統合失調症との共同生活 -32ページ目

何事にも興味関心意欲がなくなり、何もできなくなってしまうのだが何もしていないというのも苦痛という状態である。

この状態は陽性症状が出た後の後遺症とも言われているし、陽性症状を抑えるために飲むドーパミンブロックの薬の副作用で起きているとも言える。

 

医学的には非定型抗精神病薬は陰性症状に効き目があるとされているが、当事者から言わせてもらうと全く効いていない。

それどころかその薬の副作用ではないかとも思っている。

 

医師からは今の状態が永続的に続くなどと言われている。だとすると地獄だ。

なぜ変薬をしないのかが私にはさっぱり分からない。

 

ドーパミンが明らかに足りていないのを感じる。とはいえ私の陽性症状は強烈なものであった。

自他との境界線がなくなり、道行く人みんなに挨拶をしてしまったり、自分が人類を救うために生まれてきた存在であると確信してしまったり、人に話すのも恥ずかしいような症状が出てきて、その後地獄に落ちたかのように体感時間が十倍くらいになり無限に等しい絶望感を味わった。

テレパシーで人同士が繋がっていて、心の汚い私をみんなでいじめるというものもあった。一部の人間たちがグルになって私を監視し、殺そうとしている妄想の世界に入ったときは生きた心地がしなかった。

 

それでも今は陽性症状がない。あるのは陰性症状だけだ。医師はこの陰性症状を甘えだと言っている。

働ける状態であると。訪問看護も毎回働くことを推してくる。それでも働けずにいることを見て察してほしいものだ。私にはお金を使う趣味もやりがいもないのだ。

働く意義を見出せない。

 

仲間がいた頃は働いて稼いだ金で一緒に遊びに行くのが生き甲斐だったが今はその仲間もいない。

あれだけ好きだった酒だって禁止されている。何も楽しみがない。

そう書いていると陰鬱になってくるが事実だ。

 

もう何も残っていないのである。新しく作ると言っても私には健常者だった頃の仲間以上の関係を作れるほどの気力も人間性もない。

マイナス人間だ。

 

今頃みんなは何をしているだろうかと考える。私はもう死んだ者扱いされていそうだ。

家庭を持ち仕事に精を出し人並みの幸せを手に入れているだろう。それを考えると孤独感も出てくる。

 

まだ30。諦めるにはまだ早いと言うが私に家庭を持つ気はない。不幸になっていく家庭を見続けてきたし、私自身の家族も崩壊しているため家庭を持つことと幸せは=ではない。

 

医師は私に本当の恋愛したことある?などと言ってきた。本当の恋愛とはなんなのだろうか。これだけ不倫報道やら離婚やらが相次いで報道されている中でその結婚した人たちはこれが本当の恋愛なのだと信じて結婚したことだろう。

だが現実はそうではなかった。そこに絶望する人や乗り越える人がいる。乗り越えられる人には恋愛をする資格があると思うが絶望してしまうような人間に恋愛をする資格はないと思う。

私はそもそも恋愛に興味がない。良い出会いをしていないからだと思うが良い女はもうみんな結婚している歳まできているのである。

 

良い女とSEXがしたいがために仕事をがんばって昇給を目指す人間もいるなどという話もされた。

本当にアホくさい話だと私は思った。動物的な生き方に近い人種だと感じる。

 

まあつまりは何をモチベーションにして努力をするかという話だ。私の主治医は女性を例に出したが私は女性はモチベーションにならない。

かといって名誉欲もない。

努力する理由が見当たらないし、努力したところでどこかで体調を崩してまた逆戻り、なんて人を何人も見てきた。

 

精神障害は甘えだと言う世の中を私は生きてきた。健常者だった頃なんて精神障害なんて気合と根性で治せと思っていた。

でもいざ自分がなってみると体も精神も自分の思い通りには全く働いてくれない。

働くことがめんどくさいと言うとみんなそうだけど我慢しているんだと人は言う。

けどそうではない尋常ではないレベルで、体が動かず憂鬱で死にたくなるレベルでめんどくさいのである。

それを言うとわがままだと言われる。

 

健常者と精神障碍者は一生わかりあえない。精神医療をかじっている人ですら通じないのだからもう無理だろう。

お前も精神病になれとしか言えない。

 

 

私は二年の入院中に仏教の本を読み漁った。

お釈迦様は現世を生きる上での知恵を説いたとされているが、日本に伝わっている仏教というものはあの世の宗教になっていると感じた。

人の救いは死後にあるというような内容の本があった。だとすれば、現世では何をすればいいのか。ただ苦しみを耐えるだけなのか。

分からなかった。

 

他の本にはもちろんお釈迦様の言葉を尊重した現世を生きる上で役立つ心構えや知恵が書かれていた。

基本は執着を手放しなさいということだった。そして瞑想に励めば誰でも簡単に悟ることができるとまで書かれている本もあった。

私は苦しみから解放されるという悟りという境地に興味がわいていたので瞑想に励んだ。

 

