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森有正(1911-1976)
 

ブレーズ・パスカル(1623-1662)

 

 

以前、このブログで森有正について書いた。私の大学卒業研究のテーマが森有正だった。

タイトルは『森有正における「経験」の構造』。

これは森有正の若い頃の論文『パスカルにおける「愛」の構造』の方法論をそのまま森有正自身に応用した安易な研究であった。彼のその論文で、パスカルにおける愛の概念が三つの重層的構造(①キリストによってある ②キリストと共にある ③キリストの内にある)をなしていると森有正は分析した。そんな彼の、パリに移住して以降の著作群で語られる「経験」という概念を①「西洋文明によってある」 ②「西洋文明と共にある」 ③「西洋文明の内にある」という三つの重層的な構造に分析していくと言うのが私の卒業研究テーマであった。

 

森有正の祖父は薩摩藩の維新の志士で、初代文部大臣森有礼。彼は文部大臣になった時、文明開化のためには、国民の平等のためには、日本語の共通語を作らなければならないと考えたが、日本語があまりに多様であったため、日本語を共通語化せずにそのまま(方言のまま)残し、その代わり一般公用語として英語を採用しようとした。そのため右翼に暗殺された。

幼くして父を亡くした子、森明は内村鑑三に引き取られ、キリスト教徒に回心し、やがて牧師となった。

森有正も父 明を幼くして亡くしたが、暁星学園、アテネフランセで学び、フランス人の家庭教師もつけられた。早熟の秀才で「末は文部大臣か、総理大臣か」と言われたが、周りの期待をよそに政治には全く興味がなく、旧制一高、東京大学とフランス文学を専攻した。幼い頃からフランス語、ラテン語に接しており、ネイティブにフランス語が出来た。

大学卒業後も若くして東大助教授になり、日本が戦後初めて官費留学制度を施行した時の第1回官費留学生としてフランス・パリ大学に留学した。本人は全く留学に興味はなく、フランスで学べることはここ(日本)で学べる、と言って一度は断ったが、当時の東京大学総長矢内原忠雄の強い要請により留学を受諾した(矢内原伊作は私の尊敬する学者でありクリスチャンである。君にも少し知っていてほしいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84)。

矢内原は将来、東京大学総長を森有正にさせたいと考えていた。

かたや、そんな気まるでない森有正は嫌々パリに留学したのだが、そこで彼に啓示が起こる。極東の地日本で、幼い頃から日常的に身に着け、思考してきたと思っていた西洋文明が、全く異質なものとして彼の全身に濁流のように流入してきたからだ。哲学は、思想は、頭の中にある知識ではない。それは、「人間が生きた」という「経験」から必然的に生まれてきたもの(魂というか、宿命というか、サダメというか、上手く説明できなくて、ごめんなさい)であることに気づいた。そのため、彼は彼自身の「経験」だけに根差して、それまで頭の中に貯めこんできた哲学を、思想を、再吟味し、自分自身の「経験」を自分自身の「思想」にまで照応させ、高めてゆく必要に迫られたのである。うう、、上手く説明できない。

 

西洋文明の啓示を受けた森有正は帰国することが出来なくなってしまった。彼はパリに残ることを決め、矢内原に東京大学辞職願を送った。

自分の「経験」だけに根差して生きるとは生ぬるい生き方ではない。上辺を取り繕い、澄まして生きることは簡単にできる、それで終始一貫した人生を送ることだって出来る、と彼は言う。しかし、そんな人生に何の意味があるのか、それを「生きている」と言えるのか、と彼は考えた。

 

いきなり「経験」という言葉を使ったから、君も困惑してしまうだろう。私も今の今までよくわからなかあった。

彼は「経験」という言葉を使う前に「感覚」という言葉を使った。要は肌感覚。見たり、聴いたり、触ったり、嗅いだり、味わったり、心が感じたりすること=5つの「感覚」から人間の「経験」が生まれ、その「経験」がやがて「思想」に到達する。ザックリいうとそんなシナリオだ。

しかし「感覚」のみを頼りに生きていくということは、いかに苛烈で荒涼としているか(Desolation)、そして優しさと慰めに充ちているか(Consolation)。彼はその後、思想エッセイ『バビロンの流れのほとりにて』シリーズにおいて、その心の風景とその変化を詳しく書いている。

