右側が破壊された「七士之碑」











1223日は天皇誕生日であり、かつては天長節と呼ばれておりました。

それとともに日本国民としては忘れてはいけないことがあります。

東京裁判で「A級戦犯」と呼ばれて7名が処刑された日でもあるのです。

これは明らかに意図的にやられたのです。

この東京裁判が起訴された日は4月29日です。

この日は昭和天皇の誕生日です。

皆さんはこの7名の名前を言えるでしょうか?

今や殉国の士の名前すらも忘れ去られようとしています。

処刑された7名の執行責任者は日本駐留軍司令官ヘンリー・ウォーカー中将で、処刑した後、7名の遺体をトラック2台に積んで久保山火葬場で火葬し、その後、遺骨を捨てたのです。

1950年、朝鮮戦争が起こるとヘンリー・ウォーカー中将は韓国に赴き、12月、ウォーカー中将が戦場視察のため車で走っている時に事故死しました。

その日は戦犯7名の祥月命日である1223日午前零時過ぎ、奇しくも死刑執行の同じ日の同じ時刻であったのです。

それを聞いたマッカーサーはじめ米軍首脳は恐れ、ウオーカーの副官は怨霊を供養するために翌年5月に興亜観音を訪れ、住職から「興亜観音に恩讐のへだてはない。恩親平等だ。それが松井閣下の心でもある」と言われ、ウオーカーと7人の霊を供養する墓標を霊仏観音の傍らに建てて法要を営んだのです。

昭和4612月、過激派の東アジア反日武装戦線が七士之碑を爆破して破壊される事件がありましたが、今は修復されています。

我々はこの事実とともに、東京裁判とはどういうものであったかを知っておくべきであります。

東京裁判の判決後、日本の弁護人側は連合国最高司令官に再審を申立しましたが却下されました。

直ちにアメリカ連邦最高裁判所に訴願しましたが、これも却下されました。

この時、却下理由として最高裁のダグラス判事がこのように述べました。

「インドのパール判事が言うように東京裁判は司法裁判ではなく、政治権力の道具に過ぎないから最高裁の審議対象に馴染まない」。

7名はじめ「戦犯」という名のもとに多くの無実の日本人たちが処刑されましたが、それは「司法裁判」ではなく「政治権力の道具」のために亡くなったのです。