心から、中国を、愛したい。 -5ページ目

旅経過報告

 

ただ今クスコに潜伏中です。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


これまでの行程


20日・夜 NY→リマ

 21ー22日は、慣れる為?リマ徘徊。

 博物館で事前学習。

23日・昼 リマ→クスコ

 列車チケットGET。

24日 クスコ→アグアス・カリエンテス(マチュピチュ村)

25日 マチュピチュ観光→クスコ


そして今は26日・夕方5時過ぎです。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



昨日マチュピチュに行きました!



・・・ 感 無 量 です 。゚(T^T)゚。


まじでよかった合格合格



私的にはハードな山登りをしたので

今日は筋肉痛が…(_ _。) だけど


いってよかったです!




写真をアップしたいのですが

このネットやのPCはメモリーカードを感知しない…


日本語使えるだけでも有り難いけど。




明日は、プーノという街に向かいます。


プーノはチチカカ湖がある街。

チチカカ湖に浮かぶ小島が見所。


予定としては

プーノ→ラパス(ボリビア)→チリ

と陸路で抜けようかと考えているけど

ボリビアの治安が心配。


ペルーに多かった首絞め強盗

最近はボリビアに多発しているそうです。


首絞め強盗とは

その名のとおり、首を絞めて気絶させ

目覚めた時には既に身包み剥がされている…

というやつ。



考えてみたら

イスラム圏ではあまり聞かなかったような…



とりあえず、今のところまだ無事です。




☆ペルーのこと☆


ペルーはなかなか物価が安いです。

 1ペルーソル≒35円

 ミネラルウォーター 1ソル

 地元民が食べる定食 2ソルくらいから

 タクシーは交渉制 近場で1ソル~

 ネットや 1時間1ー1.5ソル~


観光客料金があるので侮れません。

どこの国も同じか。



観光地化されている街は

人や警官も多く、安全そうに見える。

そして人々も陽気で人懐っこく、優しい。


けど、一歩横道に入ればスラム街。


飛行機に乗ってやってくる観光客は

お金持ってるって思われて当り前だよね。



ルールを守りつつ、もう少し旅します。

昨日リマ到着。

超ビビってたんだけど

今のところ無事です。


地震で収容所の壁が崩れて受刑者が流出し

ペルーの治安が悪化・・・

っていうのを一番心配していたのですが


現地の方々曰く

「泥棒はみんなイカやピスコに向かった」

らしい。

確かにそうか。


でも元々治安の悪い土地なので、引き続き気をつけます。

そういやさっき 通りで写真撮った後、尾行された気がする。

(欧米系観光客多かったんで気を抜いてしまった)

だからこのネットやの呼び込みにすぐ乗ったんだけど。


やっぱり、結構恐いかも。

今となっては、イスラム圏ていいところだったな。



続いて気温情報。

こっちは超寒いです。

ダウン持ってきてよかったー。

でもクスコやら標高高いところはもっと・・・

うぅ、こわい!


そして日本人はほんと少ない。

他の国の観光客は見かけるけど、少ないね。

宿の方曰く「日本人観光客は地震後めっきり減った」そう。


今は日本人宿にいるんだけど、宿泊している日本人は3名。

みんな地震前から旅してる人々で

今日もう出発らしく。寂しいなー。


そんなわけで、

まとまりないけど「生きてます報告」でした。

このネットカフェはUSB使えなかったので、

写真アップは次回ということで。


ちなみにネット料金は安いっす。

1時間1ソル(40円弱)。NYなんて5分$1だよ!!

相変わらずアメブロ重いけどね。


では昼食にいって参ります。また近々!



p。s

カーラさん情報いつもありがとうございます。

こっちだと自分で情報探すの大変なのよね。非常感謝!

とにかく生きてまーす!

結局

無謀だと言われそうですが

行ってきます。


旅行屋によると
リマ発着の飛行機は運航してるため
キャンセル(払い戻し)は不可とのこと。


危ないことはしないし、
充分気をつけます。


NYのネットカフェやは詳しくないので
リマでの更新になります。


祈っててくださいね^^

ペルー沖地震。


大変。



今朝のペルー沖地震の影響で

リマ離発着の飛行機が全面ストップしているらしい。



18日に出発→NYに二泊

20日にリマ!


の予定なんだけど…


ダイヤ、相当乱れるんじゃないかしら。




えぇぇ 


そしたらきっと


電話でフライトを確認するのよね?

電話で英語喋れって?




超無理!