自分自身の気持ちをありのままに見つめ、呼吸に集中し、脳から快感物質を出す。

慈悲の心を持ち、人々の苦しみをわかり、慈しみの心で接してあげる。

 

私にはこの慈悲の心というものがどうしても分からなかった。

人に一度優しくすればまた人は優しさを求めてきてその優しさがなくなったとき怒りだす。

そんな幼稚な人ばかりが周囲に多かったため、人には与えないしもらわないというのが私のポリシーになっている。

 

ようは環境に恵まれていれば人は優しくなれるし、荒んでいれば優しさなんぞどこかへ吹き飛んで自己を守るために動くようになっている。

 

初めから求めなければ失う苦しみがないというのも一理あるが、求める気持ちなくして仕事も経済も立ち行かない。

最低限度の暮らしに満足するというのはもうできている。

 

最もだなと思ったのは自業自得因果応報という言葉。めぐりめぐって全て自分に返ってくる。

私の人生ではこれが上手いこと当てハマっている。ただ、世の中には罪なき障碍者、被害者がいるあたりこの言葉が全てという訳ではないと分かる。

 

あとは我々はもう死んでいるのだからとかく悩んだり苦しんだりするのが間違いだなどと書かれている本もあった。

生きているから病に苦しみ、痛みや不自由や様々な恐怖を感じるのにもう死んでいるとはどういうことなのだと凡人の私にはさっぱりわからなかった。

ある種の現実逃避の言葉として私はとらえてしまったが、地位も役職もある人の言葉なので理解できる人には納得できるのだろう。

 

私はいつ受けるかわからない暴力による破壊と痛みが怖い、いつやってくるか分からない病気による痛みや不自由が怖い。

なぜ人を傷つける人がいるかと言えば、その人自身も過去に傷つけられて育ってきたからだ。

裕福な家庭に育っておいていじめなどをするどうしようもない人間もいるが人間の大半は幼い頃の傷から社会に対して敵対したり怯えたりなどの行動をとる。

 

私は敵対していた時期もあったし今は怯えている。道を歩いているときに絡まれたらどうしようなどと一々考えてしまうため人とは極力目を合わさない。

病前の自分なら絡まれたところで何事もなく無視するか逆切れするかコミュニケーションをとって和解するか選べるほど柔軟だったのだが今の自分はパニックになって取り乱してしまい硬直してしまうだろう。

 

それほどに、人格が変わった。人の世というものはコミュニケーションだ。コミュニケーション能力さえあれば上手くいくようにできている。

私も取り戻したいと思っているのだがどうしても興味もなければ関心もわいてこず、笑えないし質問もできないしとっさに人から何か言われたときにどう返していいかもわからない。

 

病気になってから方向音痴にもなった。タクシーに乗っても道が頭に浮かばず説明できない。

あとは理解力、認知機能が落ちた。入院中のリハビリで簡単なプラモデル一つ自分一人の力で作ることができなかった。

本当に回復する日は来るのだろうか。

 

話戻って仏教では人や物事に対する求める気持ちで執着が生まれ苦に結び付くと説かれている。

生への執着はどう消すのだろうと思う。私の読んだある一冊の本には一切の欲望も怒りもなくなった状態で生きていけるようになると書かれていた。

私にはインチキ坊主の言葉にしか聞こえなかった。食欲も睡眠欲も生存欲もなくして生きて怒りすらも持たず人生を流れるままに生きられる環境にあるならばそれも可能かもしれないが最低でも生存欲がないと自己防衛すらできなくなってしまう。

 

その本には自己防衛する必要すらない、それで命が終わるならそれまでのことと書かれていた。

すごく潔いと思った。私も例えば包丁で刺されても痛みを感じないのであれば無抵抗のまま死ねるかもしれないが、現実凄まじい痛みがある。痛みがあるゆえの恐怖がある。だから自己防衛に走ってしまうだろう。

 

昨日は夜更かししたので昼前に起きました。

入院していたら考えられない生活。好きな時間まで起きて自由な時間まで寝られるというのが最高の贅沢です。

 

ですが問題は起きた後、何もやることがありません。かといって仕事もデイケアも行きたくありません。

この退屈を潰すために以前の私は酒を飲んだりゲームをやっていたのですが酒はもうやめてしまったしゲームも飽きました。

動画配信も楽しくない。買い物も欲しい物ががない。強いて言ってしまえば生きている理由が惰性です。

 

大分重い陰性症状になっていると思います。軽い鬱と不安障害も入っている。

精神科医ははっきり言って当てになりません。病状が悪いと言うと薬漬けにして副作用で苦しめたり、そもそもまともに話を聞きません。

 

私の今の状態も甘え、逃げているだけと言ってきます。正直不愉快です。

私にとってやはり人と関わることはストレスがたまる。

 

