プロ野球西鉄(現西武)の強打者として、西鉄の黄金期

を支えた中西太さんが、今月11日にお亡くなりになり

ました。享年90歳。

 

お父さんが小学生の野球少年だった頃、生まれが京都

なので阪神タイガースの熱狂的なファンでしたが、

パ・リーグの西鉄は中西・豊田・稲尾など野武士集団

が核となって、プロ野球を引っ張っていました!

 

 

中西さんのイメージはその名のとおり、

がっちりした足腰で、お腹が出ていて、

そのパワーは人並外れていました!

本塁打王:5回

首位打者:3回

打点王: 3回

の強打者らしい成績を残しました!

しかし、意外に本塁打数は244本と少ない一方、

打率は3割9厘も上げていました。

 

選手を引退した後、日本ハム、阪神の監督や

ヘッドコーチとして、若松(ヤクルト)、掛布(阪神)

を育て上げました💛

 

 

日経ビジネス人文庫に、日本経済新聞の『私の履歴書』

を文庫にした冊子『神様、仏様、稲尾様』(稲尾和久著)

があります。

稲尾投手は一シーズンで42勝を挙げた「鉄腕」として

称された球史に残る大投手。

この本はお父さんの愛読書の一冊ですが、この本の中に

中西さんに関する記事が多く載せられています💛

 

 

この稲尾さんの『私の履歴書』に、中西さんの

エピソードが多く語られています💛

 

①稲尾投手が西鉄入団後、初めて平和台球場で

 見たものはバックスクリーンのてっぺんに標識

 のようなものが立っていて、それが中西選手が

 昭和28年、大映戦で放った161.5メートルと言

 う日本最長の大本塁打だった!

②試合では相手内野手が飛びつこうとした打球が

 そのままスタンドに飛び込んだ!

③打撃練習は今のような防護ネットがない時代、

 中西さん、豊田さんと続く日本一の強打者を

 相手にするのは恐ろしかった!

 命がけだった・・・。

④中西さんの素振りは迷惑だった。

 遠征先で裸同然の姿で強烈な素振りをする。

 旅館の安普請の作りはガラスを震わせ、とても

 寝ていられなかった。

 

 

稲尾さん(中央)中西さん(右)豊田さん(左)の

野武士3人組。

 

 

 

古き良き時代のプロ野球、稲尾さんは今の

ような「球数制限」がない時代、完投した

翌日もマウンドに立った。

「10勝を20年続けたところで、

神様、仏様・・・」にはならなかった。

 

余談ですが、私が最初に好きになったプロ野球

選手は、豊田さんでした。

サラリーマン時代の定年近く前、縁あって、

豊田さんを業界の講演者にお招きすることに

なり、講演後の懇親会でお話することができ

ました。

「私がプロ野球選手で最初に好きになったのは

豊田さんでした・・・」

「ホントかい?」

「そうです!」

と返答して、握手をさせていただくと、

「君、大きな手をしてるね(笑)」と。

一方、豊田さんの手は、小さくて柔らかく、

とてもプロ野球選手として大活躍した「手」

とは思えませんでした・・・。

会話を通じて、温かい人柄に惚れ直しました💛

 

西鉄の黄金時代を支えた主力選手、

3人(中西、豊田、稲尾)はすべて天国に召されましたが、

中西さんは豊田、稲尾両選手と、今頃、どんな話をして

いるのでしょうか?

野球談議に決まってますネ💛

 

今日も良い一日になりますように ラブラブ

 

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