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小学校6年生の時に、ポーランド、ワルシャワのショパンアカデミーの夏期講習を受けた。
ショパンコンクールの審査員のレッスンをみっちり受けた。講習の最後にコンサートがあって、ワルシャワのポーランド人が僕のピアノをガチで聴いてくださるそのショパンへの愛がトラウマになり、以後、ショパンが弾けなくなりました。
ピアノを奏でる時に、聴き手、ワルシャワの聴衆のショパン愛が、熱すぎで、それは恐怖でした。
あぁ、この1音を外したら、鍵盤からちが吹き出るんだな、みたいな、、、
その帰りにオーストリアのウィーンに寄るスケジュールで、ウィーンでペットボトルでなくホテルの水道水が飲めるのは感動しました✨
ケルントナー通りの大道芸人やミュージシャンの演奏を聴きました。
そのケルントナー通りの街角にサックスを吹いてるおばあちゃんがいて、なんだろう?と近寄ったら、
人垣から内側に入ったら喧騒が消えて、
誰だか知らない、なんだかわらかない、
でも心にズドーンと響く、そして、
なぜか泣いている自分が居ました。
お小遣い制でない当時の僕が、人生で初めて
「ちょうだい」と母に言って、シリング(当時のオーストリアの通貨)をもらってケースに入れました。
6歳で、宮崎駿監督のナウシカで泣いてるたし、たぶん、感受性が豊か過ぎたのかなんなのかわかりませんが、小学校6年生のポーランドと、オーストリアの経験。
特に、このウィーンのサックスのおばあちゃんの経験は僕の音楽人生を狂わせました(笑)
誰だかわからない、なんだかわからない曲、サックスなんて初めて生で聴く、で、人垣の内側で街の喧騒が消されて静寂の中に響く、おばあちゃんのサックス。
心にズドーンが
なんなのかわからない
でも泣いてる自分。
これを求めて、この感動を自分なりに更に学べると期待して東京芸大に2浪の末に入学して、2週間後に
「ああ、ここにはなにもない」と理解しました(笑)
それからは、アルバイトして航空券を買って、僕の求める音楽を外に求め、、
の後のチェコに出会う話は、また別の話🍀
ネバーエンディング・ストーリー的に(笑)
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