 

彼は帰国を断ってパリに残ったことを「星の導き」「運命」(=啓示)としか言いようがないと言っている。「星の導き」「運命」に従って、自分自身を取り繕わず、自分自身に嘘偽りなく生きることを心に決めた。その人生において、東京大学総長になるとか、ならないとか、そういうことは何て薄っぺらいことだろう。「星の導き」「運命」(=啓示)に忠実に一歩たりとも離れず、撞着して生きることが彼の残りの半生となった。

慌てた矢内原はパリの森有正のところまで行って、帰国するよう説得にあたったが、森有正の意志は固かった。

 

今、このように森有正について説明しているが、そして大学の卒論でも同じように書いたと思うが、当時と今では全く書いている感覚が異なる。私が変わったのだ。うまく説明が出来ないのだが、君にはわかってもらえると思う。

理性(頭の働き)で複雑に思考したことの極限において、最もシンプルな真理が腑に落ちてくるには、多くの紆余曲折、多くの苦難、多くの経験、そして多くの啓示、を要しなければならない種類の人間がいることを。

君は「呑み込む」と言った。その「呑み込む」という単純な行為が出来るようになるためには気の遠くなるような時間を要する必要があった男のことを。

 

私は大学3年生の時、祖母にねだって「森有正全集」を買ってもらった。それから自分なりにかなり読み込んだつもりだ。4年生になって、卒業論文の研究を始めた。中間発表会が2、3回あって、順調に進んでいった。しかし提出直前の1月、自分の論文が空虚であることに気づいた。決定的なものが欠けている。それに気づいたのは彼の全集第7巻『近代精神とキリスト教』を改めて読んだからだ。

この論文は森有正が渡仏前に書いたものだ。私は渡仏前の彼の著作を少々軽んじていた。

 

 

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そこには西洋文明とキリスト教との対立と融合について書かれていた。端的に言って、科学が万能であると思われている現代において、超合理的であると思われる「信仰」(非合理的とは言うまい)は可能か、科学の原点となった人間の領域「ヒューマニズム」と神の領域「信仰」とはどう両立していくべきなのか、という問題である。

そこにはパウロの回心とアウグスティヌスの回心とパスカルの回心について、詳しく書かれていた。

神の恩寵は、啓示は、理性(脳の働き)を超えて、いきなりやってくること、人間の理性では神を発見しえないことなどが書かれていていた。

私は、森有正が渡仏後、キリスト教についてあまり語らなくなったので、キリスト教から離れたのだろうと思っていた。なので、私は卒論において、彼の語る「経験」からキリスト教に関わるものを排除した。しかしその時、『近代精神とキリスト教』を読んで、パリで森有正に起こった啓示がキリスト教抜きでは語れないことに気づいた。その気づきは、私にとっても、まさに啓示であった。

私は800字詰め原稿用紙(なぜかうちの学部は400字詰めではなかった)およそ500枚以上書き終わった卒論を全部破棄した。提出日までのあと1週間、イチから書き始めた。森有正の「経験」の根底にはキリスト教があり、イエスキリストが彼のそばにいつもいて、しかし彼はあえてそのことを語らなかったこと。そしてそのことを隠したこと。彼はその代わりに何故か旧約聖書のアブラハムのこと何度も語り、自分の人生をアブラハムの生涯になぞらえていたが、それはカモフラージュであること(今はアブラハムの生涯について詳しく知ることとなり、カモフラージュであったとは思わない。ただその時は「クッソッ!アブラハムに騙された!」思った。笑)。

 

私は卒論で森有正の「経験」に秘密に迫ろうと思った。その時私も若かった。彼が語らなかったことを私が語ることが出来ると思った。私は森有正の「経験」の構造について、イエスキリストを根底に据えて書き直した。啓示の感動の中で、憑かれたように、1週間で原稿用紙500枚は超えたかな(脚注が膨大にあるので、本文自体はその半分ぐらいか)。筆が止まることなど全くなく、止めどなく着想が湧いて、書いていった。

