マイケル・スノウ 稀有な視聴覚的体験を生み出した伝説的アーティスト (2023)

 

(本稿は、イメージフォーラム・フェスティバル2023でのマイケル・スノウ追悼上映『セントラル・リージョン (中央地帯)』の解説文として同フェスティバルカタログ, p.29に掲載された。文中の英文、[ ]内は追記。)

 

 

 

「私はプロではない。私の絵画は映画作家が、彫刻はミュージシャンが、映画は画家が、音楽は映画作家が、絵画を彫刻家が、彫刻を映画作家が、映画をミュージシャンが、音楽を彫刻家が作り……ときには全部が一緒だ。さらに私の絵画の多くは画家が、彫刻は彫刻家が、映画は映画作家が、音楽はミュージシャンが作ってもいる。それぞれ別々の試みだがどのメディアでも純粋性を志向する傾向がある。絵画の不動性、静的なイメージ。彫刻の物体性。光と時間。」M. Snow, 1967

" I am not a professional. My paintings are done by a film-maker, sculpture by a musician, films by a painter, music by a film-maker, paintings by a sculptor, sculpture by a film-maker, films by a musician, music by a sculptor... sometimes they all work together. Also, many of my paintings have been done by a painter, sculpture by a sculptor, films by a film-maker, music by a musician. There is a tendency towards purity in all these media as separate endeavours. Paint as fixity, the static image. Sculpture's objectness. Light and time. " Michael Snow

 

 マイケル・スノウは2023年1月5日、トロントで肺炎のため94歳で亡くなった。カナダを代表する現代アーティストで、平面・立体・映像・音楽・写真と分野が広く、受賞も数多い。1970年ベネチア・ビエンナーレではカナダ館で個展、93年には多領域の活動を回顧する総合展 "Michael Snow Project" がカナダ全土の美術館を巡回、2002年にはパリのポンピドゥセンターで全回顧上映 "Instant Snow"、05年はNYのMOMAで "Stillness"展、09年はロンドンのBFIで回顧上映 "Yes Snow Show"。彼の名はNY時代(62-71)の伝説的傑作『波長 Wavelength』(67)により今も世界中で知られ、その影響も計り知れない。

 固定カメラが室内を45分間徐々にズームアップし続ける『波長』は、実際に見ればわかるように一昼夜を挟みノイズともいえる多様な出来事が室内で起こる複雑な作品だが、一貫したズームの動きが最後に壁の波の写真にたどり着き、それが画面一杯に映って終わる。「構造映画」の始まりの一つともなった謎めいたスリリングな作品だが、コンセプトを理解する作品ではなく、視聴覚的に体験されるべき作品である*。

 原美術館でのマイケル・スノウ展(88)で来日中に中島崇氏と共にロングインタビューを行ったが(月刊イメージフォーラム1989年2月号)、帰国後言い足りなかったと手紙が届き「映画カメラは(鉄道と同じく)19世紀の発明であり、それが機械であるからこそ、見たり思い出す人間の一種の"代役"としてカメラを使うのでなく、その"機械性"を映画の中でしばしば拡げようとしてきた」という一節があった。[原文はThe movie camera is a 19th century invention (like the train) and since it is a machine I have often tried to extend that "machine" quality into the films and not to use the camera as a kind of "stand-in" human being that sees and remembers. ]

 まさにそのカメラの機械性によって北の風景を捉えたのがスノウのもう一つの傑作『セントラル・リージョン La Région Centrale』(71)で、カメラの自動運動と無人の風景を190分間見るという稀有な体験だった。スノウは先の手紙で「この作品の見えない中心にあるのは我々がけして見れないカメラなのだが、その中には我々が"いま"見ている映像が入っている。とても幸運だったのは、(私が組み立てた)機械とカメラの影が眼に見えるシークエンスが2つあったことだ(最初の30分と最後の30分)。我々がいま見ている映像を作り出している物体の影を見ることに私はとても興奮した」と書いていた。[原文はThe invisible centre of La Region Centrale is of course also the camera which we can never see but which contained the image which we are "now" seeing. I was very lucky that there are 2 sequences (in the first 30 minutes and the last 30 minutes) that the shadow of the machine (which I constracted) and the camera is visible. To me it is very moving to see the shadow of the thing which is making the image we are seeing.]

『セントラル・リージョン』の撮影地で撮影装置とマイケル・スノウ

『セントラル・リージョン』の1コマ

 

 スノウの映画は多分に逆説的なコンセプトと作品それ自体が生み出す官能的なまでの視覚性のはざまにあるが、そこに遊び心やユーモアも感じ取れる。同時に彼の作品はいつも視覚と聴覚(seeingとhearing)の「間」、写真と映画の「間」、そして英語と仏語の文化圏の「間」に存在する。

 マイケル・スノウは、ケベック州シクチミChicoutimiで出会った土木・測量技師のイギリス系の父とフランス系の母の間にトロントで1929年に生まれた。高校時代に絵と音楽演奏を始め、オンタリオ美術大学でデザインを学び、在学中にグループ展で絵画を発表。広告会社に就職するも関心を持てず、ジャズピアノとトランペットで日銭を稼いでヨーロッパを放浪。実存主義華やかなりし50年代前半のことだ。55年帰国し友人と絵画展を開くとジョージ・ダニング(後の『イエロー・サブマリン』監督)の目に留まり彼のアニメスタジオに入社。ここで映画制作のABCを学び、最初の映画『A to Z』(56)も制作。1962-71年はNYに住み美術家や映画作家と交流。他の代表作に『←→Back & Forth』『モントリオールの一瞬』(69)『ウィルマ・シェーンによる(デニス・ヤングに感謝する)ディドロの「ラモーの甥」』(74)『プレゼンツ』(81)『プレリュード』(00)『脳漿 Corpus Callosum』(02)『Cityscape』(19, IMAX)などがある。

 1959年までプロ・ミュージシャンとして活動、74年からはフリージャズ集団CCMCの一員として各地で演奏した。私生活ではアニメスタジオで出会ったジョイス・ウィーランド(1930-1998)と1956-76年に結婚。ジョイスは美術家・映像作家としてカナダの国立美術館で個展が開かれた最初の女性作家となる。その後、美術・映像キュレーターのペギー・ゲイルと再婚し息子アレクサンダー(アレック)がいる。スノウは91年にイメージフォーラム・フェスティバルの審査員を務め、その縁で1992-2008年のIFF一般公募部門大賞にはアレック・スノウ作のカップが授与された。

 

*スノウは『波長』のデジタル化を拒み、代りに1/3ずつ三重に­重ねた『WVLNT ("Wavelength For Those Who Don't Have the Time")』(03, 15分)を発表している。

 

ⓒ西嶋憲生

 

 

※マイケル・スノウの『波長』については、下記記事もご参照を。