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こんにちは!

 

靖國神社遊就館へ行ったつづきで、今回はビハリ・ボースに

 

ついて書いてみます。

 

ビハリ・ボースはインドの独立運動家です。

 

1886年3月15日、イギリス領インド帝国ベンガルで

 

生まれます。

 

ボースはインド兵になることを希望しますが、身体的理由に

 

より断られます。

 

そこで英国植民地政府の官吏としてデヘラードゥーンの

 

森林研究所に就職します。並行してインド国民会議に

 

加わり独立運動を行います。

 

森林研究所は爆弾を作るための薬品、部品を入手するのに

 

とてもよい就職先だったらしく、ボースはチャールズ・

 

ハーディング総督暗殺未遂事件で爆弾を投げて怪我を負わせ

 

更に、「ラホール蜂起」の黒幕とされイギリス植民地政府から

 

懸賞金1万2000ルピーをかけられます。

 

そのため1915年に偽名で日本入国を果たします。

 

日本では東京に住み、日本で得た大量の武器を本国インドへ

 

輸送します。東京では当時日本にいた孫文や大川周明と

 

親交を深めます。

 

次第にイギリスの官憲にボースのインドへの武器輸送が

 

明るみになりボースの密入国も知られることになります。

 

この当時、日本とイギリスは日英同盟を結んでいたため

 

日本政府はボースに国外退去命令を出します。

 

孫文はこれに対抗するため頭山満とボースを引き合わせ

 

ます。頭山満や犬養毅などボースの支援者は国外退去命令に

 

異議を唱え、新宿中村屋でボースを匿います。

 

頭山満らの尽力により日本政府の国外退去命令は撤回されま

 

すが、その後も新宿中村屋以外の場所も転々とする逃亡生活

 

は続きます。

 

逃亡生活も終わり頃の1918年、新宿中村屋の娘、

 

相馬俊子と結婚。1923年に帰化。

 

日本国内におけるインド人の独立運動を組織し、

 

日本軍と独立運動を仲介。

 

自由インド臨時政府最高顧問にもなりますが、インド独立の

 

夢を実現させることはできないまま1945年1月21日に

 

日本で亡くなります。

 

以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて

 

みました。

 

私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

https://yokosuka-gyoseishoshi.com