しかし、最後、卒論の結論を書く段に及んで、ハタと筆が止まった。結論が書けない。

結論は森有正における「恩寵」「啓示」の核心を書いてやろうと思っていた。しかし核心に迫れば迫るほど、その周辺をぐるぐる回る文章になった。書き始めた場所にまた戻ってくるような、大地の果てを突き止めに旅に出て、ふと気づくと、また出発地点に戻っているような、そんな堂々巡りの文章になった。「オレは一体何を書いてんだ?」と弱り果てた。そして、森有正は書かなかったのではなく、書けなかったこと。そのことを卒論の最終局面で悟った。ドイツ論理学者・哲学者ウィトゲンシュタイン曰く、「語りえぬものについては沈黙せねばならない」。その時の私はその「語りえぬもの」が何なのか、わからなかった。私は卒論の結論部分を書くのを諦め、白紙にして、提出した。単位を落とすかもしれないと思った。

 

数日後、学部の教授陣の前での口頭試問があった。やはり卒論の結論がないことについて、多くの教授から様々な質問を受けた。私は上手く応えられなかった。私には卒業単位を与えられないと言う教授がたくさんいた。しかし私の卒論担当教授は彼らを遮って、私に言った。

「あなたの卒論の結論は今書く必要はないし、書けないでしょう。問題のスケールが卒論のレベルを超えているし、学問の領域を超えています。あなたの人生はこれからです。あなたのこれからの全生涯を賭けて、あなたの卒論の結論を導いてください。」 た、助かったーーーっ!かぁ?

しかし地獄はその後に来た。その日の夜に学部の卒論打ち上げ会があって、私は完全に酔っぱらったその担当教授に「わしの酒を呑まんと卒業させんけーのー!」と脅され、絡まれ、日本酒1升瓶を呑まされ続けた。

「呑めー、呑め―」

「先生、もう許して。もう吐きそう。吐き出しそう」

「なにをゆうとるがな?吐くなよ。吐いたら落第。呑みんさい!呑みさい!お前の卒論、呑まんと結論出やせんよ。おまえの今の卒論は綺麗ごとだけじゃけぇ。綺麗ごとだけじゃあ人生、生きていけんのじゃけぇ。わしは森有正のことはよう知らん。じぁけど、お前の卒論読んで教えてもらったことがある。人間は清も濁もどっちも併せて吞み込まんと生きていけん。森有正は清も濁も全部吞み込んだ人間じゃね。化けもんじゃけぇ。おまえも森有正と一緒。地位も名誉もいらんじゃろう。なんでもかんでも呑み込む化けもんになりんさい。じゃないとゆるさんけーの。あとからでも卒業証書を取り消しに行くけーの。」

私は急性アル中で死ぬんじゃないかと思ったが、なんとか持ちこたえて、卒業させてもらった。

 

私は大学卒業前に、多くの本を売りさばいた。売りがたい本は実家に送った。しかし『森有正全集』は持って行った。私と共に京都へ。東京へ。浦安へ。日吉へ。そして千葉へ。私は引っ越しをする度に本の整理をし売りさばき、あるいは実家に送り続けたが、『森有正全集』はずっと肌身離さず持って行った。それはかつて祖母が買ってくれたものたっだし、私のその卒論担当教授の最後の言葉が頭に残っていたからだ。しかし、引っ越し先に持っては行きはしたが、全く読むことはなかった。

 

君と出会った最初、君は私に「まる呑みにしなさい」と言った。私は「それが出来ない」と答えた。私は物心ついた頃からの筋金入りの合理主義者だったから。非合理的なもの、理屈に敵わないものは、校則であろうが、道徳であろうが、宗教であろうが、徹底的に削除してきた。しかしキリスト教、イエスキリストの存在は非合理とは思えず、理性を超えたものであることを感じていた。だから削除できず、いつも頭の中で固いシコリとなって残ってあった。

けれど君と出会ってから共に過ごすうちに、君の導きで恩寵が、啓示が、幾度となく私に起こった。頭の中の固いシコリが柔らかく溶けて、腑に落ちていくのを感じた。ありとあらゆる物事が、言葉が、わたしの内部へと浸入してきて、瑞々しい感覚を伴って腑に落ちてゆく。私の心には、身体にはありあまる感情がみなぎり、満たされ、涙となって止めどなくこぼれ落ちてゆく。

