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9月も後半になってきましたが、まだまだ暑さが残って
います。
こんにちは!
今回も靖國神社遊就館へ行ったつづきで、ヨシフ・
スターリンについて書いてみます。
スターリンは、1978年12月18日グルジアのゴリで
生まれます。父親のヴィサリオンは靴職人、母親のケテワン
はレンガ職人の娘で両者とも農奴出身でした。
父親のヴィサリオンは靴職人として一時はうまくいっていた
のですが、グルジア様式の靴への需要が減ってきたため
経済的に行き詰ってきました。そのためかアルコール依存症
になり、家庭内暴力は日常的になっていたようです。
父親は靴職人として子のスターリンを育てようとしたため
養育費をカットするなど学業をおろそかにさせようと
画策していたようですが、1894年8月、スターリンは
奨学金を得て首都トビシリの神学校に入学します。
当初は優秀な成績だったのですが、次第に神学に対する
興味を失います。学内で秘密に活動していた読書クラブに
入会し、カール・マルクスの資本論に感銘を受け、
マルクス主義者として活動します。
神学校内では、禁止されていたヴィクトル・ユゴーの本を
持っていたとして処罰を受けたり、朝の祈祷の欠席など
注意や処罰を多く受ける生徒になっていました。
そのため1899年4月スターリンはトビシリ神学校を
去ります。
1905年1月22日、サンクトぺテルブルクで血の
日曜事件発生。このころスターリンは革命を起こすための
活動資金を捻出するために各地の商店などからみかじめ料
をゆすり取る生活をしていました。
1905年11月、スターリンはグルジア・ボリシェヴィキ
の代表団の一人に選出されます。
同年タンペレ協議会で初めてレーニンと出会います。
スターリンは貧民階級の味方という路線で民衆に訴え
人気を得ていきます。ただ人気を得ても完全に権力を掌握
することはできず、彼が1936年から2年間行った
大粛清により絶対的な権力を得ます。
以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて
みました。