ヶ沢町(現住吉町)に6人繰りの前橋藩営器械製糸所が設立された。この日本初の器械製糸所設立に尽力したのは前橋藩士速水堅曹(はやみけんそう)だった。 速水は川越藩士として藩主松平直克に仕え前橋城再築(慶応3年)にともなって前橋へやってきた。前記のように、直克は前橋城再築の許可を幕府に求めるに当り、前橋が殖産興業(製糸業)の拠点として適地であることを理由に挙げた。直克が前橋へ来たとき、藩の財政は悪化していた。藩財政再建のカギは横浜の生糸貿易であった。藩命を受け速水は器械製糸所を設立し、横浜に生糸専売所を開店させた。速水は製糸業で大きな貢献をしたのである。前橋藩の器械製糸所は富岡製糸所操業の約2年前のことであった。 ※土日祝日は中村紀雄著「甦る楫取素彦」を連載しています。