さて、大物を売らなくちゃならない。車だ。


帰国すると言って最初に母が言った言葉は「車持ってこれないの?」だった。

持っていけるわけないでしょ。


アメリカで最初に買った車はDodgeのコルト85年車。150ドルで買った。免許取りたてで、動けば何でも良かったのだ。重ステで、坂道での縦列駐車はいつも汗びっしょりだった。サンフランシスコは坂が多い。思いっきり踏み込んでも、上り坂など後に下がりそうで、ステアリングどころか、アクセルまで踏ん張らないとならなかったから、とにかく汗だく。エアコンなんてものはない。雨が降れば雨漏りがする。そのうち助手席の足元からは双葉が生えてきた。母に話すと「あら、珍しいわね。取っておきなさい」と能天気なこと言われ、そのままにしておいたら、グングン伸びて白い花まで咲いたものだった。


そのコルトはその後4年も乗ってしまい、新車を買い替えに行こうとしたまさにその日にウンともスンとも言わなくなった。レッカー車に引かれ、私はレッカー車の助手席に乗せてもらってホンダディーラーへ行った。最後は見るも無残にボロボロだった。疲れ果てたよ‥って声が聞えてきそうなくらいに。ホンダでひきとってもらい、新車でシビックを買ったのだ。


そのシビックを手放さなくちゃならない。安月給に毎月のローンは本当に苦しかった。大事に大事に乗ってきたシビック。思い入れがものすごく強い。できることなら母が言うように、連れて帰りたかったくらいだ。


車がないと生活できない。帰国寸前に車買取業者に頼めばいいやと、たかをくくっていた。インターネットのブルーブックで見てみると、その車はだいたい8000ドルの価値があった。メンテナンスばっちり、マイルもそれほどいってないし、アラームだって付いてるし、内装なんて新品そのもの!買取業者は儲けも入れるから、だいたい6000ドルくらいで買い取ってくれるかな~なんて思いつつ、いざ、買取業者に査定にきてもらった。


無料で査定しに来てくれるということだったけど、日本人女性一人にチャイニーズ系男性二人の計3名も来て、調べてくれた。本店がLAにあるということで、連絡をとるので一旦部屋でお待ちくださいと言われ、しばらく待たされた。何となく渋ちんそうだなあ‥もしかして、4000ドルくらいとか言われちゃったりして‥。


しばらく待った後、携帯で再び呼ばれた。そしてその女性に言われた査定額にビックリ!!


女「2000ドルで‥」


え?聞き間違い?2000ドルって言った?顔面蒼白…。


女「いくらぐらいでお考えでしたか?」


私「ブルーブックで8000ドルだったので、せめて6000ドルくらいかなあ~と‥」


女「ええ、皆さんそう、おっしゃるんですが、あれは銀行の‥(うんぬんかんぬん、ちんぷんかんぷん)」

なんかよくわかならい説明。もう、その先聞いてない。あまりにショックな金額で。


女「店長に相談してみますが、1000ドルは上乗せできないと思います」


私の中で、やっぱり自分で売ろうと決めた。


別れてから15分後、先ほどの女性から電話が入った。

「どうしても○○様(私)から引きとりたいので、店長と相談したところ、3200ドルでいいということですので‥」え?あなたさっき1000ドルは上乗せできないって言って、簡単に1200ドルも上乗せしちゃえるの?


不信感いっぱい。

絶対自分で売ってやる!って誓った瞬間だった。


結局またクレイグスリストに載せることにした。