話変わって最近楽しい夢ばかりを見ます。仲間たちと楽しく遊んでいる夢。

仲間なんていないのですがそんな夢を見ます。ずっと起きずに夢の中を生きていきたいくらい。

なので目が覚めると憂鬱になります。ああ、楽しい時間が終わってしまったと。

夢の体感時間は長くても一時間。起きている時間は十時間以上。

苦しい時間の方が長いです。

 

お金を稼いで欲しいものややりたいことがあればいいのですが何もありません。

あるのは睡眠欲とわずかな食欲。それを満たしている時間以外は退屈という苦痛です。

退屈を苦痛と感じなくなれば一生入院していても平気になると思い修行もしたのですが、やはり退屈に勝る苦痛はありませんでした。

座禅を組んで一日中座っていることもあれば一日中横になっているときもあり廊下をひたすら徘徊したり、それでも心の中は退屈過ぎて鬱になるほどのものでした。

 

入院させずにそのまま作業所へ行かせてもらえていればまた話は変わったのでしょうが、病院と母は私を二年も入院させることを選びました。

入院中の音、話し声、被害妄想で絡んでくる患者、雑な扱いしかしない看護師、ヘルパー、おなかが減っていないのに無理やり食べさせられ眠いのに起こされ眠くないのに寝させられとにかく自由な空間というものが何一つありませんでした。

 

このストレスで三回も入院中に再発しました。精神科医なら陽性症状が出た後には陰性症状がやってくることを知っているはずなのですが働かせようとしてきます。

そこが腑に落ちません。陽性症状は天国にいるような気分になったり、はたまた地獄に落ちたり、苦しいこともあるのですが短期間で終わります。

統合失調症の問題は長期間続く陰性症状にあります。ここでリハビリをするように言ってくるのですがリハビリに参加すらできない程に意欲関心興味がなく、表情もなく、人とのコミュニケーションを求めていません。

人から受け入れてもらえないとわかるほどに喜怒哀楽に乏しいからです。

 

入院中色んな患者がいましたが終始無表情でうつむいている人や笑顔の絶えない楽しそうな人、様々な人がいました。

私は、無表情で人が煩わしくて仕方がないという立場で生活していました。

 

精神科に長期入院した人ならわかると思いますが、精神科の閉鎖病棟は本当に劣悪な環境です。

患者もやっていられねえとストレスをふすふすと溜め、職員側もそんな患者の言葉をまともに取り扱いもしません。

 

贅沢を言ってはなんですが私は友人を作るならば健常者か、病状の軽い精神病者がいいです。

重い人との話しは正直言って耐えられません。こちらまで病んできます。

 

もう助からない、つまり生涯入院生活から出られないのであろう人を何人も見てきました。

私はそれが怖いです。あんな不自由でストレスがたまって気も休まらない場所で寿命が来るまでの長い時間を耐え続けるなんて地獄です。

その人たちがかわいそうでなりません。ただ、もう振り切って入院生活に苦痛を感じなくなっている人もいました。

退院するくらいならずっと入院していると。入院生活に適応できる人もいるのだなあと思いました。

すごい適応能力だと思います。あの生活に適応できるのならば生涯衣食住に悩むことなく、快適に生涯を医療の中で終えることができます。

 

私には到底無理でした。ネット環境さえあればまだマシだったかもしれませんが他人との集団生活というだけでストレスが尋常じゃない程にたまりました。

それに、精神障碍者を同じ人間として扱わない病院関係者の態度にも腹が立ちました。

もちろん、そんな人ばかりではないのですが大体の人は激務に疲れてストレスを丸出しにしていたりします。

 

入院して三回も再発する前は、確実に人とのコミュニケーションをとれていたし、麻雀だって将棋だって楽しかったのですが、再発して以降何一つ楽しいことがありません。

退院間近には麻雀半荘打つことすらできなくなってしまっていました。つまらなすぎてです。

 

入院は良い経験になりました。心残りがあるとすれば変薬を済ませてもらえなかったことです。

入院中ならば変薬して再発しようが隔離室へぶち込んで薬を投与していれば終わりです。

ですが社会に出た今、再発してしまったら最悪警察沙汰になって措置入院です。

今飲んでいる薬はレキサルティ2mgとリスペリドン6mgなのですがどうもリスペリドンが多くてドーパミンが足りな過ぎる気がする。

ドーパミンが司るとされる意欲関心興味、生きる幸福感というものが感じられないからです。

レキサルティはバランサーなのでそこまで影響していないのではないかと思っています。

 

変薬するのならばどうしたらいいのか、識者の意見を聞きたい。

レキサルティはおそらく外さない方が良い、リスペリドンは減らすと陽性症状が出る可能性があると考えると変薬のすべはない。

となると私はずっとこのままの状態で暮らしていかなければならないことになります。

 

私はずっと活動的であった自分を取り戻したいのですが、活力がわきません。

作業所へ見学へ行ったときも興味がわかないため質問もできず、笑顔に対して笑顔で返すことすらできず、おそらくやる気のない人だと思われたと思います。

私が健常者の頃にそんな人と出会ったらそう思うからです。