ハーネス | 優さ暮れ

ハーネス

ある日、飼っていたワンコが思うように歩けなくなってきて、散歩もままならなかったので、
介護用のハーネスを買った。
歳を取ると後ろ足から不自由になってくるようで、それでもハーネスで胴周りを持ち上げてやると、
ひょいひょいとこれまでと同じように歩くのだった。

目は白内障が進み、もうほとんど見えていない。
それでも、近づくと反応して鼻をくいっと上げる。
けっこう見えてるかなって安心してると、散歩に出る前、ドアに頭をぶつけたりする。
僕はきっと、愛情あふれる飼い主にはなれなかった。

それは、自分でいやというほど思い知っている。
犬も年老いるとトイレを失敗するし、しっかり歩いてくれないことにもイライラすることが多かった。
これがいつまで続くのかななんて、考えてしまうこともあった。
でも、いまにして思えば、それがずっと続いてくれてたらよかったのにって、そればかり思っている。

生きててさえくれたらよかったんだって。
そこにいてくれるだけでよかったんだって。
そこにいるときには、そんなふう思えなかったのに。
そう思えるように、そう思えるような人間でいたかったのに、
そういう愛情とか優しさというものは僕には到底得られないものであるらしかった。
なんでもないやさしさを持ちたい人生だった。

あのね、
傘をささないで濡れていた日はね、濡れているひとの気持ちになりたかったから。
でもね、
ほんとうに傘がない人と、傘があるのにささない人ではね、ぜんぜん違うんだって、
何十年も経ってから知った。

びしょぬれのふりをして、びしょぬれのひとを見つけて、いっしょに雨宿りするつもりでいた。
でも、多くのひとはそれぞれの傘をもっていた。
雨宿りできる大きな木を見つけた道すがら、とつぜん折りたたみの傘を器用にひらいたり、
ちょうどいい軒先を見つけていっしょに歩いていったらとつぜん虹色のきらびやかな傘をひらいたり、
ぼくはぼくで真っ黒で大きなこうもり傘を音をたてないように開くこともあった。

ほんとうに傘がない人と、傘があるのにささない人のちがいってさ、
かなしくもないのにかなしいふりをすることみたいにそれはずるいことなんじゃないかなって。
傘を持ってるのに持ってないみたいに濡れるなんてやっぱりどこかずるいんだって。
ぼくはきっといつか気付いていたんだ。

傘をささないで濡れているひとを見つけたら同じ雨に打たれながら、
それでも自分の傘を差し出せるにんげんでありたかった。
こっちに入りなよっていう勇気がほしかった。
いつでも差し出せる傘みたいな存在になりたかったな。


クリスマスという季節が好きだった。
大人になる前に好きだったものが、やっぱりどうしても忘れられない。
大人になる前に嫌いだったものが、どうしても好きになれないのと同じように。
嫌いなことばかりだったな。

今もこうして嫌いであふれてる毎日から逃れることができない。

できない。

だからこそ、クリスマスみたいな好きな季節があってよかったのかな。

いまは、もう誰もいないクリスマス。

イルミネーションとかキレイなのかな。

もう何も知らないけれど、クリスマスという季節が好きだった。

そうだね、Happy,Christmas.