先日書いた 『悲し過ぎる時代』のアクセス数が落ちる事なくずっと誰かが読んで下さっている様で…ありがとうございます。
…でも、大丈夫?と思ってしまうのだけど。
あの記事を何度も読む人は、だいぶ気力が落ちてる気がするから。
ここからの話しは今苦しんでいる人の、むしろ周りの方に読んで欲しいくらいなんだけど、
自分の子供なり、自分の妻が、友達が、少しでも気になる空気を纏っていたらぜひ声を掛けて欲しい、後悔のないように。
私の友人で妊婦中に自殺してしまった子がいます。
今までこの話しはして来なかった。
もう20年以上前の事でも思い出す度に何かがすごく引っ掛かる。
もう20年以上前の事でも思い出す度に何かがすごく引っ掛かる。
悲しみだけではない何かが。
当時は私も育児中だった為、ずいぶん連絡をとっていなかったので彼女が亡くなったという一報を受けた時は結婚をした事すら知らなかった。
彼女が妊娠中であったこと、実家近くに部屋を借りて夫と暮らしていた事を聞いて、なぜ自殺なんて…と意味が分からなかった。
とにかく行こう、ご両親が実家に来て欲しいと言っているから。
と言われ、数人で伺った。
ご両親から遺書があるので読んでやって下さいと渡される。
長い長い遺書だった。
便せんに小さな文字でびっしりと、10枚はあったと思う。
そしてそれは1通ではなく、数人に。
こんなに…。
なんだか本当は生きたかったのに、
別れねばならないから長く長くなってしまった様で悲しかった。
ご両親は、ほんの数日前に来たからこの日は電話をしなかったと言い、
彼女の夫はこの日は帰る時間が遅く、遺書を見つけるのが遅れたという。
亡くなった場所が建物の影になり、通行人が気づくのも遅れた。
…と、全ての状況が彼女が亡くなる事を邪魔しなかった。残念なことに。
これだけ長い遺書があるということは、もうずいぶん長い間悩み、
ずっと前から少しずつ書いては直し…を繰り返していたのだろうとも思った。
なぜなら、彼女の部屋の玄関には買って来たばかりのスーパーの袋があり、
食品がそのまま入っていたという。
スーパーで商品を選んでいる段階では、その晩、夫と食事をしようと思っていたはずだから。
その帰り道、ちょっと話しがあると友人に引き止められ、そこで初めて聞いたのは…
たぶん、彼女の悩みの根源だろうと思う。
彼女の夫の両親は、彼女に辛く当たる人だった。
夫はその事実を知ってはいたが、彼女の痛みに寄り添いはするものの
親からの攻撃を阻止する事は出来ないヒト。
詳細はご家族に失礼なので書けないが
彼女は夫の親族から逃れるように地元に帰って来てから妊娠。
けれど、彼女を守りきれない夫との再スタートを周りは認めたがらなかった。
ほんの数年の間にそんな事が…となんとも言えず息苦しくなる。
あぁ、だから遺書に何度も
彼を責めないであげて…と書いてあったのかと腑に落ちた。
頑張れない自分が悪いだけで、彼は悪く無いと。
少し別の事が書いてあっても、その後には必ずその言葉が書いてあった。
…けど、納得は出来なかったよ。
人の精神を壊す程の嫁いびりってどんなだよ!という怒り、
辛い思いをさせて申し訳ないなどと謝ろうが、結局守れてねーじゃん!という夫への怒り、
そして、再スタートを祝福する気になれなかった友人が自分を責めている様子、
誰より救いたかったであろうご両親の胸の内、あの日、電話すれば良かったという後悔。
あの時の感情は語り尽くせない。
本当に、時間は戻せないんだと思い知らされる。
あの日、その時間に!と何度願っても。
だから、危なっかしいと思ったら見守るだけではダメなんだと思った。
相手を信じて待つ事も大切だけれども、言葉に出来ないくらいのダメージを受けていた場合、案外明るく装う事が出来たりするから。
この時に学んだつもりが、その約10年後、私はもうひとりの友達を亡くした。
もう本当に自分を憎んだし、どこまで鈍感なんだと情けなくなった。
手が届く距離で友達をかすめ取られた様で悔しかった。
簡単に人を救えるなんて思い上がっている訳ではなく、
ただ僅かでも相手がこぼせるような空気を、場を作れはしなかったかと悔やむ。
この2人の友人のおかげで、私は死なないと思う。
周りのあんな悲しみ様を見せられたら、悔やみ様を見せられたら、
生きてるだけで周りを救ってるのと同じだと思える。
生きてる意味とか使命なんていう大袈裟な表現を見てしまうと、普通に生活出来ない自分を責めてしまうけど、生きているだけで、今日もおはようと言えるだけで救われている家族なり友達はいて、それが無くなる事なんて考えてはいないのだから、辛かったら辛いと教えてねと思う。
舅姑問題、夫婦の問題、親子の問題はあれど、誰も死ぬとは思っておらず、なんとか乗り越えて結婚生活を維持して行くのが『フツー』だと思い込むのは危険だと思う。
どこの家でもある話し…であっても、あなたの子供は、奥さんは、友達は、それよりもっと深く悩んでいるのかもしれない、傷ついているかもしれない。
想像力は大切だと思う。
自分がされて嫌な事は人にもしない…という事に忠実に生きて来ても、相手がその意識を持っていなければ簡単に傷つけられてしまう。
相手が悪くても、『フツーは乗り越える』という世間の言葉に飲まれて言えなかったりする。
だから今、辛い人は投げ出すまえに誰かに吐き出してみて欲しいと思う。
親や夫がダメなら友達、いっそ他人で口外しないヒトというなら病院もあるからね。
私は自分の子供達には、なんでも言ってね、必ず道はあるよと言い続けたい。
ウチにも危なっかしい子供達が居るワケだけど、何度ヒヤヒヤさせらても構わない。
何度でも手を引っ張り上げようと思ってる。
間に合わない事こそがとてつもない後悔に繋がるのだから、ここは譲れないと思っている。
きっと、亡くなった友人達の両親もそう思っていたのだろうから、余計に。
見せて頂いた事を無駄には出来ない。
ただ、加えて言うなら、世の中『毒親』というのもいるし、どうにもこうにも親子間で相性が悪いって事もあるので、「ウチの親は心配なんかしてくれないわ…」と思うのではなく、
だったら聞いてくれるヒトを探しに行こうよと言いたい。
愛を親から貰えなかったと嘆くなら、違う人から貰ったらいいと思う。
くれない人から貰おうと思うから悲しくなるけど、周りを見たら意外なヒトが自分にずっと愛をくれていたと気づくかもしれないから。
今日の内容は、すごく片寄った話しかもしれないね。
多少は叱咤激励された方が頑張れるヒトも居るんだろうとは思う。
でも、ギリギリの所に立つ心理状態を味わった事のある私としては、
死を意識する時って自分にダメ出しをし過ぎている時期なのだから、
まず自分を締め上げる手を緩める事、
そして、こんな状況なのに生きている自分を
誉めて抱きしめる事から始めて欲しいと思うのだ。
まとまったか?
まとまってない?
去る側、去られる側、
どっちにも転びそうになりながら書いたから、ごめーん


