最悪のジャンボ機衝突事故 1 | 世界珍ネタHunter!

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1977年3月27日、パンアメリカン航空1736 便はロサンゼルス国際空港を離陸し、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に寄港した。クリッパー・ヴィクター号と命名されていたこの航空機はボーイング製の 747-121 で、登録記号は N736PA (1969年製造)であった。一方のKLM4805便(747-206B、登録記号 PH-BUF、1973年製造、「ライン号」)はオランダからの保養客を乗せたチャーター機で、事故の4時間前にアムステルダムのスキポール国際空港を離陸した。どちらの飛行機も、最終目的地は大西洋のリゾート地であるグラン・カナリア島のグラン・カナリア空港(ラス・パルマス空港)であった。最終目的地に近づく途中、パンナム機は、ラス・パルマス空港がカナリア諸島分離独立派組織による爆弾テロ事件と、さらに第二の爆弾が仕掛けられているという予告電話(結局は虚偽だった)のため臨時閉鎖したと告げられた[3]。パンナム機は空港閉鎖が長くは続かないという情報を得ており、燃料も十分に残っていたので、着陸許可が出るまで旋回待機したいと申し出たが、ほかのたくさんの旅客機と同様に近くのテネリフェ島のロス・ロデオス空港にダイバート(代替着陸)するよう指示された。KLM 機も同様にロス・ロデオスへのダイバートを指示された。ロス・ロデオス空港はテイデ山の麓に位置する、1941年開港の古い地方空港であった。1本の滑走路(ランウェイ)と1本の平行誘導路(タクシーウェイ)および何本かの取付誘導路を持つだけの規模で、地上の航空機を監視する地上管制レーダーもなかった。小さな空港はダイバートした旅客機ですし詰めの状態であった。KLM 機が着陸した時点で主エプロン(駐機場)のみならず、平行誘導路上にまで他の飛行機が駐機している状態だったので、管制塔は平行誘導路端部の離陸待機場所への駐機を命じた。およそ30分後に着陸したパンナム機もこの離陸待機場所のKLM機後位に他の3機とともに駐機した。平行誘導路が塞がっているため、離陸する飛行機は滑走路を逆走して離陸位置まで移動する必要があった。
パンナム機着陸のおよそ2時間後、ラス・パルマス空港に対する二度目のテロ予告は虚偽であることが明らかになったため、同空港の再開が告知された。乗客を機外に降ろさず待機していたパンナム機は離陸位置へ移動する準備ができていたが、KLM機とそれに給油中の燃料補給車が障害となって移動することができなかった。既に乗客を降ろしてしまっていたKLM機のファン・ザンテン機長は、乗客の再招集にある程度の時間が掛かることもあり、ラス・パルマスに着いてからではなく、このロスロデオスで給油してしまうことに決めた。この給油が開始されたのが、ちょうどラス・パルマス空港再開の一報の5分ほど前であり、目前でそれを見ていたパンナム機はいつでも離陸できる状態であったので、無線で直接KLM機にどれくらい掛かるかを問い合わせたところ、「35分ほど」と回答された。何とかKLM機の横をすり抜けられないかと、パンナム機のグラブス機長は副操縦士と機関士の2人を機外に降ろして翼端間の距離を実測させたが結果はギリギリで「不可能」だった。すり抜けを断念し仕方なくパンナム機がKLM機の給油を待つ間に、目前を10機以上が離陸していった。また同じ位置にいた他の3機は747ではなかったので、上手にKLM機の脇をすり抜けて離陸していった。KLM機の乗客のうち1人だけが、空港で降りることにしたため、乗客数は235人から234人に減った。給油が終わると、KLM機は先にエンジンを始動しタクシングを開始し数分遅れでパンナム機もKLM機の後に続いた。