 

おお、これが核心か!森有正が語らなかったものの核心か!この核心に辿り着くまで、どれだけ長い苦難の時間を、長い悲しみの時間を、必要としたことだろう。

そして私はその核心を「まる呑み」した。私の卒論の結論が今こそ書けるかもしれない。しかしそれでもなお、この核心は言葉にできない。「語りえぬもの」であると悟った。なぜなら、この核心は吐き出すもの(EXPRESS、表現する)ではなく、「まる呑み」するもの(SWALLOW、まる呑みする)であるからだ。私に出来ることは、その核心、恩寵、啓示に従って、そこから外れないように、真っ直ぐ強く生きるのみである。

ようやくスタート地点に立てた気がする。この年になって。散々に道に迷った挙句、ようやく歩むべき道が目の前に見えてきた。森有正が言った「星の導き」「運命」。私にもそれがある。

 

森有正の『近代精神とキリスト教』を読み返すと夥しい鉛筆の線が引かれていた、パウロ、アウグスティヌス、パスカルについてのみ、その一部をここに記しておきたい。

 

 

神の意志である愛への要求をユダヤ人は律法として自己の能力で守りうるものと考え、ギリシア人は自己の智慧によって認識し実践しうるものと考えた。

しかしパウロは神の意志は神の意志の啓示、具体的にはイエス・キリストにおける福音を信ずることによってのみ全うされると考えたのである。パウロは神と人間との間に、人間の能力ではどうしても超ええないものを見たのである。

 

アウグスティヌスが、恩寵の絶対性を説き、人間の意志の無力を説く時、かれはそれを合理的思惟を超えた特殊な、魂の現実的体験の事実として述べているのである。

 

パスカルは『メモリアル』の中で「イエス・キリストと我が指導者とへの全き服従」と誌した。このキリストとの交わりはやはり直接的に生ずるのではなく、具体的には教会の媒介を必要とするのである。世の現実の中にある教会を通じて我々は真に現実からな解放を実現するのである。(中略)かかる信仰の姿を一言で言えば、自己を中心とすることから離れて神を神とし、隣人を真に人格として尊敬する愛を本質とするものである。すなわち自己からの解放がその真の姿である。

 

信仰の真理は生来の人間には決して近づくこと、到達することのできないものである。

 

信仰は人間の生来の欲求と認識との上に立つ文化の一部でもなく、ましてや教養でもない。それは人間の在り方全体が根柢から変換することである。いかに論理の巧みを尽くしても、この一線を超えることは出来ない。パスカルはこのような意味で、神を隠された神 Deus absconditus と呼ぶ。その深淵はただ、神の側からの働きかけによって超えられるのである。人間のなしうることは、自己の限界を超える世界の存在を否定しないことである。その世界に対して開かれた心を持つことである。

「理性の究極的働きは、理性を超える無数の事柄を承認することである。理性がそのことを受諾するに到らない間は、その理性は弱いものに過ぎない。」(パンセ267)

 

 

上の引用にパスカルの『メモリアル』とある。これはパスカルが肌身離さず持っていた、文字通り「メモ」である。それは彼に突然訪れた恩寵、啓示、そして「決定的回心」の、2時間にわたる「瞬間」をパスカル自身がまさにその時、羊皮紙に克明にメモったものである。彼はそのメモを死ぬまで肌身離さなかった。

 

 

『メモリアル』の直筆

 

 

パスカルは若き天才数学者、科学者であった。その天才ぶりの伝説は事欠かない。世界初の計算機を発明した。三角関数・積分学の基礎の確立(歯が痛くて夜眠れず、その痛みを和らげるために数学に熱中したった一夜にして築き上げた。出来上がった時、歯の痛みは治っていたそうだ)。流動体(空気・水)力学の基礎の確立(現在気圧の単位を「ペクトパスカル」としているのは彼が確立したからである)。そして何より統計学の確立。彼は当時パリの社交界で流行った「賭け」に勝つために、統計学を確立した。そのため彼はパリの社交界で一躍人気者になったわけある。しかし社交界での華やかな生活は彼の繊細な魂を蝕んだ。彼の確立した統計学によって、生きる者、死ぬ者がわかれた。そして苦悩する彼の突然回心のときが訪れる。