おまけに


NYで滞在するの、ホテルじゃなくて

日本でいうウィークリーマンションみたいなもの。

 だってホテルめちゃくちゃ高いんだもん

 それでも二泊で120ドル。



だから


フロントにお願いして…


という手も使えないガクリ



おまけに

滞在費がかさむ…



でもまぁ

辺鄙な場所に拘束されるよりいいか。




うーん。

微妙に幸先不安しょぼん

お宝

D1000017.jpg

ただいま実家です家

自分のレポートが終わったので
帰ってきちゃった。

あとは評価&旅支度。
これ↑が大変…

前橋も埼玉も変わらず暑ーーーいメラメラ




実家にてお宝をたくさんGet。
写真や夏用の服とか。

NYのバスマップも発見でき
ほくほくですチョキ



やっと実感湧いてきた…

かな?



のん@母に言うか迷い中。

月亮代表我的心



昨日の月は、おっきくてオレンジ色だった

携帯ではうまく撮れないもんです



  珍満と月

真ん中のぽちが月 左の大きな明かりは街灯





「月」と言ったら


 「月亮代表我的心」



中国に暮らしたことのある人は

きっと耳にしたことがある曲。

 「耳にした」どころか一度は歌ったことがある かも?



邓丽君(テレサテン)の名曲音譜です。



この曲の方がI believeより

断然カラオケ率高かった。



日本語バージョンはなさそうだけど

真面目にいい歌!!!です。



古い歌という中国人若者もいたけど

それでもいまだに愛され続けている曲。


歌いやすいし、超お勧めですグッド!



  denglijun






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




オマケの月。




   @トルコbluemosque





hama  @シリア




   @武漢wuhan


 


jingzhougucheng @荊州






◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




旧暦8月15日は 中秋節。
念願叶って 中国に帰ります家



南米から無事戻ったらね。

 

  

バックパックの番人?



今までの旅や荊州生活で


オットあぶねぇ~ガーン


ってことはあっても、

幸い盗難の被害を受けたことはない。



結構恐れている。


強盗に襲われたらどーしよー

バックパック盗まれたら困っちゃうよなぁ


…って。


自分が案外ビビり小心者だと自覚。
 しかも私のバックパック

 鍵が付けられないのよね。




何か安心できるものが欲しいよー


と考え パックセーフなるものを購入。





これは、バックパックに被せるネット。

コードと鍵付きで、ベッドの足とかに固定できる。

 


  こんなかんじで。packsafe


バックパックなんて布製だし

盗る気になったら破いてでも持っていくんだろーけど

戦意喪失させる効果を期待しつつ。


しかしながらこのネット、

結構重いしかさばるのよね。


前回の旅にもドアに付けるカギやらやら持ってったけど

結局、カイロの安宿で一泊目にしか使わなかった。


案外平気なもんなのかな?


まぁ

せっかく買ったし、お供に連れて行こう。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



昨日は学生と初対面。


合同オリの時はみんな寝てたけど

ひとりひとりと話をすると、かわいい。


血圧ちゃんと聞きとれるか不安です とか

患者さんと何話せばいいのかなー とか

看護師さんたちが怖いです とか

朝来れるか心配 とか


んー とても新鮮。


初めての実習。

勉強してても、素人状態。


そりゃ確かに不安よね。



とにかく

みんなが乗り切れますように(。-人-。)

 

雨上がり

 

チャリ置場にて。




    雨上がり2




 わかりにくい?


             雨上がり3






 雨上がり1




前橋地方、毎日暑いです。

真剣に。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



明日から急遽

実習指導に入ることになった。



何でも


本来の先生が入院してしまい


代わりの予定だった先生までも

突然入院しまったそうで。


こんなこと、あるのね。



実習指導 っていうのは


学部生の病棟実習に引き連れて行き

あーだこーだ指導すること。


前回は外科病棟だったけど

今回は大嫌いな循環器・呼吸器内科。


学生は、見学実習以降初の受け持ち実習。

私も全く知らない病棟。



頼む人がいないのは判るけど、

それでいいのか?



それに


学生8人を一人で見るって…大変。

何かあったらどうするんだよ~。



おまけに、予定が狂ってしまった。

課題たちが終わらないかも。



でも やるしかないけどしょぼん




すんません


タダの愚痴でした。


  

二兎を追い続けるわたし。

9月15日 学会に参加すること。


という制約があったので

学会に合わせて航空券を買った。



しかし


昨日ふと気づいてしまった。




一度帰ってきてから


荊州に行けばいいじゃないか!




