東京五輪、多くの競技の中でほとんど話題にならなかった?「総合馬術」でも
日本人選手が活躍しました
団体は11位に終わったものの、戸本一真(ともと かずま)選手が個人で4位
この記録は、1932年ロサンゼルス五輪で金メダルを取った、西 竹一(にし たけいち)
さん以来、89年ぶりの入賞でした
モンちゃん「そうごうばじゅつ、?」
お父さん「お馬さんが上に乗った騎乗者と一体になって、障害物を乗り越えて、
その美しさを競う競技なんだ・・・
お馬さんと騎乗者が仲良しで、信頼が最も大切 」
☆ 戸本一真選手と愛馬ヴィンシーが見事な飛越を見せる ☆
(画像はNetよりお借りしました)
余談ですが・・・
1932年ロサンゼルス五輪で金メダルを取った西 竹一さんについて語りたいと
思います。
ロサンゼルス五輪の花形競技の馬術で優勝した東洋の貴公子は、”バロン西”
と呼ばれ、本人離れした手足の長さと態度で欧米の社交界で名を売りました。
☆ 西 竹一さんと、愛馬ウラヌス ☆
モンちゃん「ホントに、しんらいしあってるネ 」
お父さん「お父さんとモンちゃんも、こんな関係を続けたいなぁ~」
モンちゃん「うん、OK 」
毎年、夏になると太平洋戦争のことを振り返ることにしていますが、忘れては
ならないのは、終戦末期の「硫黄島の戦い」(1945年2月19日~3月26日)
です。
この戦いは、東京までの1,250キロの位置にある硫黄島を攻略し、「東京の
爆撃を容易にしようとする米軍」と、「一日でも長く死守することで、東京に暮らす
人の命を守る」使命を感じた、栗林中将(硫黄島最高指揮官)率いる日本軍との
壮絶な戦いでした。
豊富な兵器、弾薬を誇る米軍、一方、弾薬も食料も尽き欠け、さらに硫黄島
と言う硫黄ガスが充満する中で、栗林中将が選んだ作戦が「地下壕」を掘り、
ゲリラ作戦を展開し、米軍を苦しめました。
西竹一は、米軍とは圧倒的に劣る日本軍戦車を巧みに隠して、上陸する
海兵隊に対抗する作戦を試み、苦しめました。
「5日で攻略させる作戦」を展開した米軍は、日本軍を上回る死傷者を出し、
太平洋戦争で最大の死傷者を出したことは、今も米国でも強く記憶されています。
その象徴の一つが、クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』
『父親たちの星条旗』(ともに、2006年)です。
ご覧になった方も多いと思いますが、西 竹一さん(戦車26連隊長)が、栗林中将
と話し合う場面は印象的でした・・・。
☆ 西 竹一さんを演じたのは、伊原剛志 ☆
(画像はNetよりお借りしました)
☆ 下段右: 栗林中将を演じた渡辺謙 ☆
日米両軍合わせて2万7千人が亡くなった、太平洋戦争最も過酷で悲惨過ぎる
戦い・・・。
栗林忠道中将、西竹一戦車26連隊長は、硫黄島でその命を絶ちました。
栗林中将54歳、西連隊長42歳が率いた13,600名の日本軍が、どれほどの
日本人を救ったのか?
「硫黄島の戦い」を記した涙無くしては読めない名著、
『散るぞ悲しき』(2006年、梯 久美子)をこの夏も読み返したいと強く思っています。
今日も良い一日になりますように
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