電化製品や家具系は、日系スーパーの掲示板にフライヤーを貼らせてもらった。これもデジカメで写真を撮って値段をつけて、名前と電話番号をむしり取れるように、紙の下のほうは電話番号を並べて切り込みを入れておく。今度は説明がそれほど書けなかったから、電話で説明しないとならない。


貼ったその日に電話は鳴った。今度は、見せて欲しいと言って見に来て買わない人だって出る可能性がある。電話で予約してその時間に待機して、家の場所教えて‥と、けっこう面倒ではあった。けど、処分したい。


テレビが欲しいという人がいた。10年以上前に買ったビデオデッキ付きテレビ。ケーブルを繋げば難なく見れたけど、アンテナだけでは、場所によっては映りが悪い。実際、私はその部屋に越してきてから、日本語放送がまったく映らなくなってしまって、年末の紅白見たさにケーブルを入れたのだ。


テレビが欲しいと言って見に来たその若い男性は、何年ものか聞いて「うう‥ん‥」と腕組みをしてしまった。「他には何がありましたっけ~」と言って、テレビではなく、棚だの机だのを引きとってくれることになった。テレビ、いらないの?「テレビは‥すみません、いりません」であった。


いろいろ物色しながら「越してきたばかりで、何もないんですよねぇ」というので、どこから来たのかと聞けばテキサスと言う。学生時代もバークレーにいて、またバークレーに戻ってきたとのことだった。いろいろ話すうちに、アメリカ生まれの日本人ということもわかり、実はそれまでミリタリーにいたということも話してくれた。「ミリタリー?もしかして‥」そう、イラク戦争に行ってたんだって!「生きて帰って来てよかったね~!!」と何度も言ったんだけど、本当にそう思うよ。自分のいたグループはみんな生きて帰ってこれたんだって。腕を片方なくしてしまった人はいたけれど。


その男性は普通のセダンで来たので、欲しかった布団ベッドはつめこめず、後日、会社のバンを借りてもう一度やって来た。その布団ベッドは、スージーの前の前の前に住んでいたニカラグアの女性から国に帰るとき譲り受けたもので、すっごく重たくて、私一人ではどうすることもできないシロモノだったから、引き取ってもらえたときはホッとした。いらないと言い続けていたテレビも「おまけだ~」とばかり、無理やりプレゼントしてしまった。へへへ。だって、処分に困ったんだもん。ちゃんと映るし。。。


実にいい青年だった。