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少し、ののの事をお話させて頂きますニコニコ




トラウマからの解放

皆様トラウマ、ありますか?

ののは、ぱっと思い浮かべられるトラウマは、2つある。

4年前に、甲状腺の持病から、クリーゼを起こし、死にかけた事。




でもこれ、普通に話せる 笑

ニコニコして、他人に話せる。






未だに、ニコニコしてても涙が勝手に
出てくるトラウマがある。


両親への絶望 

社会への絶望なのかな。



医療従事者ならお分かり頂けると、思いますが、私は動脈管開存症(ボタロー管)という病を患っていた。


発見されたのが、4歳の頃。


心臓の病なので、走ると苦しく、チアノーゼを起こしていた。


体力はあるのに走れそうなのに、走れない 
すぐ苦しくなってた。


発見されて、即入院が決まり、大好きな幼稚園のお友達とは、数カ月サヨウナラだった。



心臓オペ前に、小児病棟へ検査入院。





動脈管開存症って、手術しなくても
別に死ぬ訳じゃない。
でも、将来の事を考え、親がオペを決意した




そして、入院



通されたのは
大部屋


ここで、ののは大きなトラウマを作る事となる。





人口呼吸器が付けられた、植物状態の彼は、推定、18歳〜20歳


いつも、お見舞いに両親が来てた。
羨ましかった。



親が毎日来る事。
いつも彼に話し掛けてくれるご両親

小さいながらに



すごく、羨ましかったな。。。

そばで、話しかけて貰ってる彼が本当に本当に羨ましかった








私は
入院から、数日間は母親が一緒に泊まってくれたらしいが、全く記憶に無い。


ただ、覚えている事は



母親が、
「あの、このボンボンベッドだと、身体が痛いから眠れないし、疲れるから、お母さん夜帰って良い?もう大丈夫よね?」




のの「うん。大丈夫だよ。お母さんごめんね身体痛かったね」



母にこの言葉をかけたのは、覚えているから、


母は付き添って、数日間は泊まっていてくれたのだろうと思える




母が夜居なくなってからは、地獄だった




昼間は、他人の声、音にかき消されてた、気にならなかったんだ




植物状態の彼の呼吸



「ゔー」  痰の絡む音  
人口呼吸器の異常音
もがき、苦しむ声 
看護師が処置する音



毎晩、毎晩、夜が怖った


両親が居ない夜 怖い音がする夜


怖くて怖くて、眠れなかった


小さな身体でベッドの中で、一人震えていた
 



入院する前に、近所のおばさんがくれた、オルゴールの入った人形



枕元に置いて一緒に寝てた


怖い音が聞こえないように


怖い音がかき消される事を願って



オルゴールのネジを目一杯回して回して。。。



オルゴールの人形を
一生懸命耳にギューっと押し付けて、寝た


それでも、怖くて


毎晩寝れなかった。




たまに来る、父親

その頃は、
仕事が忙しかったそうな。


「帰らないで」なんて言えない。

言ったらお父さんに迷惑になると、思ってた。




今37歳になっても、4歳の時の記憶は鮮明に蘇る。


30代になって、両親に聞いた

のの「あの時は、忙しかったの?」


母「あの時は、忙しかったねーお父さん。」


父「そうだね。人生で1番忙しかったなぁ」


うん。

そうじゃない。


何十年も前の話かもしれないけど


私に、謝るべき。



「あの時、一緒に居られなくてごめんね」



この言葉だけで
そのたった一言で

私は多分、許せる
トラウマから解放されるはず






手術後の、カテーテルを抜くときも、

一人だった。


体内に入っているカテーテルを無麻酔で抜くわけです。


激痛 

内臓をえぐられる感覚
今でも思い出せる痛み



ベッドに自分の、血飛沫が飛んだのを見た。



母親は、部屋の外で待ってた



もう、この頃には私は、
辛い時、手を握ってくれる人が居ないと悟った



たとえ家族でも。。。



4歳の秋







現代社会は、仕事!仕事!仕事!


コロナのお陰で、風邪っぽかったら出社しないでくれ。

そんな世の中になれたけど


まだ、介護休暇、男性の育児休暇は取れない。


一昔前は、這ってでも会社に来い!


そんな風潮でしたね。


私はこんな幼少期の入院経験もあり、自営業になった


いや、絶対に自営業に、なりたかった。


大切な人が困っている時はすぐに助けられる仕事。

困っている人がいたら、すぐに手を握ってあげられるような働き方をしたいと。


 
父のようには絶対に、絶対になりたくないと、思った

会社、社会が憎かった

4歳の秋



今は、完全予約制なので、自分のペースで働ける  本当に有難い。









母は、私が4年前、甲状腺で死にかけた時も、お見舞いには来なかった。


母は、そういう人


母の事など、とっくに諦めていたけど


期待した私が馬鹿だった口笛


父は来てくれた。とっても嬉しくて泣いた

「心配かけたね。ごめんね、ちょっと頑張り過ぎたみたい。」


父も泣いた。






幼少期の時の入院で、側に居てくれなかった事は、私の大きなトラウマとなっている



自分がどうにかしなきゃ!

自分でどうにかしなきゃ!

自分で解決しなきゃ!

誰にも頼れない

頼ったら迷惑をかける

助けて!帰らないで!

私寂しいんだ

夜が一人で怖くて眠れないんだ


その一言が言えたなら


こんな私を形成しなかったんだろうな


他人に甘えられる
甘えて良い事を、両親に教えて貰えず


一人で、とことん頑張り


限界を知らず、甘える事を知らず


一人で、ただ黙々と頑張り、ストレス過多
で、
甲状腺疾患になったんだと、私は勝手に解釈している


だから、病は気から



気の持ちようで

気分次第で

はたまた、トラウマ次第で

なってしまう病気や、痛みがある事

育った環境で病になる事


私は知っている


甲状腺疾患を抱えながらも、またバカみたいに頑張り続けた結果


死にかけた









痛くて辛い時

心が苦しくて、辛い時

いつでも、ご相談下さい。





誰にも頼れないと、壊れちゃうよ??

無駄な頑張りは、命をも落とす事

本当にあるんだよ??



と、私は言いたい




そうすれば、病は気から

そうすれば、治る病や痛みがある

それも、知っていますニコニコ