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こんにちは!
靖國神社遊就館へ行ったつづきで、今回はインパール作戦
について書いてみます。
インパール作戦も太平洋戦争の一つです。
インパール作戦は、1944年3月8日陸軍の3個師団を
投入し開始されます。インパール盆地を北から攻め、
南からも攻め、もう一つ北部からも攻めるといった作戦で
インパール市街を包囲しようと計画しました。
軍の主力であったため総兵力は20000人を超え、
兵力の面では充実していたようです。
第15軍(林)の司令官、牟田口廉也がこの作戦決定の
実質的最高責任者でした。第33師団(弓)の師団長、柳田
元三などはインパール作戦計画の時から反対の立場で
意見を述べ、作戦の前段階としてチン高地を牟田口から
命令されると補給面で難があると反対の意見を述べましたが
一蹴されます。チン高地攻略はインパール作戦の前段階で
あったためか実現してしまったため牟田口は柳田を
𠮟責し柳田は牟田口に対して不信感を募らせます。
基本的にインパール作戦は牟田口の強硬な主張で実行された
作戦と言われていて、兵站を軽視して撤退するときに
多大な損害を出しました。
現在ではインパール作戦=無謀な作戦を指すと言っても
過言ではなくなっています。
インパール作戦失敗が現実のものとなった時、
牟田口は参謀たちに自殺をほのめかしたとされていますが、
周りの参謀たちは「昔から死ぬ死ぬと言った人に死んだ
例はありません。」「司令官としての責任を感じているの
なら黙って腹を切ってください。」などと言われ
実際に自殺することもありませんでした。
以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて
みました。