16時58分、管制塔の指示に従い、KLM機は滑走路を逆走して端まで移動し、180度転回した(航空用語では地上での方向転換をタクシーバックと呼び、747のような大型機が狭い滑走路で転回するのは困難なため、誘導路がある空港では普通は行わない)。その位置で航空管制官 (ATC) からの管制承認(ATCクリアランス)を待った。移動の最中、霧が出現し、1000フィート(300 mほど)しか視界が利かなくなった。管制塔は滑走路の状況を目視できなくなった。17時2分、パンナム機はKLM機に続いて同じ滑走路を逆走した。パンナム機に対する管制塔からの指示は、滑走路途中の「3番目の出口」まで進み、そこから左へ滑走路を出て平行誘導路に向かい、そこでKLM機の離陸を待つように、というものだった。霧の中、C3出口に到達したパンナム機クルーはこの出口を出るためには左に135度転回し、さらに平行誘導路に出る時にはもう一度右に135度転回しなければならないことに気付いた(通常747のような大型機にこのような困難な進路指示は出すものではないが、このような指示を出したのは当時747は最新鋭の大型機で管制官にその知識が薄かったためとされている。スペイン当局の事故調査報告では、なぜ管制官が曲がりやすいC4出口でなくC3出口を指示したかについては触れられていない。パンナムクルーは小さな滑走路で747がこのような急転回をするのはほぼ不可能(事故後にKLMは独自で実験を行い747はこの曲率を通過できることを証明したが)と考え、テネリフェATCは45度転回で済む C4 出口で左へ曲がり滑走路を出るよう指示したのに違いないと思い込み(パンナム機副機長の証言によれば、テネリフェATCから「1、2、3の3番目」という指示を受けた時点でパンナム機は既にC1出口を越えており、C1出口から3番目にあたるC4出口を指示された地点だと信じていたという)、C3出口を通り過ぎ、そのまま C4出口に向けてさらに滑走路をタクシングをし続けた。
KLM機のファン・ザンテン機長はブレーキを解除し滑走を始め、副操縦士が管制承認が出ていない事を意見する。17時6分6秒、副操縦士は管制官に管制承認の確認を行い、17時6分18秒、管制官は管制承認を出した。管制承認はあくまで離陸のスタンバイであり、離陸を始めていいという承認ではないが、管制官は承認の際に「離陸」という言葉を使い、KLM機はこれを離陸許可と受け取ったとみられる。17時6分23秒、副操縦士はオランダ訛りの英語で "We are at take off" (これから離陸します)または "We are taking off" (離陸しています)とどちらとも聞こえる回答をした。管制塔は聞き取れないメッセージに混乱し、KLM機にその場で待機するよう答えた。「OK、(約2秒無言)待機せよ、あとで呼びます (OK,…Stand by for take off. I will call you)」。この「OK」とそれに続く2秒間の無言状態が後に問題とされる。
パンナム機はこの両者の遣り取りを聞いて即座に不安を感じ、「だめだ、こちらはまだ滑走路上をタクシング中 (No, we are still taxiing down the runway) 」と警告した。しかしこのパンナムの無線送信は上記2秒間の無言状態の直後に行なわれたため、KLM機では「OK」の一言だけが聞き取れ、その後は混信を示すスキール音しか記録されていない。2秒間の無言状態により、ATC(航空交通管制)の送信は終わったと判断してパンナム機は送信を行ったが、ATCはまだ送信ボタンを押したままだったので混信(ヘテロダイン現象)を生じた。しかもATCとパンナム機の両者はこの混信が生じたことに気付かなかった。これにより、パンナム機は『警告がKLM機とATCの双方に届いた』、ATCは『KLM機は離陸位置で待機している』、KLM機は「OK」の一言で『離陸許可が出た』とそれぞれ確信し、実際にKLM機はスロットル全開にして離陸滑走を開始した。霧のため、KLM機のクルーはパンナムの747がまだ滑走路上にいて自分たちの方向に向けて移動しているのが見えなかった。加えて、管制塔からはどちらの機も見ることができず、さらに悪いことに滑走路に地上管制レーダーは設置されていなかった。
だが衝突を回避するチャンスはもう一度あった。上記交信のわずか3秒後に改めてATCはパンナム機に対し、「滑走路を空けたら報告せよ(Report the runway clear)」と呼びかけ、パンナム機も「OK、滑走路を空けたら報告する(OK, we'll report when we're clear)」と回答した。このやりとりはKLM機にも明瞭に聞こえていた。これを聴いたKLMの機関士はパンナム機が滑走路にいるのではないかと懸念を示した[9]。事故後に回収されたKLM機のCVR(コックピットボイスレコーダー)には以下の会話の録音が残っている(カッコ内は原語であるオランダ語)。