その時の様子は以下のようである。森有正の解説を私が咀嚼、平易にして引用する。笑

 

パスカルが妹(修道女)に打明けた心の中とは、こうであった。

「自分は現世に深い嫌悪を感じている。しかし、自分は神に全く見離されており、神の方からの招きを何も感じない。全力をつくして神に向おうとするが、自分を最善のものに向わせる力は、自らの理性と精神であって、神の霊の働きではない。自分のまわりのものに執着のなくなった今、もし以前と同じように神を感じることができるなら、どのようなことも可能なのだが」

彼に回心という現象が起ったのは、兄妹の間にこうした会話がかわされてから二ヵ月たった十一月二十三日の夜十時半頃であった。数学者らしく、彼はこの現象をその瞬間瞬間に克明にメモった。

「メモリアル」は全部で三十行の短い章句から成り立っている。そこには、彼をおそった「奇蹟」が夜十時半頃から十二時半頃まで約二時間にもわたって継続したことが記されているのである。

当夜、パスカルが最初に書きつけたのは「火」という文字であった。内的な輝きが突如、バスカルを直撃した。彼は当初内なる深淵から奔出して来た火のごときものに圧倒され言葉を失う。彼は自分の変化に驚き、我を忘れる。やがて衝撃が去ると、ペンを取って手近の紙片に自分の印象を書きとめる。

「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。哲学者および識者の神ならず」

バスカルは、とっさに「火」の正体を神だと判断したのである。それは神の山ホレブで、モーセが見た柴を焼く火を想起させる。メモの全文は、この直覚をモチーフにして記されている。あらゆるものを焼きつくすようなこの内的な炎には、何か不可解で謎めいたところがあった。だから彼は、自ずとアブラハム、イサク、ヤコブの前に出現した異様な神を思い出したのだ。続く次の行には、

「確実、確実、感情、歓喜、平和」

という単語が列挙してあり、次の行に

「イエス・キリストの神」、

更にその次に

「わが神、すなわち汝らの神」

と書いてある。

これがこのメモの基本的な構造であり、「覚え書」の全文がこうした形式を反覆する形で書かれている。

このような文章の段落が全部で6つある。2時間に及ぷ彼の体験が6度に渡り、間歇的に吹き上げた。

彼は途中で、全力を振りしぼって「感動」を再生させようと努力もしている。3回目から4回目にかけてのサイクルの印象が最も強烈で、その後急激にエネルギーが衰えて行ったからだ。

第3回目のサイクルの冒頭に

「神以外の、この世および一切のものの忘却」

という完全な忘我状態が語られ、第四回目のサイクルの冒頭には、ただ

「歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙」

と書かれている。

最高潮時には、彼はただ涙を流すだけだったのである。この分節に

「人の魂の偉大さ」

という言葉がある。実感に充ちた言葉だ。人は理性ではなく、魂において偉大であるのだ。

一度に歓喜をほとばらせたのち、エネルギーは枯渇する。その後やってくるのは、

「わが神、我を見捨てたもうや」

という問いかけであり、

「願わくは、われ永久に彼より離れざらんことを」

という切ない祈願であって、一旦死んだと思われた感動はこの祈りに応えて再び燃え上る。

そして、この夜の体験は穏やかな喜びのうちに終息する。最後の数行を記せば次の通りである。

「全きこころよき自己放棄

イエス・キリストおよびわが指導者への全き服従

地上の試練の一日にたいして永久に歓喜

われは汝の御言葉を忘ることなからん

アーメン」

最後の四行を書いた時には、光はもう去っている。至福の時間は終り、パスカルはつつましやかに去って行ったものに向って感謝の言葉を奉げている。「来臨」のさなかに心の一隅に退いていた自己が、謙遜な姿勢になって再び意識に立戻って来たのだ。

だが、注意して読めば、「火」が描き出した多様な変化相は、実はパスカルの心の闇の種々相だったのである。内的イルミネーションがかくも長く継続した理由は前述した通りだ。が、もっと根本的な理由は、やはりそれだけパスカル.の心の闇が深かったのである。

 

