16時間労働は、意思があればブラックではない | これでも私立高校教員

これでも私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

今日は夜中の2時半まで、塾で仕事をした。

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むろん生徒がいるはずもなく、明日のNHK文化センター名古屋での「やり直しの日本史」の資料つくりである。

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冷静に考えれば、この仕事ぶりは「ブラック」であろう。

今日は、朝の10時から仕事をしていたので、なんと16時間半の労働時間!

これはなかなかの記録だ。

 

もっとも、ここに大きな違いがある。

私は、今の時代の教育にもっとも必要なものは、生徒の「自主性」「選択肢」だと思っている。

現実の学校社会では、なんだかんだといって生徒の「自主性」に任される部分は少なく、「選択肢」も乏しい。

むろん、それは学校の認識はそうではないが、生徒にとってそこは窮屈である。

 

これは社会でも同じであろう。

仕事をするうえで、「自主性」と「選択肢」がない場合は圧倒的に多く、時にはそのほうが楽だと考える社会人もいるほどだ。

考えれば考えるほど、この2つが欠けると、かなりブラックになる確率が上がるのではないだろうか?

 

私の仕事は、時間だけ見てればブラックかもしれない。

しかし、私には「自主性」と「選択肢」が明確にあり、いまば自分の意志で挑戦している。

 

いまの時代は、「安全」「安心」「手堅く」「確実」が重視され、「自主性」による「選択肢」を持つこと、好まれない。

いや、言葉の上ではそうではないが、実際にはなにかと窮屈のような気がする。

 

何事もそうだが、「指示」され。「受身」で判断し、「単方向」で押しつけられることほど、鬱陶しいことはない。

もし自分が若ければ、そんな世界は1秒でもいたくなし、そもそも我慢して辛抱するなんてばかばかしくてやってられない。

それより、自分の意志で楽しくブラックのほうが、何倍も素晴らしい。

 

こんなことを深夜3時に考えているのは、なんとも楽しい。

きっとそれは、そこに自由があり、自由の先に未来が輝いているからだと思う。

今の自分は、きっと多くの高校生より自由だ、

 

深夜3時は、このように思考が自由になるのである。

高校生の諸君、うらやましいだろう!