幼い頃の私は比較的音楽に囲まれた環境で育った。

私は母の実家で産まれた。母方の祖母は若い頃、音楽の先生をしていた。専門は声楽だったので、家に遊びに行くと私達孫に色んな歌を歌ってくれた。ピアノを弾きながら歌う祖母の歌を聴き、私も一緒に歌うのが大好きだった。

私の実家にもピアノがあって、母が少し弾いて歌ってはいたが、祖母のようには行かなかった。悪声というか、、、(私も。遺伝した。苦笑)

やがて姉がピアノを習い始め、家にピアノの先生が出入りするようになった。近所の何人かの子供達も家に来てその先生にピアノを習った。そして何となく私もピアノ習い始めた。幼稚園の頃だった。

しかしやけに厳しい先生だった。私が余り練習をせずにレッスンに臨むだから、毎回酷く叱られ、手を叩かれた。姉は高校卒業までピアノを続けたが、私は始めて半年ぐらいでやめた。そして音楽が嫌いになった。

 

その頃の私は絵を描くのが好きだった。大好きな昆虫や恐竜の図鑑を見ながら模写していた。ピアノをやめた時、私は両親に絵を習いないとお願いした。父の仕事の関係で、東京芸大出の美術史家が家に絵を教えに来た。これまた近所の子供達を集めて数人でその先生に絵を習った。これはとても楽しかった。その先生は絵の具を赤、青、黄、白の4色しか使わせてくれなかった。先生はこの4色でこの世界の全ての色が表現出来ると言った。その頃の私はその意味がわからなかったが、就職して仕事をしていて、その意味がわかった。幼い頃に4色の絵の具で絵を描いていたことは私の仕事を大いに助けることとなった。

絵はその先生に幼稚園の頃から小学5年生ぐらいまで習った。絵を描いくことは楽しかったが、当時夢中になった野球の練習が忙しくなって、やめることになった。やめる頃には生徒も私と姉妹の3人だったので、3人一緒にやめた。やめてから、私は先生に会っていない。

 

とにかくヤンチャでいたずらっ子だった私には絵の先生との苦い思い出もたくさんあって、私は絵を習うのをやめてからも、先生に後ろめたい気持ちをずっと抱いていた。今年の3月に実家に帰った時に思い立って、先生ゆかりの博物館に行って、学芸員に先生の所在を確認したのだか、先生は数年前に実家のある街で亡くなられたと知った。私は後ろめたさの往く先を失ってしまった。

 

子供の頃の私は野球の投手か絵描きになりたかった。しかし中学1年生の時にどちらも諦め、挫折した。自分の才能の無さを恨んだ。

その頃から私はやたらと精神化していった。精神化の過程で音楽が再び好きになった。それまでも歌謡曲やフォークソングは良く聴いていたのだが、ロックやクラシックにのめり込んでいった。ただ、音を楽しむわけではなかった。私にとって音楽は詩であり文学であり哲学であった。つまり、生きる意味を問うものであった。

 

ステロタイプに聞こえるが、人間には絵画的人間と音楽的人間があると言う。20世紀のドイツの小説家トーマス・マンは第一次大戦直後の著作で、自分自身のこと、そしてドイツ民族のことを音楽的人間として、それは観念的、現実逃避的であり、そしてそれゆえ非政治的人間であるとした。そしてナチズムの台頭を予言した。ナチズムは現実的な政治的な思考を停止したところから生まれる。音楽とナチズムはその現実逃避的な熱狂において、切っても切れない関係にある。トーマス・マンはベートーヴェンの第九に、あるいはワーグナーの楽劇にナチズムの本質を見ていた。

それに対して絵画的人間は経験的、実際的であり、それゆえ政治(批判)的であるとする。トーマス・マンはその著作でヘレニズム、ラテン系の民族に絵画的人間を見いだしているのだが、イタリアでファシズムが台頭したことを考えると現実の事情はそう簡単ではない。ナチズムとファシズムのそれぞれの起源には明確な違いがあると思うのだが、私は詳しくない。

 

とは言え、トーマス・マンの言い分は多少なりとも私にはうなずける。あくまで私見であるが、音楽は現実を忘れさせ、夢の世界へ誘う。それに対して、絵画は現実の豊かさや厳しさをむき出しにして、目の当たりにしてくれる。

私はその意味でずっと音楽的人間であった。現実の豊かさや厳しさよりも、生きる意味を観念に求めていた。

今では、ようやく現実の豊かさも厳しさも全てを引き受ける確信が生まれてきたが、それでもなお、音楽への憧憬はやむことはない。「それでもなお」という接続詞は適当ではないな。しかし他に見当たらない。

 

一昨日、一人の女性声楽家のリサイタルに行った。久しぶりに声楽家のリサイタルに行ったのであるが、とても素晴らしかった。彼女のボリューム感のある温かい情感豊かな歌声に、私は感極まり、涙が止まらなかった。人の声ほど人の心をふるわせる楽器はない。私は現実を忘れた。いや、私は現実を忘れたわけではない。正確に言うなら、現実のこの瞬間に、過去が、未来が繋がって集約されて、より豊かな現実が現れたというべきか。私は新しい現実を生きていることを思った。亡き祖母や亡き母や亡き先生、そして今を生きる、これからを生きる父や大切な人や息子のことを思った。

 

このリサイタルで初めて知ったことがあった。武満徹。学生の頃にカッコつけで聴いた現代音楽家。笑

しかし本当は私は現代音楽があまり好きではない。聴いていて息苦しくなるから。「独創」のために、人間としては不自然なほど過剰な創作を強いられているように感じるから。

武満徹の音楽も一部を除いてそのように感じていた。しかし、一昨日のリサイタルで女性声楽家が武満徹にはポップスもあることを紹介し、歌った。そこには意外にも、過剰な創作意識など全くなく、武満徹の幼き頃の原風景がそのままに現れているように思った。その原風景に私の原風景が重なり、彼女の声に感情が共鳴して増幅していっぱいいっぱいになって、私から嗚咽がこぼれた。

それはこんな歌であった。

他愛もない簡単な詩とメロディ。しかしとても懐かしい。

 

 

『小さな空』

作詞・作曲:武満徹

 

青空みたら 綿のような雲が

悲しみをのせて 飛んでいった

いたずらが過ぎて

叱られて泣いた

子供の頃を憶いだした

 

夕空みたら 教会の窓の

ステンドグラスが 真赫に燃えてた

いたずらが過ぎて

叱られて泣いた

子供の頃を憶いだした

 

夜空をみたら 小さな星が

涙のように 光っていた

いたずらが過ぎて

叱られて泣いた

子供の頃を憶いだした

 


 

一昨日にリサイタルに行った女性声楽家の音源を探したが見当たらず。残念。