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こんにちは!
靖國神社遊就館へ行ったつづきで、今回はチャンドラ・
ボースについて書いてみます。
チャンドラ・ボースはインドの独立運動の指導者です。
1897年1月23日、イギリス領インド帝国ベンガル州
カタックで生まれます。
カルカッタ大学へ進み、その後ケンブリッジ大学フィッツ
ウィリアム・カレッジ大学大学院へ留学します。
1921年マハトマ・ガンディー指導の反英非協力運動に
参加。ガンディーの暴力によらず英国に従わない姿勢を
ボースは、現実に即さない高等な哲学のようなものと考えて
いて国際舞台では通用しないと思っていました。
すなわち英国が武力でインドを支配している以上、
独立は武力でよってのみ成し遂げられると考えていました。
1939年9月、第二次世界大戦が勃発。
イギリスがドイツと戦っていることを知ったボースは、
ここがインド独立の絶好の機会と捉えます。
まずガンディーに接近し国民的抵抗運動を行うことを
提案します。もちろんガンディーは非暴力不服従という
考えですので提案を拒否します。
ボースは、こうした考えなのでイギリス官憲に逮捕、
投獄されるのですが、仮釈放されていたすきにインドを
脱出します。
この頃、インドの解放を成し遂げられるのはソ連と考えて
いたためソ連に行きたかったのですが、ソ連行はすんなり
いかず、まずドイツへ入国します。
ヒトラ―との会談は実現するものの、ヒトラーの考えは
「英国によるインド支配は引き続き行われるべきである。」
との考えであったようです。
そのためインド独立への協力は得られませんでした。
ボースが次に目を向けたのは日本です。
もともとは日英同盟などで日本と英国は仲が良かった
ものの、第二次世界大戦勃発当時は対立状態でした。
そこで日本行きを決めて実行。
東條英機とも会談を行い次第にボースの人柄に東條は
魅了されたとされています。
ただ日本の敗戦により日本との協力でインドの独立を
獲得することは不可能になります。
1945年8月18日、台湾での飛行機事故で48年の
生涯を閉じます。
以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて
みました。