南米行きを心から喜んでない自分がいる。

それは、荊州に帰りたいから。


だって帰国後

一度も中国の土を踏んでない。。。



中越地震のあの日

荊州朋友が連絡をくれた。


日本は大変そうだけど、大丈夫? って(ノω・、)



あーみんなに会いたい。


白酒攻撃は怖いけど、

肝臓も心配だけど、


久々に白酒の洗礼を受けたい。



そう思ったら俄然元気が出てきてしまい

速攻で航空券チェック。


行けそうな予感。



あぁ~~~~~~~ 超嬉しい!!!!!


と、安心して眠った。





しかし


今日ふと気づいてしまった。




9月23日は


ドリカムのコンサートではないか!!!




むむ。


友達が超楽しみにしている。

こりゃ断れないだろう…



9月24日発・30日帰国 を考えたけど


9月30日なんて、正にシーイー突入期!

(※シーイー=十・一の中文読み。10月1日。国慶節)


武漢ー北京の火車、きっと確保できない。

下手すりゃ荊州ー武漢のバスも難しい。


*春節、ウーイー(5・1)シーイーは死ぬほど混む。


 荊州には空港も駅もないから、一旦武漢に出なくちゃいけない(4時間弱)。

 宿代不要、安くて快適で楽チン、武漢ー北京は絶対火車移動がいい



…あぁ


荊州帰省。


一瞬の夢か。




二兎を追うもの一兎をも得ず。


南米に集中しなくちゃいけない。

いままでと比べて、危険レベルドクロも高い。





だけど…


本当に、帰りたいんだよ 。゚(T^T)゚。



ニューヨークの想い出。

 

 

「ニューヨークに行きたいかーーーーーー」



て、ご存知ですか?

その名もアメリカ横断アメリカウルトラクイズ



クイズに勝つと航空券をGETキラキラでき


最終的には

自由の女神の前でクイズ対決ビックリマーク


という番組。



知らない人も結構いるのよね。

トシがばれますなー




・・まぁ トシのことはさて置き。


今回の南米旅行、

チケットを取るのに結構苦労した。


南米に行くルートは

北米乗り換えが一般的だけど


成田ー北米間が非常に混んでいた。



あら、もしかして 行けない?


と思うと


俄然行きたくなるものです。



結局 購入できたチケットは


コンチネンタル航空・ニューアーク経由便。



おぉ NYか――




今回は、ニューヨークにまつわる

忘れ難い思い出をひとつ。



 ■□■□■□■□■□



私の海外デビューは、遅い。

社会人になって 結構してから。


仕事に夢中で、あまり休みたくなかったし

旅に出たい!という衝動にも駆られなかった。


そんな私の初・海外は

ベトナム在住の元ナース友人宅訪問。


めちゃくちゃ楽しくて、ハマったキラキラ

旅の楽しさを知った。




ベトナムで味をしめた私。


次の旅先は、ニューヨーク。



先進国ビルにもブランドモノサンダルにも

全く興味がなかったが


当時付き合ってた人が、転勤でNYに行ってしまった。


だから 会いに行ったのだ。



一回目のNY訪問は、12月。

本当~~~に、素敵な滞在ベルだった。



到着日が偶然

ロックフェラーセンターのツリークリスマスツリー点灯式


だったのだ。

狙ったわけでもないのに。



あっ という間の1週間だった。

楽しかった。すごく。



ナースは勤務が不規則。

NYとは時差が13~4時間で、連絡が取り易い。


私たちはしょっちゅう連絡し合っていた。



彼はさびしかったらしく

3か月にいっぺん来て!

と常々言っていた。


次の逢瀬は、3月。




…私は鈍感なタチだけど


1月後半あたりから

何となく 行ってはいけないドクロ 


という気がしてて


チケットも休みも取る気にならず

ぐずぐずしていた。



でも

ナイアガラの滝波を見に行こー

と熱心に誘われ


翌年3月末~4月にかけて

再びNYを訪れた。



そして、到着した翌朝。


彼んちのチャイムが激しく鳴った。

でも彼は全く対応せず。



チャイムは延々と鳴り続ける。

終いにはドアまでドンドンむかっ叩きまくる。



大丈夫?出ないの?