以上、森有正の解説の、ノンの咀嚼でした。

 

以下、その原文訳。

 

メモリアル

 

キリスト紀元1654年

 

 11月23日月曜日、教皇で殉教者の聖クレメンス、および殉教者伝に出ている

 他の殉教者たちの祝日、殉教者、聖クリソゴノス、および他の殉教者たちの

 祝日の前夜、夜10時半頃から、12時半頃まで。

 

     火  ←最初はここから書き始めた。上の内容はパスカルがその後書き加えた。

 

 「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」。(出エジプト3:6)

 哲学者や、学者の神ではない。

 確実、確実、直感、よろこび、平安。

 イエス・キリストの神。

 

 「わたしの神、またあなたがたの神(ヨハネ20:17)

 Deum meum et Deum vestrum.」

 「あなたの神は、わたしの神です」。(ルツ1:16)

 この世も、なにもかも忘れる、神のほかは。

 神は、福音書に教えられた道によってのみ、見出される。

 人間のたましいの偉大さ。

 

 「正しい父よ、この世はあなたを知っていません。

 しかし、わたしはあなたを知りました」。(ヨハネ17:25)

 よろこび、よろこび、よろこび、よろこびの涙。

 

 わたしは、神から離れていた。

 「生ける水の源であるわたしを捨てた(エレミヤ2:13) 

 Dereliquerunt me fontem aquae vivae.」

 「わが神、わたしをお捨てになるのですか」。(マタイ27:46)

 どうか、永遠に神から離れることのありませんように。

 

 「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、

 あなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります」。(ヨハネ17:3)

 イエス・キリスト。

 イエス・キリスト。

 わたしは、かれから離れていた。かれを避け、かれを捨て、

 かれを十字架につけたのだ。

 もうどんなことがあろうと、かれから離れることがありませんように。

 かれは、福音書に教えられた道によってのみ、保持していられる。

 すべてを捨てた、心の和み。

 イエス・キリスト、そしてわたしの指導者へのまったき服従。

 地上の試練の一日に対して、永遠のよろこび。

 「わたしは、あなたのみことばを忘れません

 Non obliviscar sermones tuos.」。(詩篇119:16)アーメン。

 

こうしてパスカルのキリスト教への「決定的回心」が成就した。彼は数学を捨てた。社交界から去った。現代の数学者でも、彼が数学を捨て、その後、キリスト教にその全思索を費やしたことを嘆く者は多い。私も数学は好きだが、そうは思わない。20世紀、ゲーデルによって、衝撃を伴って、数学の限界が証明された。そしてその時ゲーデルは、「数学の限界の証明とは、同時に神の存在が証明されたということである」と言った。それで十分だと思う。人それぞれが自分の宿命に従って、思考の限界を見極めようとする。その「果て」に(それが森有正の「経験」なのかもしれない)、それを超える者が見えてくる。

私は全ての面でもう限界であった。「あと少しで死ぬまで、死んだふりをしよう」と思いながら、死を待ち望んでいた。

そんな時に君と出会って、「まる呑み」することを、身をもって教えてくれた。私の止まった時間が動き出した。固まった感情が動き出した。頭のシコリが腑に押し始めた。

 

私たちは神様から祝福されている。神様から、幸福に生きよ、と言われている。

これからどんな苦難が待っていようとも、私たちは共に幸福でいよう。

そうやって二人で一緒に分かち合い、苦難を「まる呑み」して行こう。

そしてあらゆるものを味わって行こう。

 

「僕にとっては、愛も友情も、一つの価値ではない。お互いの自己を知るものが、一緒に在るということである。それ以外の意味はない。相手がどこに行こうとも、どういう状態にあろうとも、常にお互いが傍にいると言うことである。」(森有正『流れのほとりにて』)

 

以下はパスカルの『パンセ』から引用して本稿を終える。

私は長い間、さ迷える俗人(トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』)であった。しかし、これからの残りの人生は、イエス・キリストの導く道を歩く。

 

「われわれは、ただイエス・キリストによってしか神を知ることができないばかりでなく、

またイエス・キリストによってしかわれわれ自身を知ることができない。

われわれはイエス・キリストによってしか、生と死を知ることができない。」

 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)