表現の自由 | これでも私立高校教員

これでも私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

今日は3つめの投稿です。

 

なんて書くと、暇そうだが、そうでもない。

この2日間で、11人の生徒さんの小論文指導をしている。

いつものことではあるが、お盆期間はとりわけ生徒としっかり向き合い、全力で指導をすると心に決めている。大切な約束だ。

もっともさすがに疲れてくると、そこはスーパードリンクのお出ましだ。

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今日もスタバのラテ!

最近は、ラテを買ってくると、しみじみ心が癒されるほどのお気に入り。

 

少し気になっていることがある。

国際的な芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が始まって3日で中止となったことだ。

慰安婦をイメージした少女像の展示などにたくさんの抗議が来たためだが、なんと河村たかし名古屋市長が、展示に遺憾の意を述べ、結果として、 表現の自由について考えようとした企画自体が「表現」できなくなったという最悪の結末になった。

行政の長が、表現の自由への遺憾の意を述べる、これは恐ろしいことだ。

 

そもそも、「表現の自由」が憲法で保障されている以上、各自が自分の意見を表明することに何ら問題はない。

誤解無いように断っておくが、私は、今回の展示者を支持するものではない。

それでも開催を中止に追い込む神経はわからない。

リベラル派も、かつては一橋大学での百田尚樹氏の講演を、講義によって中止させたことがある。

これも、論外である。

 

自分の気に入らない意見を、脅迫、テロをもって、表現させないとはどういうことか。

人間には「自由意志」がなくてはならず、もしそれが侵害されれば、それは革命に値する出来事であり、その意見に賛成か反対かの問題ではない。

 

かつての日本は、こうして全体主義への道を進んでいった。

上記にあるように、リベラル派でも同じで、反対意見に必要以上に圧力をかけ、その表現を制限するような行為をすれば同罪である。

 

私は、自由に生きていたいし、むろん刑法も順守するし、なにより日本が好きだし、この国に生まれたことが嬉しいし、日本の歴史や文化を長年にわたり学び、なおかつ誇りも持っている。

しかし、もし、このように「表現の自由」を脅迫や行政によって制限されることが、今後も増えるのであれば、私はこの国で人生を終えたくはない。