近内悠太著「世界は贈与でできている」を読みました。慶応大学理工学部を経て、日本大学大学院文芸研究科修士課程修了。専門はヴィトゲンシュタイン哲学で、現在は塾講師の傍ら執筆活動されている方です。本書がデビュー作だとか。お友達におすすめ頂いたので手に取りました。
タイトルどおり「贈与」の話ですが、「贈与」に対して「交換」という言葉を引き合いに出して来ます。「贈与」は文字通り、贈り与えることですが、年齢が上がって、ビジネスの世界につかると「交換」ばかりの世界になるということでした。この辺りはちょっと、殺伐とした雰囲気で、贈与してもらったことに対して「負い目」とか「呪い」なんて言う言葉を使っています。しかしながら、贈与してもらったことに対しての負い目を感じたことが無いわけではないし、私自身は負い目を感じてほしくないと思いながら贈与しているところもあるので、共感もありました。でも、この「贈与」と「交換」の分け方に納得しないままに読み進めました。やっぱり、仕事の世界でもすべてが「交換」のはずはありません。「信頼は贈与の中からしか生じない」なんていう文もありましたが、そもそも「交換」であるはずの、仕事の取引は信頼がなければ成り立たないわけです。
腑に落ちないながらも読み進めていくと、「ペイ・フォーワード」という映画の話に移りました。この映画は観たことがありませんが、原作を読んだことがあり、それについての考察には、感心させられながら読み進めました。結構劇的なラストシーンをまったく記憶していなかったのは情けない限りでした。
この辺りから引用が多くなるのですが、岸田秀による「実際には金を借りていない友達から金を借りている」という懸念が頭から離れないという強迫観念は、家業を無理やり継がせようとするが、それ以外の点では申し分のない母親が原因だという所が、全く共感できませんでした。しかしながら、これは、フロイトの本の中に同じような例があるそうなので、そちらを読んでみないと何とも言えないのかもしれません。また、この岸田のような現象をダブルバインドという言葉で説明していました。
岸田は、母が自分を愛していないにもかかわらず、愛していると信じ込ませて、それ以上に母を愛し大切にすることを強要したから恨んでいるとありましたが、それをダブルバインドということです。他にももう少し抽象的な例や、本の引用などもありましたが、どうも岸田のそれと合わせると腑に落ちませんでした。
ちょっと長くなりましたので、明日に続きます。