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6月に入り紫陽花が鮮やかに花開く季節となりました。

 

人間界ではコロナウイルスが猛威を振るい人々を苦しめて

 

いますが、紫陽花にとってはコロナウイルスなどどこ吹く風で、

 

元気よく美しい花を咲かせて見る者を楽しませています。

 

こんにちは!

 

今回は、両国駅から3分ほど歩くとある両国回向院へ行って

 

きました。1657年の別名、振袖火事とも言われる明暦の大火は

 

江戸の町の大半を焼いたとされますが、犠牲者数においても

 

最悪だったと言われています。

 

その犠牲者はほとんどにおいて身元不明であることが多かった

 

ため、4代将軍徳川家綱が幕府の命令としてこの両国の地に

 

遺体を葬り、念仏堂がつくられたのが両国回向院の始まりと

 

されています。

 

このお寺には江戸時代後期に盗賊として名を馳せた

 

ねずみ小僧次郎吉のお墓があります。↓

 

 

ねずみ小僧次郎吉は1795年生まれで、建具職人や鳶職を

 

経験したのち、素行不良のため父親から勘当されて博打などに

 

手を染めその資金稼ぎのために大名屋敷専門で盗みを重ねた

 

と言われています。なぜ有名大名屋敷専門にしたかと言えば

 

有名大名屋敷に泥棒が入ったとうわさが広まれば、体裁が悪い

 

ので公表することは差し控えることを狙っていたようです。

 

また次郎吉自身の普段の生活は質素にし、お金が無くなったら

 

盗みを働くというスタイルで自分の家には大金を置かないという

 

気をつけようで、捕まらないために細心の注意を払っていました。

 

しかしついに1832年、日本橋浜町の上野国小幡藩屋敷で

 

捕縛されます。この当時の重大犯罪においては本人が罰を受ける

 

だけでなくその家族も罰を受けてしまうという連座制の仕組みが

 

敷かれていました。

 

しかし、次郎吉はもともと父親からは勘当されていますし、

 

妻や妾に対しては捕まる直前に離縁状を渡し被害が及ぶのを

 

阻止したとされます。こういった振る舞いが後に歌舞伎や講談など

 

で義賊として祭り上げられる要因になったと思われます。

 

以上、両国回向院へ行ったことについて書いてみました。

 

私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

https://yokosuka-gyoseishoshi.com/