KLM機関士:「まだ滑走路上にいるのでは? (Is hij er niet af dan?) 」

KLM機長:「何だって? (Wat zeg je?) 」

KLM機関士:「まだパンナム機が滑走路上にいるのでは? (Is hij er niet af, die Pan-American?) 」

KLM機長/副操縦士:(強い調子で)「大丈夫さ! (Jawel!) 」
おそらく、ファン・ザンテンは上司であるだけでなく、KLMで最も経験あるパイロットの一人だったためだろうが、機関士は重ねて口をはさむのを明らかにためらった様子だった。

KLM機に警告を与えた(と思っていた)パンナム機コックピットでは機長が「こんなところとはさっさとおさらばしよう (Let's get the hell right out of here.) 」、機関士は「ええ、(KLMは離陸を)急いでいるんでしょうね (Yeah ... he's anxious, isn't he?) 」、「あれだけ我々を待たせたくせに、今度はあんなに大急ぎで飛ぼうとするなんて (After he's held us up for all this time - now he's in a rush.) 」といった会話がなされていたが、17時6分45秒、滑走路の C4 出口に差し掛かったところで機長がKLM機の着陸灯が接近してくるのを視認した。
「そこを! あれを見ろ! 畜生!…バカ野郎、こっちに来やがった! (There he is! Look at him! Goddamn ... that son of a bitch is coming straight at us!) 」また、同時に「よけろ! よけろ! よけろ! (Get off! Get off! Get off!) 」」という副操縦士の声も記録されている。衝突直前、パンナム機の操縦士たちは出力全開で急速に左ターンを切ろうとしたが、あまりにも時間がなく、機首を45度ほど曲げるのが精一杯だった。
一方KLM機はその速度が既に「V1(離陸決心速度)」を超過しており停止制動はできず、さりとて「VR(機首引き起こし速度)」には達していない状態だったが、17時6分48秒、衝突を避けようと強引に機首上げ操作を行い、機尾を滑走路に20 mにわたり擦り付けていた。機長が衝突の瞬間まで「上がれ!上がれ!上がれ! (Come on! Come on! Come on!)」と叫ぶ声が記録されている。17時6分50秒、わずかながら浮き上がったKLM機の胴体下部は、滑走路上で斜め左へ転回中だったパンナム機の機体上部に覆い被さるような形で激突した。KLM 機の機首はパンナム機の上を超えたものの、機尾と降着装置はパンナム機の主翼の上にある胴体の上右部に衝突し、KLM 機の右翼のエンジンはパンナム機の操縦席直後のファーストクラスのラウンジ部分を粉砕した。KLM機は一時は空中へ浮上したが、パンナム機との衝突により第一エンジン(左翼外側)が折れ、第二エンジン(左翼内側)はパンナム機の破片を大量に吸い込んだため、あっという間に操縦不能の状態に陥った。KLM機は失速し、衝突地点から 150 m 先で機体を裏返しにして墜落し、滑走路を300mほど滑り爆発炎上した。胴体上部を完全に粉砕されたパンナム機はその場で崩壊し、爆発した。KLM機の乗客234人と乗員14人は胴体の変形が少なかったにもかかわらず脱出の様子もなく全員死亡し、パンナム機は396人のうち335人(乗客326人と乗員9人)が死亡した。原因は、衝突時に漏れた燃料による爆発と炎だった。同機の犠牲者には映画女優・映画プロデューサーのイヴ・メイヤーが含まれていた。
パンナム機のグラブス機長、ブラッグ(Robert Bragg)副操縦士、ウォーンズ(George Warns)機関士は乗客54人と乗員7人の生存者に含まれていた。機長らは救出される際、KLM機に対して激怒していたという。パンナム機の生存者は、KLM機との衝突場所と反対側の機体左側の座席におり、爆発で機体が左右に引き裂かれた際、滑走路上に崩れ落ちた左側は炎上しなかったために助かったのだった[11]。生存者は機体の穴から滑走路上に逃げ出したが、フルパワーのままだったパンナム機のエンジンが機体から外れて暴走し、滑走路上にいた生存者の一人に衝突して死亡させた。消防士たちは燃えるKLM機のほうに向かったが、濃い霧のためにしばらくはパンナム機の生存者に気づかなかった。




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