やめられないこと | これでも私立高校教員

これでも私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

どうしても、やめられないことがある。

きっと誰にでもあるとは思うが、むろん私にもある。
それは、そこに理性や道理があっても、やはり、やめられないことがある。
 
私は何事も熱くなれず、長続きもしない人生で、結局、この年になってしまった。
考えることが苦手で、コミニュケーション能力が低い。
それを少しでもよくしようと自己に訓練を課し、30年近く努力をしている。
しかし、いまなお思考力は低く、人とのコミニュケーションは苦手だ。
 
そんな私でも、絶対にやめられないことがあり、それは私の人生にとって、一番大切なことだ。
ほかをすべてやめても、やめられないことだ。
何かについて、書くことではない。 
 
今日は愛知県に暴風警報が発令され、仕事は休みになった。
朝食にいつものようにヨーグルトを頂き、やめられないことの意義をずっと考えている。
 
多くの場合、失敗はやり直せるし取り返せる。
しかし、自分にとって、やめられないことをやめてしまえば、後悔ではなく、人生の意味を失う。
 
私は、毎日のように人に迷惑をかけ、人を傷つけ、人を困らせて、自分の信用を失い生きてきた。
それは、誠に誠に申し訳ないことで、その生き方は自分のわがままでしかない。
 
生きていると、誰しも、きっと人生の転機があり、それは気がつかない場合だってある、いや気がつかない方が多いかもしれない。
 
ただ、もし目の前に転機があり、それに気がつき、やめられないことができれば、それはもう戻れない。
 
私は当たり前のパターン通りの人間で、時にずるく、時に嘘かもしれない。
しかし、やめられないものとは一時的な楽しさにも左右されるものでなく、人生のなかで、きっと1回だけ、絶対的に出会うものだ。
 
対話のなかで、あがいたり焦ったりすれば、もっと深みにはまり、ますます信用を失い、決定的にうまくいかなくなることあり、さらには変えることが容易ではない状況だってあり、それを理解する理性もある。
 
それでも、やめられないものがあり、私はそれだけは、どうしてもどうしてもやめられない。
 
こういう利己的な考えは、どうかと思う。
理解されず、受け入れてももらえないし、そもそも言葉すら肯定的に信じてもらえない。
胃だって痛くなる。
 
しかし、仮にすべてを自己責任で失っても、誰にも受け入れてもらえなくても、それでもやめられないものを私は持っている。