って聞いても


「出ちゃだめ!!押し売りだから無視して。」


と、取り合わず。



暫く経って、ようやく静かになった。

慌てて会社に行く準備に取り掛かる彼。


夕方の待ち合わせ場所を決めて

あたふた出勤。



『じゃあ夕方ね。』


と、見送ってドアを閉めた途端

ドアの向こうで言い争う声。


ビックリしてたら、ドアドアが勢いよく開いて

ヒトが飛び込んできた。



じゃーん。

女の子女の子登場。



えらい形相プンプンの女の子(※日本人)は 私を確認して


「…やっぱりそういうことだったのね。」


と、呟いた。


続けて何か言おうとしたけど

言葉を発する前に、彼に連れ去られた。



残された私は考えた。


うーん。

こんなときどうすればいいのかしら。

このまま日本に帰るのは忍びない。

でもNYの宿なんて知らない。


…まぁ とりあえず風呂にでも入ろう。




お風呂に入ってたら、またチャイム。

きっとあの子だ。


急いで身繕いして出ると

硬い表情の彼女が立っていた。


「…あの、ちょっとお話したいんですけど。」


勿論、どうぞどうぞ。椅子コチラヘ。


と招き入れる。



結構パニくっていたらしく、

彼女は機関銃ドンッのように喋り続けた。


聞き役に徹するナースな私。



そうこうするうち

徐々に落ち着きを取り戻してくれた。


最終的にはかなり打ち解け

「私でよければNY案内しましょうか?」

なんて言い出してくたけど


そりゃマズイだろう と丁重にお断りした。



彼女を見送って一息つき

窓から街を眺めてたら、またチャイム。


今度は彼が、息を切らせて戻ってきた。

上司に頼んで時間を貰って来たと。
 (そりゃそうせざるを得ないか。)



細かいやり取りは省くけど、


結局

私は宿も替えず

ナイアガラにも行った。


普通に過ごし、

じゃあまたね と別れた。



…我ながら

ドラマちっく?な体験をしたと思う。

滅多にできるもんじゃない。


おまけに in NY。


・・いや いい経験しました。




そうそう

結局彼とはどうなったかというと


遭遇事件の7ヶ月後

彼がまだあっちにいる頃に、別れた。



彼や周りの人は あの事件のせいじゃないか

と勘ぐってたけど、

決してあの件が原因や誘因ではない。


父の病気がきっかけで、やっと

「あ。このヒト違う。」 

と気付いたのだ。←遅い。




・・・これだけでもお腹いっぱいぶーぶーだけど、


この旅、実は もうひとつハプニングがあった。



2回目の訪問は

3月末から4月あたまにかけて。

滞在中にNYはサマータイムに突入した。



帰国日。


サマータイムを意識して、綿密に時間計算し

余裕シャクシャクで空港に行った。


トロント行きの飛行機も乗れたし

私の計算に狂いはない…



はず だった。


が、しかし。



・・・?

私の乗る飛行機の

表示がないんですが?



どういうことかな?



カウンターのお姉さんは

チケットを確認した後、言い放った。


「この飛行機はもう出た。

 あなたは乗り遅れた。」




冬時間で発券されたチケットだった。


要するに


フライトスケジュール自体が冬時間


ということは



書いてあるフライト時間の2時間前が実際のフライトで

4時間前に空港に到着しているべきだったのだ叫び


そもそもリコンファームしなかった私が悪い。。。




じゃあ、いいわ。

明日の飛行機に振り替えてあげるわね。


とにっこり言われたけど

翌日は仕事。



 ・・じゃ 延泊しちゃう?



一瞬考えたけど、仕事は大事だわ。


それに

もし彼女に再会爆弾したら、超気まずい。



怪しい英語で、正に必死の交渉。


 明日仕事があるんです
 どうしても今日帰らなくちゃいけないの

 宿もお金もないんだよー

 どうにかしてーーー(ノω・、) 




・・・

散々ごねまくった結果

偉そうなおじさんが出てきて 色々電話を掛け


コンチネンタル→ノースウェストの便に振り替えてくれた旗



しかし


切り替えてくれた飛行機は、ジョン・F・ケネディ空港発。

私がいるのはニューアーク空港ショック!




教えられたバスに飛び乗り

一路JFKへ。


まさに 滑り込みセーフ!

無事帰国したのでした。


ちゃんちゃん。



 ■□■□■□■□■□



長ーいお話でしたね。

すみません。


とにかく、私的にはちょっと思い出深いNY。


南米行く前に、2泊することに。

宿も高いし、二晩で充分。


―2度と行くことはないだろう。


と思ってたけど

こんな偶然はちょっと嬉しい。



これはまだツインタワーがあった頃

そう 6年も前のお話。


ツインタワーにも彼にも再会はできないけど


自由の女神と再会してきますキイロキラ


 


あ、いや


本当の目的はマチュピチュとモアイだけど。