この時期になると毎年気持ちは母校野球部の動向に向いていて、夏の高校野球地方大会の日程を調べては5分前からネット中継をみるためPC前に鎮座する。

 

今年はノーシードながら序盤の組み合わせに恵まれていて、地元では強豪校の野球部は一回戦から三回戦を危なげなく突破し、ベスト8をかけて今日、優勝候補の私立高校と対峙した。

 

下馬評でいえばあちらの方が強くて、でも野球というものはそのようにはいかないもので、でもやはり過去の対戦などをみると下馬評どおりの方がやはり多くて、でも野球ってのはうっかり勝つこともあって、と堂々巡りの想像を働かせながら緊張の面持ちで試合を見つめていた。細かい話をするとキリがないけれど、どうせ別のどこかに書きたければ書くだろうと思う。

 

結果をいえば一点差で母校が勝ったのだけれど、実況のアナウンサーが「事実上の決勝戦」「西部地区のトップの争い」という言い方を最後にしていた。まだベスト8だし、中部や東部の雄はまだ残っているので「決勝戦」は言い過ぎだろうと思ったが、しかしそう言いたくなるほど白熱した、緊迫のゲーム展開で、アナウンサーも興奮から出た言葉だったのだろう。

 

そんな試合を車の中で一人声を出しながら観戦して、その後駐車場から歩いて大学に来る途中、ある学生からLINEをもらった。そこには今日の授業内で回収するはずのレポートが添付されていて、「出し方がわかりません」とのことだった。

「授業内回収なので、印刷してお持ちください。それから、参考文献が明示されていないので書き直してください」とだけ送ると、「理解しました」という素っ頓狂な返事がきてもやっとさせられた。

 

それが普段真面目な学生ならともかく、普段から何か(こなせばいいんだろう、不真面目な僕がちゃんとやってますよ、褒めてくださいよ)というような態度で、努力の辛さをナメているのかといいたくなるような人だったので大きなため息が出た。少なくとも普段から一生懸命な人であれば、ちょっとこういう言い方やレポートに不備があっても、少し追い詰められているのかな、大変な時期なのかな、(がんばらない、ではなくて)がんばれない時期なのかなと汲んであげたりもできるのだけれど。

 

前回のブログでは、自分が必死な時は他人にも厳しくなってしまうと書いたけれども、母校野球部の後輩たちがこの炎天下で死闘を繰り広げるのを見た後では、ちょっと幻滅というか、虚しさが倍増するような気持ちにもなった。こんなことを思うことが教員らしいのかといえば、そんな気もするし、むしろやはり自分は人にものを教えてやるなどという立場ではないのかもしれないとも思う。まあ、教員としても人間としても在り方はそれぞれなのだろうけれど。

 

大学について、先日行った三島土産を車のなかに置き忘れたことに気がついた。安いコインパーキングに停めるために15分かけて歩いてきたものだから、またあの道を往復するのかと幻滅しながら、汗だくになりながらまた歩いた。その土産を持って教室に行くと学生たちはすぐにレポートを提出してきたのだが、なんとも似たような内容ばかりであまり頭に入らず、そのなかで一つちょっと変わった切り口で書いてきたのがあった。こういう、みんなのやらない視点を持とうという人はもっといてもいいのにな、などと思いながら今学期最後の授業はおわり。配りおえてなお余った土産は前述のがんばらない学生にあげた。